科学世界4 走り始めた列車

 手をぷらぷらと振りながらも、十五号車の確認を行っていく。思ってもいなかった荒い歓迎を受けたばかりで、足取りは重い。

 唯一の救いは、乗客数が少ないこと。俺がじろじろと視線を飛ばすため、訝しげな目を向けてくる者もいたが、何か文句を言ってくる訳ではない。というより、文句を言われても困るのだ。

 こちらは人の命がかかっている。多少は見逃してくれ。


 全く、明日も学園に行かなければいけないというのに、こんな所で何をやっているのか。

 人命救助だろ? そうだ、人命救助だ。自分に言い聞かせる。

 このような大事件に巻き込まれたのだ。明日一日くらい、学園をさぼっても許されるよな。


「おっさん、起こしてしまうかもしれないけど、許してくれるよな」


 雑誌を顔に被せ寝ていたサラリーマン風の男に小声で問いかけつつ、念のため顔を確認しておこうと、雑誌を持ち上げるため手を伸ばす。


「ジュースにコーヒー、サンドイッチはいかがですか~。へへっ」


 ドアの開く音を聞き、腕を引っ込める。

 車内販売か。サラリーマン風の男が寝ていた席とは反対側の席に、素早く体を移動させる。

 派手な化粧をした若い女がちらりと見てくるが、座る気配もなく車内販売のワゴンを避けるためと分かると、すぐに興味を失い窓の外に視線を移した。


「すみません、水を下さい」

「え? あ、はい。お水ですね~」


 下を向きワゴンが通り過ぎるのを待とうと思ったが、何となく不自然な気がしてペットボトルの水を購入する。切符は買わなかったが、水は買った。喉も乾いていたためだ。

 寸前まで購入する気配を見せていなかったためか、慌てて準備を始めた販売員の女から水を受け取り一口だけ口に含む。

 販売員の後ろ姿を追い、十五号車から出るのを見届けた。


「ふご!」


 販売員の女が出ていったドアの閉まる音が聞こえた後、事は動いた。サラリーマン風の男が体をビクリと震わせ、雑誌が床に落ちる。

 まさかと一瞬思ったが、それは関係なかった。

 サラリーマン風の男がまた寝息を立て始めるのと同時に、後ろへと引っ張られる俺の体。

 すとんと座らされ、耳元で呟かれる声。


「油断大敵~。ごめんね。これも仕事なんだ」


 ――くそ、おっさんは囮か!

 おそらく、今回の件には全く関係のないサラリーマン風の男を心の中で罵倒しつつ、声をかけてきた厚化粧の女の方へと素早く振り向く。

 顔は結構好みかも、と小さく呟きつつ厚化粧の女は腕を伸ばしていた。

 その手に握られているのは、銀色に輝くナイフ。


「ぐっ!」

「あは! やるぅ」


 ナイフが捉えたのは、俺の持っていたペットボトル。買っておいて良かった。

 鋭いナイフの刃先がペットボトルの側面に傷をつけ、中に入っていた水が少し溢れる。

 水滴が女の健康的な太腿に伝っていくのを見つつも、続けざまに振られるナイフを躱し、避けられそうにないものはペットボトルを盾にした。


「ちゃ~んす!」


 数度身を守ってくれたペットボトルを、遂に床へと落としてしまう。

 舌をぺろりとなめる女。ぎらりと光るナイフ。

 咄嗟にリクライニングのレバーを倒し、背もたれに体重をかけた。


 びゅっと、先程まで上半身があった位置をナイフが通過する。体の重心とナイフの向きを変え、追撃しようと身を乗り出してくる女。

 俺は、互いの間にあったひじ掛けを思い切り膝で蹴り上げる。


「つ……」


 ひじ掛けに弾かれた、女の腕とナイフ。

 数瞬の時間ではあったが、互いの目線が交わり、その間を弾かれたナイフが落ちていく。

 ゆっくりと目を見開き始める女。頭の追いついていない女の目の前には、ナイフを掴む俺の腕が伸びてくる。

 掴んだナイフをそのまま振り下ろし、女の白い太腿に突き立てた。――ちっ、これは……。


「んん!」


 悲鳴を抑えるため、すぐにもう片方の手で女の口を塞ぎ、ナイフを離した手でボディブロウを決める。

 人を切り刻もうとしたのだ。いくら女であろうと容赦はしない。

 女の体からかくんと力が抜けたのを確認すると、口から手を離す。


「お前……」


 気になることはあったが、今は先へ進もうと決める。考えが正しければ、きっとこの先に行けば、答えが出る。

 着ていた上着を脱がせ、女の体にかけると席を立った。

 少しよだれを垂らしてしまっているが、よく確認しなければ熟睡しているように見えるだろう。


 十五号車の確認も終わり、いよいよ最後の十六号車へと進む。

 ちなみに十五号車と十六号車間のデッキ、そこにはゴミ捨て場とトイレがあるのだが、何もないし誰もいなかった。


 ドアを開けた瞬間、嫌な考えが頭の中をよぎる。

 どこかで失敗したのか? という疑念と、もしかして今回の事件は? という疑念。

 程度の違いこそあれ、俺にとってはどちらも等しく嫌な答えに辿り着く。

 十六号車には、乗客の姿が見えなかったのだ。入口に立つ俺の数歩前にいたのは、髭を蓄えた男が一人だけ。

 まさか指定座席を買い占めていた? とすると……。

 いや、まだ分からない。どちらにせよ、ここでやるべきことは一つだ。


「よく来たね。歓迎しよう」

「お前で最後か! くたばれや!」


 髭男の顔面に拳が吸い込まれる。やっとだ。やっと終わった。

 あとは拐われたあの女を探せば終わり。ここ入り口近くからでは見当たらないが、どこかの座席にでも寝かされているのだろう。

 もしくは……。


「ごうか~く!」


 そんな声が聞こえてきたのは、ピクピクと痙攣する髭男を俺が上から見下ろしていた時だった。

 振り返ると、そこには車内販売員の服を着た女。


「これから、よろしくね!」


 何を言うでもなく、無言でため息を吐く。

 何が合格。何がよろしくだ。ふざけやがって。


「あと、助けにきてくれてありがとっ! ちゅ!」


 何が助けにきてくれてだ。何だその投げキッスは。可愛い。


「それで? 俺……いや僕は、これから何をさせられるのでしょう」

「あなたには、私のボディガードをしてもらうわ!」


 ボディガード。お前を? 俺が?

 いやでも、思っていたより真っ当な仕事だな。


「給料については、父と直接相談してね。でもきっと、すっごく評価高いよ? あの三人を、無傷で倒しちゃうなんてねぇ。その年で勝ち組じゃない。良かったね」


 勝ち組か、どうだろう。今回の誘拐騒動が、ただの合否判定だったことを考えると、いくらもらっても身がもたないような。

 というよりこの女、性格変わってないか? もっと丁寧な話し方してなかった? 猫をかぶっていたのか。


「はぁ、分かりました。では、仕事内容の詳細等を教えていただいてもよろしいでしょうか? あなたのお父様の連絡先を教えて下さい」

「父? 父ならいるわよ? そこに」


 女の視線が、俺の足元へ。

 女がこの先言おうとしていることがすでに予想できてしまい、言わせまいと口を開く。


「ああー。やっぱり明日にでも聞きますので、今日のところは――」

「あなたの足元で倒れているのが、私の父よ」


 言われてしまった。

 そういうことであれば、話は早い。


「今日限りで、辞めさせていただきます」

「まだ何もしていないじゃない!」

「いや、だってさ……」

「あなたしかいないのよ! お願い!」


 おっとりとしたお嬢さんから、きつい性格のお嬢様へ変貌を遂げた女が、俺の襟を掴みぶんぶんと揺する。


「私を守ってよ! いいでしょう! いいよね? ……やれ!」


 頭の回転が鈍くなり、考えることを放棄したくなる。

 体が前後に動かされる中、俺は女と初めて出会った朝のことを思い出していた――


 ……。


「そんな! 巻き込むつもりなんてなかったの! 私は、私はただ」

「痛ってぇ~」

「あ! 痛い? 痛いよね? どうしよう、早く病院に! ……ん?」


 あれ、痛いって何? と、首を傾げ呟く女。

 痛いは、痛いだよ。ほら見ろ、血が出てるだろ。と、心中で女に伝える。


 科学世界と、魔法世界。二世界を同時に生きる俺にとって、レベルを上げるのには意味がある。

 科学世界には魔力というものが存在せず、魔法を使うことはできない。だが、レベルアップで手に入れた身体能力だけは別だったのだ。

 つまり、どういうことか。こういうことだ。


「あなた、それ。どういうこと?」

「あち! くそ、お前ら! 俺じゃなかったら死んでるぞ、こらぁ!」


 シャツのボタンを外し、中に着ていた服を捲くると、腹の薄皮を破ったところできゅるきゅると回転する銃弾。

 俺はそれを指で弾くと、男達を睨んだ。


「あちって……おい! 何だこいつ!?」

「化物!」


 魔法世界でのレベルアップは身体能力や魔力量、どちらも共に大して意味が無いと言われるほどの微小な上がり幅だと認識されている。

 でもきっと違う。その上がり幅も、個人によって変わるのだ。

 魔法世界の俺には、銃弾を生身で受け止めるなんて真似はまだできない。しかしレベルアップがもたらした、科学世界を生きる俺への影響は。


「やべ……あ、あ~! 腹筋、鍛えといて良かったぁ!」

「んな訳あるかぁ!」


 うるさい奴らだ。俺がそう言ったんだから、そうなんだよ。

 この世界の常識に当てはめると、他にどう言えばいいのか。――ん?


「あの」


 気づけば、シャツの裾を掴まれていた。縋るような目をして、何かを言いたそうにしていた女。

 なぜかは分からない。それでも、あの時のあいつと目の前にいる女が重なったような気がして、一度頭を振ると、安心させるように笑いかけた。

 俺の顔を見た女は、一瞬唇を結んだかと思うと、弱々しい声でこう言った。

 私を、守ってよ――


「……わかった」


 優しくぽんぽんと叩き、シャツを握る女の手を外させる。俺は、二人の男に向かって歩きだした。――任せろよ。今度は、今度こそは守ってみせるから。だから。


「物騒なもん、振り回しやがって! 覚悟しろや! レベルワン共!」

「レベル!?」


 ……。


「あなた、お名前は?」

「ソラ……夢見ユメミソラだ。レベル八十のスーパー学園生」

「ふふ」


 何それと呟いた後、女は続けて言った。


「何だか、地に足のつかない、ふわっとした名前ね?」


 女がくすくすと笑っているのを見て、俺も笑った。


「失敬な」


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