科学世界3 止まらない列車
新幹線をご利用下さいまして、ありがとうございます――
プシュー、という音を立てて閉まるドア。間に合ったという安堵と、もう引き返せないという後悔の念が入り交じる。
入ってすぐの壁に背を預け、ドアに取り付けられた小さな窓からホームを眺める。
「いない、よな」
それらしい人影は見えなかった。寸前で降りたということもなさそうだ。
窓から目を逸し、乱れた息を整えるため小さく深呼吸をする。
加速する景色と頭。つい先程、目の前で起こってしまった非日常、誘拐事件について俺は思い出していた。
……。
「いい仕事があるの。引き受けて下さらないかしら?」
売られたとは言っても、まさか本当に俺という一人の人間が売られてしまった訳ではない。多額の金と珍しい本で、強引にアルバイトを辞めさせられてしまっただけだ。
何が目的か、どこに連れていこうというのか。
何も聞かされないまま、古本屋から追い出される形で外に出た俺は、とぼとぼと女の後を追っていた。
しばらく歩いたところで立ち止まると、不意に女は仕事の紹介を始めた。目の前には働き先を辞めさせられ、途方に暮れている男が一人。
金がなければ一人暮らしだって成り立たない上、学園生活にも大きな支障が出る。由々しき事態だ。――でもな?
「どの口で、そんなこと……」
そのような事態を招いた原因は、この女なのだ。
厚顔無恥とはこのこと。今すぐにでも、引っ叩いてやりたい。
「お金、必要なんですよね? あの本屋で働くより、ずっと稼げると思いますけど」
余計なお世話だ。俺は、あの場所が好きだったのだ。
幸は薄そうだが、可愛げのある店長と二人で働くあの場所が。……ま、その店長には簡単に捨てられてしまったが。
「いくらですか?」
「うん?」
「その、いくら出るんですか? 給料」
「受けてくれるのですか!」
なぜか目を輝かせている女。この状況を作り出しておいて、今更何を。
どうせ強制的にでもやらせる気だったのだろと疑う。断りでもすれば、隣にいる屈強な男に頭を撃ち抜かれそうだ。
「ん~。給料は、あなたの能力次第ですが……」
何それ。どういう仕事? 個人的には、安定性のある仕事の方が好きなのだけれど。
しかしよくよく考えると、古本屋に来ておいて、本を買わずに店員を購入するような無法者の紹介する仕事。まともな仕事のわけがない。
「少なくとも、二年で一千万」
「え?」
安定性なんてくそくらえ。一千万? 聞いたか、おい。しかも少なくともだってよ。
隣を歩いていた屈強な男の背中をばしばしと叩く。が、何も言ってくれず、ニタリとした笑顔を一つ。――すみません。
しかし、今の話が本当なら確かに凄いけど、なぜ二年なのか。スポーツ選手の契約ではあるまいし、一年で五百万では駄目なのだろうか。
小さな疑問は置いておいても、こんなのあれだろ。絶対危ない目に合うじゃん。小麦粉だからとか言い包められ、怪しげな白い粉を運ぶ仕事に違いない。
嫌だよ? この歳で国家権力のお世話になるのは。
「安心して。至極、真っ当なお仕事だから」
不安が顔に出ていたのか、満面の笑みを俺に向けてくる女。
おそらく、この誘いを拒否することはできないだろうと思う。古本屋での強引な一件、拒否をしたらしたで後が怖い。
まあ給料は魅力的だし、女の言葉を信用するなら至極真っ当な仕事。受けること自体は構わないのだが。
返事をする前に、少し質問をしてみる。
「あー。未経験でも?」
「歓迎します!」
「職場の雰囲気は?」
「アットホーム!」
「誰にでもできる簡単な?」
「お仕事なのぉ!」
「よっし! では、やらせていただきま――」
「とは、言えないですね」
あかん。この仕事からは黒い匂いがする。
素直に答えてくれたことには好感が持てるが、誰にでもできる仕事ではないのか。
簡単と銘打っておき本当は難しかった、なんていうのはよく聞くが、そこから否定するということは難しいどころの話ではないということか。
「どう……かしら?」
先程までの楽しそうな表情から一転、無言で立ち尽くす俺に断られるとでも思ったのか、不安を滲ませた表情で彼女は言う。
助けて、お兄ちゃん――
思い出していた。忘れてはいけない、忘れたい過去。
今、目の前にいる女は違う。顔や髪型、性格だって似ても似つかない。――しかし。
「分かりました。よろしくお願いします」
女の提案を受け入れることにした。
「ふふ! ありがとうございます。期待していますね」
ほっと安心するような表情。弾んだ声色に、俺も顔の筋肉を緩ませる。
初めて会った時も、今回も、なんでだろうな……。
この女を見ていると、あの時のあいつを思い出してしまうのは。
「あ、ここで少々お待ちを。お手洗いに行ってきます」
「はい」
話がまとまったところで、一休憩。
俺を含め、女の周囲を固めていた男達も、さすがにトイレの中にまではついていかなかった。
トイレの入口から離れた所で、女が出てくるのを待つ。
数分が過ぎた頃、悲鳴が。
女は、拐われた。
……。
今日も、新幹線をご利用下さいまして、ありがとうございます――
車内アナウンスの声に、耳を傾ける。
途中妨害にあいつつも、拐われてしまった女を助けるため、ここまで追いかけてきた。
もちろん警察にも連絡をいれたが、状況説明もおぼつかないまま、目の前で新幹線に乗られてしまい俺も飛び乗ったのだ。いくら有能な警察がいたとしても、この列車に間に合うことはない。
列車は、十六両編成で途中停車駅も少ない、いわゆる最速達列車と位置づけられているもの。
終着駅までの所要時間は、およそ二時間三十分。少し寝るにはちょうどいいくらいの時間だが、今回その余裕はない。
追いかけ、俺が乗り込んだのは十四号車寄りの十三号車。トイレ等が設置されている方のドアから。この先にあるのは、十四号車から十六号車までの三両のみ。
拐われた女も、その女を拐った奴らもその中にいるはずだ。
運の良いことにたったの三両。とりあえず探してみるかと、背を預けていたデッキの壁から体を離す。が、そこで問題に気付く。
女の顔を、あまり覚えていない。背格好はぼんやりと思い浮かぶが、丁寧に確認していかないとこれだと言える自信はない。見逃しでもすれば大変だ。
さらに大きなトランクやトイレなんかに閉じ込められていることも考えられるし、名前もまだ聞いていない。助けに来たぞと大声で呼びかけたとしても、簡単に声を出せる状態とは考えにくい。意識を奪われている可能性だってあり得る。
一度そこまで思い至り思案していると、新たな問題が浮上した。時間だ。
怪しい人物や荷物、それらしい場所を細かく調べて行くしかないのだが、最初の停車駅までは十分とかからずに到着してしまうのだ。
相手さんがどの駅で降りるか分かっていない以上、最悪を想定するなら、俺に与えられた時間はほとんどない。
「無理、だな」
十分弱で何ができるというのか。何もできない。
残念だ、すまんと心の中で謝った。謝りつつも、壁に貼り付けてある車内設備や座席配置についての案内を見る。
この先で注意すべき場所は、座席部分を除くと、トイレが二箇所に喫煙ルームが一箇所。
ざっと調べていくだけなら、大して難しくはないかもしれない。
それならっと歩きだし、ドアを開け十四号車へ。引き返す。
一体何をしているのか。誰かに見られていたならば、俺こそが不審者だっただろう。
でも違う。思いついたのだ。今の自分に出来る、最善と言える方法を。
「まもなく、――です」
どうやら、到着したようだ。
飛び乗ったデッキの壁に再び背を預け、人の行き交いを見ていた俺は、ドアが開くと同時に停車駅のホームに出る。
人の出入りを考え少しだけ横にずれた後、後ろ三両から降りる客を一人ひとり見逃さないように確認していく。この瞬間だけは、失敗は許されない。
平日の夜、それも短い区間だということもあり、幸いにも人の出入りは少なかった。
ドアの閉まるぎりぎりまでホームに立っていた俺は、閉まる前にまた車内へ戻る。
そうだ。降りるなら、降りればいい。そこから、また追いかければいいだけの話だ。
問題とすべきは時間ではなかった。最も厄介なのは追う方と追われる方、一方が降り、一方が降りないという状況。
そうなれば打つ手はなくなる。厄介というより降参だ。
ホームに出ている間に前方車両へと移動されてしまうことも考えたが、おそらくそれはない。
女を拐ったあいつらも、追いかけてくる俺の姿を確認し、自分達と同じ列車に乗ったのを見ていたからだ。
鉢合わせしてしまう危険性を考えると、とてもそんな真似はできまい。
次の停車駅までの時間も十分足らずだった。
同じことを繰り返し、車内へ戻る。降りる気はないらしい。
今の駅で降りないならば、ここが勝負所。次の停車駅までには、相当時間に余裕がある。
気を引き締め直した俺は、今度こそ十四号車へ歩みを進める。
身構えていたが、そんな俺の気持ちとは裏腹に、十四号車の確認は驚くほど早く終わった。乗客がほとんどいなかったためだ。
いるにはいたが、点々と座っていたのは誘拐犯とは到底思えない人達ばかり。がりがりに痩せた大学生らしき男に、チャラチャラした若いカップル。
偽装している可能性は捨てきれないが、誘拐された女本人が見当たらない上、人一人が入るような大きな荷物も持っていなかったため、変に突っかかるのはやめておいた。
どちらかと言えば、車内の確認よりも車内検札の方に神経をすり減らされた。
車内検札とは、車掌が乗客の切符所持等を確認するあれだ。
扉が開いた瞬間、それが誘拐犯であることも考え、空いていた座席に滑り込んだ。が、入ってきたのは車掌だった。
安心したのもつかの間、切符を拝見しますという声が聞こえ、また焦りだす。
何せ誘拐犯の追跡で、切符を購入する余裕なんてなかったのだから。
結果的に言えば、何事もなく検札は終わった。
切符どころか、金すらほとんど持ち合わせていなかった俺は、寝たふりをしてやり過ごしたのだ。
実はこの検札、寝ている乗客には声をかけてこないことが多いのだが、十四号車は指定席が配置された車両。
試したことはないが、予約のない座席に誰かが座っていれば、無理に起こしてでも確認をされていたかもしれない。
まあ、非常時なのだ。後であの女が払う。許してくれ。
「――はぁい、お兄さん。ちょっと遅かったんじゃない」
「まだ若そうだってのに勇敢だな。来ないと思っていたぞ」
そして何事かが起きたのは、十四号車と十五号車、車両間デッキ部分にある左右の喫煙ルームに挟まれた通路を、通り抜けようとした時だった。
左右の喫煙ルームのドアが同時に開き、前に立ち塞がる二人。おねえ口調の坊主頭と、低い声の金髪男。
「あなた達が、途中で降りるかもしれないと思いまして。なんだ、待っていてくれたのなら、そう言っておいて下さいよ。無駄な時間を使ってしまいました」
俺がそう言うと、金髪男はハハッと笑い、肩口まで伸びた髪を掻き上げる。坊主頭はくねくねと体を揺らしていた。
見た目と中身があべこべというか、容姿か性格を逆にすればちょうど良さそうなのだが。と、どうでもいいことを頭の隅で思いつつ、構える。
自分が追う方とばかり思っていたのに、こんな奴らが待っているとは。少々目立つ二人だが、こいつらは間違いなく誘拐犯の仲間だろう。
仮に違っていたとしても、怪しい出で立ちの二人組が若い男子学生に声をかけるという事案発生。車掌さん、助けて。
「痛い目にあいたくなければ、これ以上追うのはやめろ」
「掘っちゃうわよ」
「こわ……」
誰のどこを掘るつもりなのか、坊主頭のウインクにぶるりと悪寒が走り、尻の穴がきゅっと締まる。
掘られるのは勘弁だし、もちろん痛い思いもしたくない。だが、これでますます放っておけなくなったなと思う。
発言の内容はともかくとして、目や雰囲気から感じ取ることのできる二人の異常性。
おそらくこの二人が生業としているのは、誘拐や人殺しといった、有り体に言えば裏の仕事。それ専門の業者。
今回の誘拐。俺が列車まで追いかけるのを妨害してきた奴らの人数に加え、こんな奴らまで雇っていることを考えるに、あの女への入れ込み具合は相当なものだ。
身代金が目的ならまだ御の字。連れ去られでもすれば、何を要求されるか分かったものではない。
俺と女の関係は、正直言って薄い。このまま無視をすることだってできる。
明日はいつものように学園に行き、その後古本屋の店長にもう一度雇ってもらうよう頼み込む。それで終わり。――だが。
「お? 本当にやる気か? 遊びじゃねえんだぞ」
「おほっ! 何だか私のヤル気も、むらむらと上がってきたわぁ」
深呼吸をし、一歩前に出た俺を見て驚く二人。驚いたあと、頬を引きつらせ鼻で笑った。気持ちはわかる。
実際のところ、魔法世界で生きてきた分を合わせるとこいつらよりも長く生きているかもしれないし、それなりの根拠があって問題なしと判断した。
だがこの二人にとっては、顔に皺の一つもないようなガキが、正義感を振りかざして粋がっているようにしか見えないだろう。
あと、やる気はむらむらと上がるとは言わない。
「道を、譲ってはくれませんか? 僕の予約した席が、その先にあるのですが」
「予約ねえ。くく。お前、予約を入れるどころか無賃乗車だろうが」
「何をおっしゃっているのか、よく分かりません。人違いでは?」
油断させておいて損はない。が、すっとぼけてはみたものの、手応えは感じない。俺の顔写真でも配られているのだろうか。
まあいい。荒事は勘弁して欲しかったが、この状況から得られるものもある。お前らみたいな奴らがここで待っているということは、この先にあの女がいるということ。
ゆっくりと、歩き出す。
「はぁん!」
俺が歩き出したのを見て、まずは坊主頭の方が殴りかかってきた。
横幅のない、狭い通路。姿勢を低くし、だっと前に駆け出す。大きく振りかぶられた腕を掻い潜り、脇の下に突っ込んだ。
入れ違いになるような格好、すぐさま坊主頭の尻を後蹴りにする。
殴りかかり、前のめりになっていた坊主頭は床を滑っていく。
背後を確認する暇もなく、次は顔面めがけて金髪男の鉄拳が飛んできていた。
少しかすめつつも何とか避けると、喫煙ルームのドアに背が当たる。
間髪入れず、空を切った腕の肘を突き出してくる金髪男に対し、肩と肘の間、出だし部分を勢いが付く前に抑え受け止める。
肘打ちを受け止められた直後、体を捻りつつ反対側の手で殴ろうとする金髪男。
ポーンと音が鳴り、一歩下がる。喫煙ルームのドアスイッチを、後ろ手で押しておいたのだ。
俺がそれ以上後ろに下がれないと思っていた金髪男の横殴りは、顔の前を通り抜けていく。
その瞬間、前方に体のバランスを戻すのと同時に、金髪男の襟を両手で掴み、引き寄せ、腹を思い切り膝で突いた。
もう一度、膝で蹴る。
みぞおちを蹴られ、苦しそうな表情を見せる金髪男の体を、再度向かってきていた坊主頭の方に突き飛ばした。
金髪男を両手で受け止め、尻もちをつく坊主頭。
坊主頭が顔を上げた瞬間、俺の足が顎を蹴り上げた。
「ぐ、う……」
腹を抑えながらも、未だ意識のあった金髪男の顔を殴ると、二人は完全に沈黙した。
とめていた息をふうと吐き出し、気を失っていた二人を喫煙ルームの中に転がすと、俺は十五号車へと進んだ。
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