科学世界2 望まぬ巣立ち

 喧騒が聞こえ始める。息を止め、ぐぐっと背筋を伸ばし、筋肉に力を入れる。

 体の内側に溜めていた空気を一息に吐き出すと、肩が下がるのと同時に全身の筋肉が弛緩した。

 放課後だ。いつの間にか、眠ってしまっていたようだ。


 半覚醒状態の頭で、視線だけを動かし周囲を見渡す。

 ある者は部活、ある者は遊びに出かけ、またある者は学園内に残り友人とお喋りを楽しむ。異なる学年、異なるクラスの奴らも入り混じり、体の内に溜め込んでいた淀みや鬱憤を解放させるかのように声を弾ませていた。

 学園、その放課後特有の雰囲気。わいわいがやがやと、思い思いに行動を開始するこの瞬間が俺は好きだ。

 甲高い音を立てる機械には真似出来ない、心地の良い自然の目覚まし時計。


「おい。あれ、見てみろよ」

「何だあれ。すごいな……」


 どこかから聞こえてきた声が頭に響き、見ていた夢のことを思い返す。

 ああ、確かにすごいよな。こちらの科学世界では、まだまだ青春真っ盛りの学園生だというのに、魔法世界での俺は所帯を持ってしまいそうな勢いだ。

 決定的な一言さえ未だないものの、もはや時間の問題だろうと思う。


「そろそろ……覚悟、決めろよな?」


 誰にも聞こえないように、小さく発した一言。

 科学世界で生きる俺と、魔法世界で生きる俺。どちらも自身であることは間違いない。だが今のように、他人事のような言い方になってしまうのには訳がある。

 二世界を同時に生きる。それはつまり、記憶や知識の共有だと思っているのだが、そこに感情が追いついてこないのだ。

 その日、その時、その場所で、何を思ったか等という記憶までもが残っているはずなのに、別世界に生きる自身には浸透しない。

 例えるなら、自身が主人公の映画を観ているかのよう。感情移入はできるが、本当の意味での共有はしていない。


 しかしまあ、それで良かったと俺は思っている。

 喜びや楽しみ、プラスの感情はぜひとも共有して欲しいところだが、怒り、憎しみ、悲しみといったマイナスの感情を共有してしまっていたとしたら、今頃まともではいられなかっただろう。

 一人分の重みにすら、耐えられないときだってあるのだ。

 どこかのタイミングで自らの命を断っていた可能性は高いし、仮に生活を続けていられたとしても、情緒不安定になることは間違いない。


「すっげぇ美人。あんな娘、うちの学園にいたか」

「いないだろ。制服も着てないし……転入生?」


 魔法世界の俺、頑張れよ。いや、頑張るのは俺なんだけどな。

 くだらないことを考えつつ帰り支度をしていると、いつもとは色の違う雰囲気を教室から感じ取り顔を上げる。

 色めき立つというか、そわそわと落ち着かないというべきか。


「そうだお前、ちょっと話しかけてこいよ。目の覚めるような美人と付き合いたいって、この前言ってたじゃん」

「そうだけど……あれはちょっと。不用意に近づけば、両脇を固めている厳つい男達に射殺されてしまいそうだ」

「ここ、日本だぞ。でも、確かに怖いな」


 窓の外を見つつ話す男子生徒たちの話を盗み聞きし、ようやく俺も重い腰を上げる。

 美人というのはともかく、射殺だなんて物騒な言葉も聞こえてきたが一体……。好奇心半分で、窓の外を見る。


 門の側には、ひと目でそれと分かるような高級車――おそらくあれに乗ってきたのだろう――が止まり、校舎に向かって歩いてくる髪の長い女。女の周囲を固める迫力のある男達。

 平和な放課後を乱すような異様な雰囲気に、下校途中の生徒たちも立ち止まり彼女たちに視線を向ける。

 その光景をしばらく眺めていた俺は、服の上から腹を擦ると、鞄を持ち上げ教室を出た。



 ……。



「すみません。――という名前の男を探しているのですが」


 このクラスだとお聞きしたのだけれど。と、一直線にその教室までやってきた女は、扉近くにいた生徒に話しかける。


「あなたは……」


 好奇の視線が集まるも、女は視線を寄越す生徒達を見渡したあと一度微笑み、問いかけていた生徒に先を促した。


「いるのかしら? いないのかしら?」

「あ。ごめんなさい。さっき、帰るのを見たような」

「そう。入れ違いになっちゃったのかしら」


 うーんと唇に指を当て、考える素振りを見せる女。

 来た道を引き返すのかと体の向きを変えるが、そこで何かに思い至ったのか振り返り、再び同じ生徒に質問をする。表情は、なぜか険しい。


「一応聞いておきたいのだけど、その男はいつ頃お帰りになられたのかしら?」

「今さっき、だよね?」


 問いかけられた生徒は、隣にいた友人の方を見ながら質問に答える。

 問いかけられていた生徒の友人は首を縦に振った後、確信はないのかたぶんね、と付け足していた。

 さらに険しくなっていく女の表情。


「そうだ。皆が窓に集まっていた時だから、少し前で間違いありません。二、三分くらいだと」


 いい加減なことを言ってしまったという後ろめたさか、不機嫌な表情をする女を見て怒らせてしまったと勘違いしたか、問いかけられていた生徒は出来る限り具体的に、畳み掛けるように言う。

 女が聞きたかった話はまさにそこだったのだが、それゆえに不機嫌さは増していく。


「最後に一つ。覚えていればでいいのだけれど、その男も、帰る前に窓の外を見ていませんでした?」

「あ! そうです! 見ていました! ……あ、その、それも一瞬で、特に興味はなさそうに帰っていったような」


 女が不機嫌な理由は分からないが、名誉挽回とばかりに勢い良く答える生徒。

 しかし女の変わらない表情に加え、そもそも男がどういった行動を取ることが正しかったのかも分からず、尻すぼみに補足した。

 結局どっちつかずの答えになってしまったが、女はニコリと笑ったあと、ありがとうと礼を言い去っていった。


 ――今のは一体。

 ――まじでかわいい。

 ――あんな奴と何か関係が。


 授業中、窓から入ってくる蜂。学園まで追ってきてしまった誰かの愛犬。代わり映えしない日常に差し込まれる異は、際立って目立つもの。

 今しがた起きた軽い事件に、教室中がにわかに騒がしくなる。

 そんな中、女が最後に見せた笑顔を見て、今までの失言、もしくは失態を全て許されたように感じていた生徒は胸を撫で下ろすと、その後ですぐに体をびくりと震わせた。

 女の去った方向から、憤りの声が聞こえた気がした。――あの男、逃げたわね!?



 ……。



「普通、自分に用があるなんて思いませんよね?」


 俺の安らぎの空間。自称霊感が強いとうそぶく、大きな隈が消えない店長と共に働くアルバイト先の古書店。

 そこは今、一人の女と、その手下らしき奴らによって占拠されていた。

 しかも、私が学園に会いに行ったことを知りながら逃げたでしょう、という不当な言い分で。


「朝、あんなことがありましたのに?」


 腰に手を当て、顔を少し傾ける女。なんだかかわいい仕草だ、なんて考えている場合ではない。

 朝といえばあれ……あれは、確かに驚いた。でもだからこそ、君を忘れてしまいたいのだが。

 朝の一件には触れず、どうにかやり過ごせないかと試みる。


「えと……あなたが歩いてくるのを、教室の窓から僕が見ていたはず、とか何とか言ってましたけど、実は視力があまりよくないもので。遠くのものがみえ――」

「右目、左目共に1.0。至って普通。いえ、どちらかと言えば良い方ですよね? ついでに、血液型はABかと」

「え?」


 なぜそれを。いや、こう言い直そう。何でそれを。

 何でも聞いてみなさいと言わんばかりの女に、試しにいくつか質問をしてみると、家族構成から趣味、さらには昔飼っていたペットの名前までをずばり。俺の個人情報は、徹底的に調べ上げられていた。

 調べ上げられていた理由は不明のままだ。


「認めてください。私を無視して逃げ出したことを。諦めて下さい。どんな言い逃れも、私には通用しないですよ?」


 店長! 顔をさっと隣に向け、両手を上げていた店長に助けを求める。ちなみに俺も両手を上げている。

 身長の低い店長は体がほとんど隠れてしまっているが、カウンターで二人して万歳している光景は、まるで強盗を相手にしているかのよう。

 まあ今の状況は似たようなものだし、抵抗しない意思表示といえばやはりこれだろう。


「話は分かった。バイト君、全てを認め謝りたまえ」

「申し訳ございませんでしたぁ!」


 躊躇うことなく、謝った。それはそうだろう。無視をして、逃げ出したのは本当のことなのだから。

 約束もなく突然やってきて理不尽だろ、と思う気持ちもなくはないが、俺の安い頭を下げこの状況が何とかなるのなら、何度だって謝ってやるさ。

 ほら、謝っただろ? 早く出ていけよ。そもそも無視をしただなんてそんな理由だけで、わざわざこんな所まで追ってきたのか。暇人め。


「ん~、許してあげましょう。では……撃ちなさい」

「ええええ!? 全然許されてないんですけど!?」


 心の声でも読み取れるのかと妄想し、暇人と罵ったことを心の中で平謝りするが反応はない。それならばと再度罵詈雑言を浴びせてみるも、顔色一つ変えない女。

 私を無視したことは許すけど、この世界に存在することは許さないとか、そういうことなのだろうか。

 俺が理不尽な世界を呪っている間に、サングラスをかけた迫力のある女の手下が、上着の裾を掻き分けベルト辺りに手を伸ばす。

 理不尽な世界の被害者、なんでもない古書店に務める二人の店員は、突然の殺害宣言にあわあわと焦りだす。


「あ、ごめんなさい。少し噛みました。売りなさい、と言いました」


 両手を上げたまま、グスンと涙目になっていた店長。俺がその店長を守るように抱きしめていると、背中でとぼけたことを言う女。

 恐る恐る顔だけを後ろに向けると、迫力のある男は伸ばしていた手を引っ込め、今度は懐に手を突っ込む。

 そして、ばさりとカウンターに落とされる分厚い金の束。――ふう、ただの買い物か。びっくりしたぜ。


「そ、そういうことなら早く言って下さいよ。お金持ちですねぇ。これだけあれば、何だって買えますよ。古い本ばかりですが、ゆっくり見ていって下さい」


 店長から体を離し、営業スマイルを浮かべる俺。後から思えば、この時は頭が麻痺していたのだろう。

 このようなお金の束を投げられ、本を買いにきただけだなんてあり得ない。


「私が買うのは、あなたです」


 失礼にも、俺を指差してくる女。

 おいおい……店長! ちょっと言ってやって下さい! この女、人身売買に手を出そうとしていますよ。あなたを身を呈して守ろうとした男が今、買われようとしています。その素敵な男は、売り物なんかじゃないですよね。

 やれやれという表情。肩を落とし、店長の方を見る。


「それは、さすがに非常識ではないかね? ここは本屋。本を買いなさい」


 さすが店長。いいことを言う。

 こんな売れもしない古本ばかりを集める店長なんだ。変わり者も変わり者。金なんかには屈しないのだ。


「待って下さい。あれを」


 女が手下に命令し、次々に積み上げられていく謎の本の山。


「む……この本は! まさか!」


 このような古臭い本を積み上げ、店を荒らすんじゃない。と、俺が口を開きかけた瞬間、店長が本の山に飛びつき、るんるんと物色を開始する。――あれ、店長?


「今はもう、手に入りづらいものばかりを集めさせました。どうでしょう? 先程のお金も、もちろんお渡し致しますが」

「はは、店長。そんなに目を輝かせてどうしたのですか? こんな本、ちょっと頑張れば俺にだって取り寄せ――」

「売った! このバイト君は、今から君のものだ!」


 ――店長!?


「ありがとうございます。では、遠慮なく」

「店長?」


 店長に頭を下げ、微笑む女。何らかの本を愛おしそうに両手に抱え、微笑む店長。驚きに口が塞がらない俺。

 一瞬の静寂のあと、取り繕うように店長が声を発した。


「バイト君。君の守護霊が言っている。君は、羽ばたく時期なのだと」


 店長ぉ!


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