第4話

「卒業式のこと……覚えてる」

 こうなったらもうやけだわ。口の中のパンを飲み込まないままでふて腐れたように答えた。

「本当に? チーちゃんはきっともう忘れちゃったと思ってたよ」

「忘れるわけないわよ」

 これもまた、下を向いて怒ったように……。

「小さい頃ってさ、なんでも言えちゃう時期だと思うよ。逆に、言っとかないと損することが多い。あの頃のことはみんないい想い出になったと思うな、俺」

「いい想い出……」

 小さな声で呟く。マー君にも聞こえないぐらいの、小さな声で。

「何? 今、なんか言った?」

 私はプルプルと何度か首を横に振った。

 ──いい想い出になった。その言葉が何度か頭の中で繰り返される。

 マー君にとっては、あのことがもう想い出になってしまったんだと思うと、少し寂しい気がした。

 私は確かに後悔している。なぜあの時あんなひどいことを言ったのだろう。あの時にもし「私もマー君のこと好き」と言っていたら、今はいったいどうなっていたんだろう。

 こんなこと考えたって仕方ないのに。だって私とマー君の仲は、きっと中学の三年間で完全に架空になってしまったんだ。

「そういえばさ、このエレベーターってずっとあるんだよな……」

 マー君はエレベーターの中をぐるりと一隅した。

「俺とチーちゃんが小さな頃もあった。そして、今もある。全然チーちゃんと顔を会わさなくなった今でも、チーちゃんはこのエレベーターに乗っている。勿論、俺も」

 優しい笑顔を浮かべながらマー君は言う。桜の木の下で見せたときの、あのぎこちない笑顔からは想像できない顔だ。別人なのかな、あの頃とは。そう思うと、あの頃を知っていることが、ただそれだけで嬉しくも思えた。

「おもしろいな、と思ってさ」

「そうかな……。ううん、きっと、そうかも」

 今更ながらにして思ってしまう、いちいちあの時のことにこだわる自分がバカらしいと。どうして、もう想い出なんだからと割り切れないのだろう。この時間は神様がくれた時間かもしれないのに。もっと有効に使わなくては。そうだ、きっと楽しいはずだ! 昔あんなに仲がよかった幼なじみだもん。今日で終り、あの頃のことは……。

「ねえ、今なにしてるの? 部活は」

 俯いていた顔を上げ、明るい声を出して聞いてみた。

「剣道部」

「剣道部? ……らしくない。なんか、イメージかわっちゃうなぁ。だってマー君、小学校の頃、剣道習いに行ったことあったでしょう? でも、ほとんど三日坊主で終ったんじゃなかったっけ?」

「いやぁ〜、恥ずかしいよ。あの頃はどうも、俺根気がなくてさ。ケンカしてもいつもチーちゃんに負けてたし。今更やりはじめても大して上手くならないだろうけど、あの時の埋め合わせとでもいいますか……」

「また、辞めたりして……」

「あっ、わかる? もう練習がきつくてさぁ」

 マー君は肩に手をあて、いかにもそこが凝っているというように腕を回してみせた。

「だめよ、続けなくちゃ。私だって今は家庭科部で頑張ってるんだから」

「チーちゃんが家庭科部!?」

「なんでそんなに驚くのよっ」

「忘れもしない。あれは小学二年生の頃。俺とチーちゃんが同じクラスだった時だよ。パンを作らされた時があっただろう。その時、俺チーちゃんと同じ班でさ、チーちゃんがてきぱきとやってたから、安心してあまり手伝わなかったんだけど、パンができあがったらさ、俺達の班だけ『いったいあなた達は何を作りたかったの?』なんて、先生に言われたんだよな」

 確かに、そんなこともあった。

「チーちゃんが重曹を入れ過ぎたせいで、オーブンで焼いてる途中にバンッ! だもんな。それからは、後の祭というやつでさ」

「あれはマー君が面白がって重層を入れたんじゃないっ!」

「あーっ! チーちゃんそんなこと言うんだ! 飛んだ濡衣だよ。あれはチーちゃんが勝手に目分量で入れたからだろっ!」

「違うわよ!」

「違わないよ!」

 しばし睨み合う。でも、二人ともすぐに目線を離して笑いだした。

「でもさ、あのばらばらになったパン、結構いけたよね」

「そうそう、きれいに無くなっちゃってね」

 笑いながらも不思議だった。あの頃のままのような気がする。マー君との付き合いが疎遠になりだした空白なんて、まるでない。マー君といた時間を昨日のことのように思い出せる。

 ちょっとやそっとのことでは忘れないことが、私には沢山あった。マー君はどうなんだろう?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る