第2話

「明日はやっと日曜日。待ちに待った日曜日……」

 私は、小さな声で鼻歌のように独りごとを言いながらエレベーターに乗り込み、六階のボタンを押した。

 べつに日曜日だからといって、取り分け何があるというわけでもなっかったが、私は次の日が休みだというと、子供の頃からむしょうに嬉しくなってしまう質だった。でも、さっき別れた友人との会話を思い出し、大きなため息が出てしまう。

「あーあ、美香は明日デートだって言ってたっけ……いいなぁ」

 項垂れながら奥の壁にもたれると、エレベーターの扉がギギギと音を立てて閉まった。いやな音だ。もうこのマンションも相当なお年になる。

 と、閉じかけた扉が次の瞬間、再び軋み音を発しながら開いた。

「グッドタイミング!」

 などと言いながら飛び込んできたのは、耳にイヤホンをしたブレザー姿の学生だった。ここら辺で見かけない制服。俯きながら咳こもる彼は……

 もしかして、マー君? と、言いたかったのだけど。声にならない。

 ふと、その彼が私を一瞥した。

 やっぱりマー君だ。

 思わず私は下を向いてしまった。マー君も、すぐに私に背を向けるとエレベーターの「閉」のボタンを連打した。

 なんて、気まずい雰囲気なのだろう。耐えられない。だけど、こうなってしまったものは仕方ない。このうえは、一刻も早くエレベーターが六階に停まるのを祈るばかり。

 マー君ちは最上階の八階なのだ。私の方が先に出る訳だから、マー君が私の前に立ち塞がっている今の状態も気がかりだ。時間にして十秒ぐらいだろうか。慌ててマー君の横をすり抜けて出ればいいか。

 ああ! お願い、早く着いて! 

 私はうつむきながら目を閉じて、必死に心の中で祈っていた。


 ——でも、なんか……おかしい。祈る時間が長過ぎる。


『どうしました?』

 ……え、何? このおじさんの声?

 私はゆっくりと目を開けた。自分の靴を見つめながら、耳をそばだてる。

 どこから聞こえてくるの、この声? エレベーターには私とマー君しか乗っていないはず……

「故障みたいなんですけど。……このエレベーター、三階と四階の間で止まっちゃてるみたいで」

  何処からともなく聞こえるおじさんの声に、マー君は答えた。

 こ、故障!?

 何よそれ! とばかりに私は顔を上げた。

 エレベーターのドアの上にある階数表示のランプに目をやると、三階と四階の表示がふたつとも点灯している。

『えっ……な、中の様子は? 君一人だけかいっ?』

 慌てふためくおじさんの声に、マー君は、ちらりと背後の私を見て、

「いえ、二人です」

 と、答えた。

 いったいどうなってんのよっ!

『二人だね、わかった。じゃあ、今すぐ管理会社の人に連絡するから……あっ、それから、あの、その、なるべくその場から動かないようにね』

 カチッ、という音がして、おじさんの声も止まった。

 つまり、このエレベータは三階と四階の間で宙ぶらりんになってるというわけだ。おじさんが「動くな」と言ったのは……

 それっって、もしかして、このエレベーターのケーブルが切れたりなんかして、落ちる可能性があるってこと!?

 きっと、そういうことだと思う。

 思い込んでしまったら、怖い想像が止まらない。足の下に深い闇が見える気がした。床が抜けて、遥か階下にある底が見える……という幻想。

 急に腰がすくんで足がふらつき、とても立っていられる状態じゃなくなり、私は、床にしゃがみ込んだ。

 それでも床が抜ける想像が止まらず、恐怖のあまり何かにしがみつきたくなる。

 長いこと忘れていたが、私は高所恐怖症だったんだ!!

「チーちゃん! 大丈夫?」

 マー君の言葉なんて耳に入らない。

 私は手近にあった物にとにかくしがみついた。

 マー君は私の所へ来ようとして、一歩踏み出そうとした。

「や、やめてよっ! 動かないでよっ! 落ちちゃうじゃないっ!」

 私は恥も忘れて叫びながら必死に両手で何かにしがみつく。それが、マー君の足だとも気づかない。

「私、こいうのだめなのっ! 高所恐怖症なのよぉー!」

「大丈夫。大丈夫だって、チーちゃん。それは知ってるし、エレベーターはそんな簡単に落ちないから」

 意外にも冷静で優しげな声使いが私の頭上に降り注ぐ。

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