第2話

 ◇ ◇ ◇


『禁忌を犯したものはその体に数百の呪いを宿し、そして呪いに喰われ喰らう』


 千文さんが、どこからか出してきた古い本を見ながらそう呟いた。後ろから覗き込むとそこには穢や呪いについて事細かく記されているようである。見慣れない字体でよくはわからないが、古い時代のものだろう。

「それ、なんですか? 」

「『甘莵家呪録あまつけじゅろく』って言ってね、江戸時代に想糸が確認される前から、想糸を色々と研究していた殿様がいたの。穢を兵士として反乱を起こし、その危険さから一族は根絶やしにされ、歴史上からも消されたの。『あまつ』と聞いて思い出したわ」


 険しげな表情で真剣に読み進める千文さんの邪魔をしないようそっと部屋を出た。自分の部屋に向かいながら千文さんの言葉を思い起こす。

「数百の呪い、か……。全身が黒く染まるほどの呪いに人が耐えられはずないのにね」


 ◇ ◇ ◇



 執務室は朝から騒然としていた。見たことのない人が2人。

 何かあったのだろうかと気にはなるが、勝手に動いても迷惑だろう。部屋の隅で様子を見る。

 居心地が悪い。そう感じると2人が騒めく。

『喰うか? 喰っちまうか?』

 楽しそうに嗤う。「駄目だ」と言えば明らかに落胆する。冗談だとわかっているから思わず笑みがこぼれる。

「おはよう、えんちゃん。ごめんなさいね、朝からバタバタしてて」

 ひと段落ついたのか、声がかかる。

 勤務は千文さんに呼び出された時。何とも曖昧なと思ったが、全く呼び出されなくてもここに住まわせてくれると言うのだから、太っ腹だ。

「早速で悪いんだけど、お仕事お願いするわ」


「今朝5時36分、約100体の穢が確認されました。場所稲荷神社付近です。詳しいことはあまりわかっていないわ。退治する方に忙しいみたい」

 現在6時30分。約1時間前か。

「残念ながら数が全然減らないの。それも詳しいことがわからない原因ね」

「その穢を作っている人物の特定は? 」

大津信広おおつのぶひろ。32歳。職業、住所ともに不明。今は移動しながら穢を作り続けてる。彼は穢に守られててこちらからは接触できない状況よ」

 なかなかいいタイミングだ。リーティアが嬉しそうに笑う。しばし考えるふりをしてさらりと告げる。

「1人で大丈夫です。今、退治に向かっている人たちを私の合図とともに帰ってもらえれば被害を広げることなく、30分もあれば終わります」

 拒否など受け付けない。そんな意思を込めて千文さんを見つめる。

 折れたのはもちろん千文さんで。見知らぬ2人が口を出す前にその部屋を後にした。


『オレも喰っていいか? 』

 珍しく様子を伺うようなグログラムにリーティアは不満げに声をあげる。

『あんたはこの前あの男の子の異形喰べたんだからいいでしょ』

『あれで腹一杯になるわけないだろ』

 もうすぐ目的地に着く。このままでは決着がつかないだろうと、提案する。

「グログラムは3分の1だけ喰べてよし。あとはリーティア。文句ないでしょ」

 渋々といった風に承諾する2人に満足げな笑みを浮かべる。

 意識を切り替え、男の詳細な位置を調べるために稲荷神社近くの建物の屋上に上がる。

 活性化している異形であれば捕捉するのは簡単。そして予定通りすぐに男の居場所を掴む。

 スマホを取り出し千文さんに連絡する。すぐに、撤退完了が告げられる。

 1人、全く動こうとしない真っ黒いローブを羽織った人がいるが、気にしないでおこう。これはチャンスだ。

 もう一度男に目を向け眼を凝らす。

憤怒ふんぬの異形か……。またタチの悪いものを」

 異形には共通点がある。それは『持ち主の想糸を喰う』ということだ。

 その中でも憤怒の異形は、喰べた想糸を使い、どんどん穢を作り出していくのだ。普段はおとなしいらしいしが一度その状態になってしまえば持ち主を殺す以外、対処のしようがない。

 ……本来ならばだが。

「リーティア、今日は久々に活躍してもらうよ」

『えぇ、もちろん』

 男に手のひらを向ける。リーティアは手のひらへ移動する。

「強欲の呪いよ、我が血と縁の名の下に命ず。我らが罪、異形を操れ」

 想糸が延びる。

 捉えた。

 そう感じた途端、男は糸の切れた操り人形のように動きを止め両腕が垂れる。次の瞬間男は先ほどまでと違い、自らが生み出した穢を次々と殺していく。

「チェックメイト、だね」

 その様子をリーティアは楽しそうに眺めている。

 血が飛び散り、男の体にへばりつき、呪いが作られる。

 いくつか私の元にやってきた呪いもいたが、それを気に止めることはない。どうせリーティアの支配下にあるのだ、すぐに喰べられてしまう。

 10分も経たないうちに男は穢れを全て殺す。男の体は呪いに埋め尽くされ真っ黒く染まっている。

 男のすぐそばへ降り立ち手のひらで男の肌に触れる。リーティアとグログラムはもう移動済みだ。

「強欲の呪いよ、悪食の呪いよ、我が血と縁の名の下に命ず。我らが罪、異形共々喰らい尽くせ」

 かかった時間はおよそ5秒。ゴクンッと飲み込む音が聞こえ手を引っ込める。同時に男はそのまま路上へ倒れる。

 男に背を向けスマホを取り出し千文さんに繋ぐ。

「終わりました。男は非常に衰弱している様子です。どうしますか? 」

「救護班を向かわせるわ。合流するまで待っていてくれる。救護班に男の身柄を引き継ぎ後帰ってきてください」

「了解です。……千文さん、すみません。取り逃がしたようです」

 振り向いたら100メートルほど先に黒いローブを羽織った人が男を抱え、走っている。

 追いつけないわけではないが、いい餌になる。

 走り去るその人影が突然立ち止まり、こちらを振り返る。

 ローブの下から微かにのぞいた表情は呪いの笑みに似ていた。


 執務室には千文さんと今朝見かけた2人、安東さん、そして美織ちゃんと伊織くん。

 敵対心がひしひしと感じられ、なんとなく居心地が悪い。

 なんらかの方法で、あの光景を見ていたのだろうか。

「取り逃がしてしまい、すみませんでした」

 ひとまず謝るのが正しい判断だろう。与えられた仕事を不完全な結果で終えてしまったのだから。

 何も言葉をかけられることなく時計の秒針の音が部屋に響く。

 その間、頭は下げたままだ。

「お疲れ様。今回のことは仕方ないよ」

「白々しいですね、全く。……千文さん、こんな何処の馬の骨ともわからない人、早々に捨てた方がいいと思いますが」

 安東さんが言い終わると同時に千文さんの隣に立っている男が怒りを滲ませたような声を出す。

 眼鏡をかけた不愛想な面をしたその男は私の顔を見ると一層顔をしかめる。反対に私はいつも通りの無表情である。可愛げがないという点で私が優っているだろう。

「『なんだこいつ。喰ってもいいか、縁。喰ってもいいだろ』」

「『落ち着きなさいな、グログラム。そんなことしたって意味もないでしょう。それにこんな小者の言うこと、縁ちゃんが気にするはずないでしょう』」

 明らかに、周りに聞こえるように声を出す2つの呪い。私はため息を噛み殺し、2人をたしなめる。

「『あら、事実でしょう。それにあんまりにも怒らないから私たちが怒ってるのよ』」

「『そうそう。縁は自分のことどうでもいいと思ってる節があるからな。オレたちの器として、それじゃ格好がつかねぇだろ』」

 本当にこの2人は厄介だ。この場をかき乱すことをわかっていて、楽しんでいる。けれど、心配してくれてもいるのもわかるので強くも言えない。

「ありがとう、2人とも。でも取り敢えず静かにして。ややこしいから」

 そんなやりとりをする私たちを見て、ますます顔を顰める。

「今の声はなんですか? ……まさか千文さんが言っていた、呪い⁉︎ 」

 男が胸元から取り出したのは銃。安東さんが持っている想糸によって作られた銃とは違い、本物の実弾銃だ。

 こんなものを持っていてよく捕まらないものだな。

 人ごとではないのだからもう少し取り乱してみてもいいかと思うが、そんなこともせず。

「まぁまぁ、落ち着き〜。さっくん。この子に敵意はないみたいやし〜、ウチとしてはこの子気になるし〜。さっさとそれなおし〜よ〜」

 なんだか、つかみどころのない女性がさっくんと呼ばれた––花影咲良はなかげさくらというらしい––男をたしなめる。脅す、と言う方が正しいかもしれない。

 花影さんは渋々といった様子だが、銃を戻す動作は素早い。

「ま、この子がわざと逃したんとしても、過ぎたことやからしゃーないとして〜。で、実際どうなん? 」

 ゆるい口調とは反対に鋭い目つき。油断ならない人だ。

 嘘をついてもすぐにバレるだろう。そしたら関係が悪くなるかもしれない。一時的にとはいえここを拠点とするならば、それはよろしくない。

「乱入者が男を連れ去ったのは偶然です。まぁ、いい餌になるだろうと思って放っておいたのは事実ですが」

 いい餌、のあたりで女性は興味深げに目を細める。

 探るような目つき。

 見覚えのあるその表情に嫌悪感が走る。

 私の感情に反応して、グログラムの想糸が暴れ出す。女性まであと数センチというところでそれは止まる。

 暴れ出すと抑え込むのが一苦労。

 肩で大きく息を吸う。

「不運な子やな、あんた」

 あぁ、やはり。この人は知っているのだ。だが肝心なところまでは行き着いていないのだろう。慌てて取り乱せば怪しまれる。落ち着けば大丈夫。

「何か知ってるの、和泉」

「いーや、何も知らんよ〜」

 納得していない様子の千文さんの視線を受け流し、荒井和泉あらいいずみはそっぽを向いている。

 そろそろ体が限界だな。そう思ったら体から力が抜けた。

「えんちゃん!? 」

 体が床に打ち付けられるような痛みを感じ、私の意識はなくなった。

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