第3話 ゼロ距離の青 家庭への侵入、そして逮捕


突然のように車が爆発炎上するシーンを見せた父は何が言いたかったのだろうか。理由を聞いても返事はないだろうと顔を見た時に思った。そこに有ったのは家族さえ「彼ら」に成ってしまうのだという恐怖でしかない。

表情は既に「彼ら」のものだった。

時間的前後関係は定かではないが、こんな出来事もあった。

私が外出しドアを閉め、直ぐに忘れ物に気付いて引き返した時のことだ。一分も経たない時だ。ドアを開くと、「あ、いらっしゃい」と父の声が響いた。

来客を予想していたかのように。

訝しみながら家に上がると父母が揃って機嫌良く誰かを待つ様子だった。

「誰か来る予定だったのか」そう尋ねた。

「何でもない」不機嫌そうに怒鳴るように父が言う。

「いらっしゃいませって今言っただろう?」反駁した。

「そんな事は言ってない。勘違いだ」無表情に戻った父が居間に引き返した。

「彼ら」が来る予定だったのだろうか。いや確かに言った、言わないと何度か無駄な問答をして、私は諦めた。

幻聴ならば父母は誰を出迎えていたのか。

「彼ら」が予想を超えて深く入り込んでいる。居場所はどこにもない。私は途方にくれ、込み上げる嘔吐感のような恐怖に耐えた。

絶え間ない恐怖だけが続いていただけではない。

これを書くには私の創作について書かなければならないので恥ずかしさはあるが。

私はハッキングで全ファイルが消えてから、失望のあまり何も書かずに数年を過ごした。だが私は再び執筆を始めた。この数年のブランクには理由がある。

今でもそれは漠然とした不安として私の頭を占めている。

当時私はEvernoteで着想や雑文を取りまとめ、Wordで原稿を書いていた。

Evernoteを信じていたのだが、アカウントハッキングされていた。そこに書いていたのは日常の雑な感想や読み手を想定していない吐き出すような文章だった。

当然、それを読めば不愉快になる人物が幾らでもいる。悪口雑言を書いていたわけではないが、悪意を持って抜粋すれば最悪の人物だと思われただろう。

私はどうにか復旧(多額の費用がかかった。失ったものはコンテンツを含めれば百万に近い)したパソコン環境で、ある日、とある有名な匿名掲示板を見ていた。(名を出せば誰でも知っている)

普段は見る習慣などないのだが、手掛かりを探すあまりに私はそのサイトを訪ねていた。

次々に書き込みがある。私は何気なく眺めていた。

そこに私がEvernoteに書いた内容への言及が現れたのだ。次々にコメントが増えていく。

「何が起きた?」

私は恐る恐るEvernoteに「新しい」書き込みをした。あくまで手元にしかデータはない。そう証明するために。

すぐに反応はあった。今書いたばかりの文章へ、だ。

明らかに漏れている。読まれている。

私は絶望した。恥ずかしいと言えばそれ以上の恥はない。

チラシの裏にでも書くような文章だ。いっぱしの分析を何人かの作家について書き込みさえしていた。数人の作家には申し訳なさで今も恥じ入るばかりだ。

あれは分析ではない。(謝罪はまとめて別の章で行うけれど)。ほんの着想だし裏付けもない。いわば暴言だ。公にするつもりは全くなかったのだ。

(前後関係はまた不明になる)立川を放浪して飲み屋で一息ついていた時に、焼き鳥屋だったと記憶しているがその筋の男性と思わしき数人と私は同席していた。

「いやあ。それにしてもよ。あんなもん持っているんじゃ、あんたは二階に少女でも監禁してるんじゃないかと思ってたぜ」

下の関係にあるらしい誰かが追従の笑いを見せた。

あんなもの?

確かに私は(男性ならば多少は興味はあるだろう)エロ動画をパソコンに蓄えていた。それほどの量ではない。

「流出したのか」その声を私は噛み殺した。当然だろう。明らかに「罰」としてハッキングは実行された。実害があった。最寄りの警察署にも相談したのだ。まるで相手にされなかたが。いや、「いつ、どこで、何が起きたか全部記録して下さいよ」と注意はされたが。

飲み屋で熱弁する男の話を私は半分も覚えていない。

私は恥をかきながら歩いていたのだ。

晒す必要もない顔を晒して歩いていたのだ。

それから、私はあらゆるものが流出したししていると諦めるまでに数年を要した。

小説はそれでも細々と書いていたかもしれない。本格的に執筆を再開せざるを得なかった。私は書かずにはいられない。

初期タイトルは「白銀の塔」というファンタジー長編に着手していた。

読み返せば満足の行くものではないが今でも大切に書き続けている。その話だけは天の配剤か幾らでも続きが書けるのだ。

それも流出していた。そう信じざるを得ない。

ごく簡単に要素だけを抽出しておく。それは高度に発達した魔法文明と、辺境に至るにつれ色濃くなる魔力と人との闘いを描いたものだった。冒険者が主人公だ。

重要な要素として、「液体燃料」と「翼」がある。前者が使われたとする妄想もあるのだがこれは書かない。

(余裕があれば妄想だけを書いた一章を設けるだろう)

白い翼。強い魔力と法悦の時にだけ現れる。

私がTVから遠ざかった時期まで時間を進める。

とある音楽番組に私の愛してやまない(と書かれるのも迷惑だろうが)アーティストが登場する。私は期待しながらただの息抜きとして番組を見た。

そのアーティストは「黒い翼」を背につけ、歌っていた。

半分以上妄想だろうが、何かがおかしいと私は感じた。同時に、ついにそこにまで「彼ら」が、『青』に始まる異常が届いたことに恐怖を感じながら、私は感動していた。

どう可能性を考えても「白銀の塔」が彼女にまで(女性だとはいずれ分かりそうな文章だから性別は書いておく)届くなどと夢想さえしなかった。

どんな姿をしていてもそのアーティストならば感動しただろうが、私の誰も信じなくなり闇に閉じこもっていた心には、むしろ『青の異常』が届いていてくれと、その美しい姿に打ち震えていた。普通に生きていれば決して届くはずのない私などに一瞥でもくれたのならばそれで幸せだ。その一瞥が侮蔑の眼差しであろうと。

また別の時に、そのアーティストは「白い翼」を背につけ、歌っていた。

妄想でいい。ほんの一瞬でも私は注意を引いたのではないか。

嘘のような美しい風景に私は我を忘れて見入った。魅せられた。

これだけではない。幾つか魔法のように美しい出来事も有ったのだ。

私がよく聞くアーティストは一人ではない。言及が難しいので「同じくらい感動した」と短く書いておくに留める。まるで私の抱える問題について歌っているかのような歌詞があったのだ。

これだけで悪いこと一切と相殺できるのではないかと思う出来事は他にも列挙出来るが、これは公な文章だ。慎重にならなければならない。

恐怖に打ちのめされた日々にも光はあったのだ。

私は絶望し、(妄想と言われようが)希望を掴み、叩きのめされた者の足取りでどうにか生を続けていた。

あえて書いておくが、当然怒っているだろうとある作家の小説に、私の悪趣味の一つ、自作のTRPG(テーブルトークRPGの詳細については書かないが数人で集まって紙と鉛筆とサイコロを使うゲームだ)の「超能力」(主人公たちは超能力者だ。ルールブックはパソコン上にあり、超能力は列挙されている)ほぼ全てを網羅的に叩き潰すように末尾で連続で使っている箇所がある。

私の書いているものなど比較にならないその作家に叩きのめされたのは、嬉しいと思っている。第一に謝罪すべきなのは私なのだから。

私は連載している内容を再構成し、私小説にして、『青』の悪夢全体を忘れてもいいものとして記録しておくつもりだ。

これは断片集であり、かつ「恐怖」が主題だ。焦点を戻そう。

(書いている今でも思い出すと恐怖で胸が詰まることはここに書いておく)

あまりに走り書きであり、時系列がバラバラで読むのが耐えがたいのは承知の上だ。

私は書きながら恐怖の底を這っているのであり、今でも書きながら狂いそうに感じている。監視は終わったのか、私は許されたのか、誰もが飽きてくれたのか、まだ陥穽は待ち構えているのか。

可能ならば次章でTVについてもう少し書きたいと思う。決定的なタイトルの放送があったのだ。

私はある日、遂に逮捕された。

もう、終わりか。私はこうして終わっていくのか。手錠をかけられながらそう思った。

外を歩くときは全員が手錠をかけられ縄に繋がれ、点呼に正確に応じる。

無機質で清潔な建物ばかりを移動したように思う。

原因にまで遡ろう。私は少し酔っていた。ある店に入ろうとした。そこで小太りだが筋肉の塊のような店員に、「ここには入るな」と腕を掴まれた。

「なぜだ」酔っていたのだろう。私は抵抗した。

ニヤッ、と店員が笑ったのがその時だ。羽交い絞めにされ首にも太い腕が巻き付いた。

暴力を生業としている者であっても不思議はない。

無駄な抵抗だったが、私は高低差のある階段ならば体格差を無効化できるのではないかと考えた。そこは急な階段のある場所だった。

私が悪いだろう。悪いから逮捕されたのだ。けれど弁明すれば窒息しそうだったのだ。

首を絞めすぎだった。

振りほどくように手を入れ、重心を下げて柔道とは言えないほどのみっともない技だったが、思い切り階段の下に向けて、男が下になるように私は捨て身で投げた。

階段の下で、全くダメージなど無さそうな男が、「こんなに背中が切れてる! 警察を呼びますからね」と確かに皮膚は切れている背中を見せた。

こちらに出血はないが窒息しかかっていた。ダメージならばよほど大きかったし軽度の怪我ならば体中にあった。病院で立ち回り診断書を取り勝負すれば互角だったかもしれない。が、私にはその知恵がなかった。

「すいません。私が悪いんです」とその晩は長い時間かけて調書を取られた。

病院に行ったのが調書作成の前だったのか後だったのかも覚えていない。

私はこれまで明確に書いていないことをここで書いておくことに成る。

私は鬱の患者だ。薬を飲まないと最悪で希死願望に至る。薬ばかりが治療ではないと言う考えもあるだろうが、私には放っておけば沈んでいく自分を引き上げ日常らしいものを送るには役立っている。

警察を悪しざまに言うつもりはない。保険制度で私は守られており、警察が治安を守っているから生きているのだと常日頃思っている。

だが留置所で私は薬を全部取り上げられた。これはきつい仕打ちだった。規則で「これが何の薬か証明できないから与えるわけにいかない」と断られ、私はどうしても『青』の世界がまだ続いていると信じざるを得なかった。急に投薬を切った苦しみは三日目くらいからの断薬の苦しみとして私から生気を奪った。目を閉じて意識を失うしか手は無かった。起きていればどうしようもなくなるだけなのだ。

そして『青』と通底しているかのように、眠ろうとすれば留置所の数人が大声で歌う。どこか私に関係しているように聞こえる。どこまで「彼ら」が占めているのだろう。

騒音の中で私は耐え続けた。悪癖の煙草も禁じられた。断薬と禁断症状。

留置されてみないと分からないことがある。愉しみは食事だけなのだ。

チョコクリームを塗っただけの乾いた食パンがどれだけ美味に感じたことか。

苦しみ抜いている脳がこの時だけ快楽物質を出す。

脳は甘いものに敏感に反応する。

部屋にはトイレが付属しており、絶えず便の匂いがする。そんなことは乾き切った脳には関係ない。汚れにもシミにもすぐに慣れた。

弁護士と接見して、どれだけ短かろうと二週間はこの生活が続くと知った時の衝撃は麻痺しかかっていた私をさらに打ちのめすには充分だった。

「逃亡する可能性、これがなければ私は二週間で出られるんですよね」

そう、何度も確認するのが精々だった。

鉄格子の中に戻れば理性的に物を考えられなくなる。ただ耐えるのに全力を使うだけだ。

「短くて二週間か……」さらに留置される者が殆どだという。

私はせめて取材の積りで一日を記憶し(かなり消えてしまった)、タオル一枚での入浴に慣れ、薄い布団に慣れ、週に一度の丼もの(カツ丼を選んだ)を至極の料理のように食べた。

夜中まで歌は続き、からかうような声も飛んだ。

どうせ睡眠薬はない。眠れない。日中、気絶するように硬い床の上で眠った。

ここからさらに落ちていくのだろう。薬の切れた私は暗い渦の中にいた。希望はなく、麻痺した、止まったような時間が絶え間ない苦しみだけを充満させる。

大袈裟な表現だがありのままを書いたつもりだ。

結果として私は二週間の留置で済み、五十万円を賠償金として請求され支払った。

『青の世界』に逆らえば、迂闊な行動をすればどうなるのか、私は奥底から叩き込まれたように思った。

解放されても喜びは(真っ先に薬を飲んで安堵はしたが)なかった。私は『青』の世界がどこまでも続いており、終わらない悪意だけがあるのだと信じ始めていた

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