二 真白の暮れ
目の前の君の表情は目まぐるしく変わる。初めは歓喜の表情。しかしすぐに落ち着きを取り戻す。自分の行動を後悔したのだろうか苦笑い。そう思えば急に慌てたような表情。今はかなり困惑した表情。多分、僕も同じような顔をしているんだろうな。なんて表情豊かな人なんだろう。何が君の頭の中で起きているのかは知る由もなかったけれど、気まずい空気が流れていることだけが確かだった。
背後からクラクションがけたましく鳴り響く。君との出逢いが、色を失わない君の存在が、あまりにも衝撃的で後ろから車が来ていたことに気づいていなかった。道の真ん中で二人で立ち止まっていたら、鳴らされるのは当たり前か。僕らは道の端に寄る。そのうるさく甲高いクラクションとエンジンの音は僕らの間の気まずい空気を切り裂いた。同時に僕の世界は普段の色を取り戻した。世界に色が戻ってもその鮮やかさに負けないほどに君はやっぱり綺麗だった。
「何か用ですか?」
ようやく発することのできた第一声。素直に疑問をぶつける。君が僕にとって何か特別な存在であることは間違いない。あの世界で色を失わないなど特別としか言いようがなかった。確かめたいのは山々であった。しかし初対面の、しかも一言目でそれを口にできるほどの勇気を僕は持ち合わせていなかった。
「ずっと探していたの。」
ずっと探していたの。頭の中で僕は繰り返す。だが、全くもって意味が分からない。何か過ちを犯したのかと焦り、記憶を辿るが思い当たる節はない。
「どうして?」
すかさず僕は続ける。君と簡単にここで別れるわけにはいかない。そう僕の本能が強く言っている。別に灰色の世界が嫌いなわけではない。ましてこの現象を治したいわけでもない。しかし何かが分かるかもしれない。そんな淡い期待が僕の中にはあった。
「わからない。」
「……わからない。」
今度は思わず口に出して繰り返してしまった。益々意味が分からない。理由は自分にも分からないけど僕を探していた?ストーカーですか?そう思うと急に恐ろしくなる。しかし様子を見る限りそういう訳でも無さそうだ。君は少し戸惑いながら、そして少し僕の目から視線を逸らしながらこう言った。
「記憶が……無いんです。」
私たちは君の家から近いという公園にいる。私たちの他に人影はない。夏の夕方。少しずつ日が暮れ始め、気温が下がってきている。ベンチの他には砂場と滑り台しかない少し寂しい所だけれど、今の私たちにはこれで充分だった。
君は記憶を失ったことを告白した私を跳ね除けることをしなかった。君がゆっくり話をしたいと言ってくれたものだから、数少ない私の記憶を包み隠さず全て伝えた。数ヶ月前からの記憶しかないこと。唯一覚えていることは色がない人間を探せという誰かの声。そして君が私の目にはこの世界で孤立しているかのように、ただ一人モノトーンに映っているということ。私の話を隣に座る君は黙って聞いてくれた。信じられないようなことも多かっただろうけれど、君は理解しようとしてくれた。
君も自分のことを同じように話してくれた。私にちょうど君がそのように映っているように君は時折、世界の全てがモノトーンに映るらしい。それが始まったという時期と私が気がついた時がちょうど被る。とても偶然とは思えない。君はそのモノトーンの視界を灰色の世界と言っていた。とても素敵な表現。でもなぜだかその世界で私だけが色を保ち続けるらしい。そういう理由があったからゆっくり話したいって言ってくれたのね。兎にも角にも私たちの間に何か関係があることは間違いないみたい。
二人とも自分のことを話し終えた頃には完全に日が暮れていた。明かりは寂しげな街灯だけ。薄暗い中に少し涼しい風が吹く。隣に座る君は話し終えたことで何かすっきりしたのかな、清々しい顔をしている。そしてベンチから立ち上がって私の方を向いて君は言う。
「これからどうする?暗くなってきたし花火でもするか?」
さっきまでの私の話を聞いてくれていた真面目な顔から一転、くしゃっと屈託無く笑う君。なんて素敵に笑う人なんだろう。暗いからはっきりとは見えないし、灰色にしか私の目には映らない君。でもその笑顔には疑いようのない鮮やかさがそこにあった。出逢ってからたった数時間。私たちは互いに惹き付け合っていた。少し溜めて私が口を開く。夜空には星が瞬いていた。
「あのね、お願いがあるの。君に──」
君だけに色がある。君だけに色がない。
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