迷路
穴の向こう側は煉瓦塀に囲まれた外だ。三度も見る風景に新たな発見は見つからない。上には塀が空を区切り、下には植え込みの野芥子が、その葉の影に置かれた小さな石がいささか尖り過ぎているのを発見した。
その周りの石にも、丸みのある石は少ない。ここは石には性格があるかと思った。
野草が花壇の砦を占拠し、小石は尖り徒党を組んでいる。野芥子は野草の影となりやがて萎れるだろう。
菜子が見出した絵はそれだった。地べたを這った後にできた、膝の擦り傷は、どうやら石の徒党の仕業だったから。
頬に手を当ててみると冷たい。頬っぺたというのは、こうして手で頬を包み込む様を言うのかと思う。手のひらで顔を撫でる、手と目と耳と鼻と口はあっても、菜子の名をどれも見つけられなかった。
その名に自分の居場所があるとも思えない。それに、名を見出すのは常に他人だった。その名は道標のない巨大迷路の中に壁の一部として置かれている。こちら側からはそれを眺めるしかできない。にも関わらず、ただ名を拝む為だけに、彷徨うのがいる。
それはいつごろ出来たのか誰にも分からない。一人ひとりの名が積み上がり壁を形成し、壁は犯罪者を除けば誰も壊せない。
迷路は施設を超えて外に広がっていた。時折風のように触れることがあっても、五感には触れられない質の悪い謎だった。
とにかく菜子にとっては迷路はこの小庭の国の攻防を必要以上に複雑に見せてしまう魔窟だった。
無数の朧気な姿が駆け回るだけの馬鹿でかい伽藍に、うっかり名を預けてしまったのを後悔しても仕方ない。
目の前にその壁の狭間に潰れて伸ばされた様々な印象が雑然と置かれている。
「土砂降りの雨の中で、天井の無い日本家屋で、畳が10メートルあろうかと思うくらい長い。
畳は外の崖まで伸びていて、それは容赦なく雨に打たれている。……長い畳はクルクルと回転し、
閉じ込められた二人はまさに悪夢の一夜を過ごした。翌日の朝は清浄だった。」
菜子は花の名前を元より知らない。不可逆的で冗長な夢に惑わされる心配がなかった。けれど、名を覚えた時には迷路の不安もそこに現れたのだ。
小石が膝に擦りむき傷をつけたのを見た。菜子は膝を抱えながら座り込んで「痛い」と言った。
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