第17話 再び、桜の下で
「キレイだなー」
お花、植物大好き人間の裕貴が感じ入ったようにつぶやく。
目の前には大きな桜の木。
満開を少し過ぎた、僕好みの桜。
大量の花びらが風に舞い、ピンクのカーテンを作り出している。
「ついに、来たんだな…」
そう。ついに来た。
約束を果たすため。
あのときの「あした」を実現するため。
あの夜、しゅうちゃんの死を知った日の夜、両親から渡された手紙を裕貴と二人で読んだ。
しゅうちゃんの最後の思いに触れ、僕はただひたすら泣いた。
昼間もあんなに泣いたのに、まだ流せる涙があったんだ。
こんなに泣いたら、目が溶けたりするんだろうか。
どこか冷静になった頭の片隅でそんなことを思いながらも、涙は一向に止まる気配がなくて、もうやけくそのように泣き続けた。
きっと、あれはしゅうちゃんの涙だったんだ。
僕もしゅうちゃんも、普通と呼ばれる世界に放り出されてから、一度も泣かなかった。
いや、泣けなかったんだ。
何が悲しいとか、何が辛いとか、そんなことを考える余裕もなく、ただなぜ生き残ったのかという気持ちをひた隠しにしている毎日だった。
たぶん、泣きたかったんだ。僕もしゅうちゃんも。
得体の知れない罪悪感に押し潰されそうで。
明るい未来なんて夢見ることができなくて。
しゅうちゃんは、再発という現実に向き合ったとき、初めて人生を自分の手で選んだ。
運命だか何なんだか分からないモノに人生を左右されてきた僕たちにとって、人生をこの手で切り開くなんて、快挙とも言えることだった。
たとえ、それが「死」という選択だったとしても。
悲しいけど、辛いけど、しゅうちゃんが選ぶならそれでいい。
僕は全面的にしゅうちゃんの選択を支持した。
それでも、涙は止まらない。
それは、泣きたくて泣けなかった僕たち二人分の涙だったんだと思う。
ねえ、しゅうちゃん、もう泣いていいんだよ。
僕たち、ちゃんと自分で選べたんだから。
生きることと、死ぬこと。
それは真逆にあるものだけれど、僕たちは同じ価値観で同じ観点でそれぞれの道を選びとったんだ。
だから、お互い、もう泣いていいよね。
「なあ、コータ」
まだぼろぼろに涙を流し続けている僕に裕貴が声をかけてきたのは、手紙を読み終わってからかなりの時間が経ってからだった。
その間裕貴は何を言うでもなく、泣き続ける僕の背中に手を当ててくれていた。
「二十歳になったら、その桜に会いに行こう」
腫れ上がった目で裕貴の方を見ると、裕貴も泣いたんだろう真っ赤な目で僕を見ていた。
「オレにも、しゅうちゃんのこと紹介してよ」
そう言うと、にんまりといたずらっ子みたいな笑顔を見せる。
「…いいの?」
我ながら情けないかすれ声。
「一緒に、行ってくれる?」
「たりめーじゃん。なんてったって、ダチだかんな」
そう言うと、裕貴はけっこうな力で背中を叩いてきた。
「…痛い」
「そりゃよかった。おまえ、生きてるんじゃん」
「生きて…」
そうだ、僕はまだ。
「生きてるから痛いんだよ」
生きてる。
それは、僕の中に突然訪れた感覚。
そうか、僕は、生きている。
そして、今日。
晴れて二十歳を迎えたとある春の日、僕は約束の桜に会いに来た。
二人の約束の場所。
そして、しゅうちゃんが最期を迎えた場所でもある。
正直、怖かった。
ここに来るのが。しゅうちゃんの死をまざまざと見せられてしまうようで。
それでも、やはり約束を果たしたい、そんな気持ちが勝った。
怖くて引き返してしまいたい気持ちは、裕貴がいることでなんとか抑えられた。
こいつが横にいるなら、僕がどうなってもきっと受け入れてくれる。
どれだけ泣こうがおかしくなろうが、きっと支えてくれる。
そういった意味で、今ものすごく裕貴に甘えているのかもしれない。
「コータもしゅうちゃんも、この桜を見たかったんだな」
裕貴が桜から目をそらすことなくつぶやく。
「自由になって、建物の中からじゃなく、桜の下に立ってこの景色を見たかったんだな」
そうだった。
自由の身になって、たくさんの花びらと日の光を浴びながら、元気なしゅうちゃんと会うはずだったんだ。
それ思うと、まだどうしても涙が出てくる。
しゅうちゃんには叶えられなかった願い。
でも、それでも。
今僕は、涙を拭うこともなくただ桜を見上げる。
風に舞う花びらを、この目に焼き付ける。
「しゅうちゃん…」
約束、はたしにきたよ。
僕は二十歳になって、今もここにいる。
生きろって言うから。
しゅうちゃんがあんなに全力で、僕に生きろって言うから。
しゅうちゃんは死を自分の手で選んだけど、僕は生きることを選んだ。
悲しくて苦しくてどうしようもなかったけど、それでも生きることを選んだんだ。
しゅうちゃんのいない世界で。
だって、なぜか生かされてしまったんだから。
あの灰色の世界から飛び出して。あの頃、ここから出て生きていくことなんてできないんだろう、そんな風に思っていた場所から抜け出して。
もう、生き残ってしまったなんて、考えない。
確かに僕は一人だけ、なぜか生き残ってしまったけれど。
そこに意味なんて求めない。
だって、結局生きるのは僕で、生き残り続けることを選んだのは僕だから。
しゅうちゃんのように、僕はあの日、初めて自分の手で生きることを選んだ。
その選択を、間違いだとは思いたくないから。
「なあ、コータ」
一人思いに浸ってしまっていた僕は、裕貴の声で現実に引き戻される。
「キレイな桜、見せてくれてありがとう」
満面の笑みで話しかけてくる裕貴に、僕も思わず微笑んだ。
「こちらこそ、ありがとう」
僕をこの世界に引き留めてくれて。
たぶん一人だったら見に来る勇気が持てなかっただろうこの桜を、見る勇気を与えてくれて。
ねえ、しゅうちゃん。
そっちで、みんなに会えたかな?
僕たちがあの頃命がけで語り合ったあしたは、そっちの世界に存在したのかな?
僕のあしたは、やさしいよ。
思っていたあしたとは違っても、苦しかったり辛かったり、見えないあしたにはいろいろなことがあるけれど、やっぱりあしたはやさしくて。
慣れない現実の世界で、勉強して、初めてアルバイトなんかもしてみて。
バイト先でも結局裕貴に助けられたりしてるけど、それでも自分の手で稼いだお給料は、何とも言えない嬉しさで。
そんな一つ一つに支えられて、今僕は生きている。
僕はまだそこへは行けないけれど、いつか生きるのを終えたとき。
そのときは、僕のあしたをいっぱい話してあげるから。
だからそのときまでお別れだ。
勝手にそっちに行ったこと、絶対厳しく怒ってやる。
そして、自分の手で人生の最期を選びとったこと、よく頑張ったねってほめてやる。
だから、ばいばい。
今、ほんのちょっとの時間だけ、ばいばい。
いつのまにか、流れていた涙も止まっていた。
花びらは今も風に舞い、僕と裕貴をふわふわと包んでいる。
いい景色だ。
どうしようもなく、いい景色だ。
「ユーキ…」
「ん?どした?」
「そろそろ、行こうか」
「…ちゃんと話せたか?」
「ん。話せた」
「それならよかった」
「ユーキのことも、紹介しといた」
「そか」
「いつか、一緒に飲もうって言ってたよ」
「おけ。楽しみにしてる」
裕貴に声をかけ、僕はそっと一歩を踏み出した。
桜の下を抜け、振り返り見るいつもの病院は、なんとなく優しげで、微笑んでいるように見える。
見上げると青い空。ふわふわと頼りなさげな白い雲が、ふわりふわりと流れている。
ありがとう、しゅうちゃん。
君に会えてよかった。
そして…
「行ってきます」
僕のあしたは、またここから始まる。
あした マフユフミ @winterday
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