第16話 最後の手紙
幸太へ
久しぶり。元気にしてるか?
幸太にこんな形で手紙を書くなんて、初めてじゃないかな。
なんか、真面目なトーンでこうやって話すの、ちょっと照れるな。
まずは、幸太に謝らなければならないことがある。
20才のあしたの約束、守れなくなった。
本当にごめん。
オレが言い出したあしただったのに。やっと実現できそうなあしただったのに。
オレからダメにしてごめん。
今、本当に悔しいんだ。
約束を守れなかったこと。もちろんそれはオレのせいなんだけど。
そして、もうひとつ。今一番悔やんでいるのが、あれ以来幸太とちゃんと向き合って話せなかったことだ。
幸太もオレも、たぶん同じなんだと思う。
いつも、軽い手紙のやり取りでも電話でも、あの頃のみんなのこと、そして、みんなのあしたについては全く触れなかったよな。
でもそれは、触れなかったんじゃなくて触れられなかったんだ。
だって、オレたちは二人とも、あの頃から生き残ってしまったことに、大きな罪悪感を持っていたから。
違うかな?いや、きっとそうだろ。幸太のこと、たぶん一番分かってる自信があるよ。
オレたち、性格も何もかも全然違うのに、そういう感覚だけすごく似ていたから。だから分かるんだ。
今だから、お前に全部話すよ。
あれからオレが、何を思って過ごしてきたか。
20才のオレたちが会っていたら、話していただろうことを。
オレはあの灰色の、病院という空間を抜け出してから、一時もあの頃のことを忘れたことはなかった。幸太はどうだろう?たぶんオレと同じなんだろうと思ってる。
あの頃のことは苦しかったことばかりだけど、幸太やみんなに会えた素晴らしい思い出もたくさんある。
何より幸太がいなかったら、今のオレはない。
きっと、治療も何もかもを投げ出して、親でも手の付けられない状態になっていたと思う。
ありがとな、隣のベッドがおまえでほんとに良かった。
こんなこと、面と向かってはとてもじゃないけど言えないから、ここで言うよ。ほんとありがと。
それと、何よりオレの中に、というよりオレたちの中に残っているのは、たくさんの命を見送ったことじゃないだろうか。
今でも自分の部屋で電気を消して、寝ようとして目を閉じると思い出せる。
あの重たい灰色の中、布団から出してたみんなの顔。
小さな照明が頼りなく揺れてて、時折聞こえるナースコールの音に必要以上にびくっとして。
それでも飽きることなく話したよね。
みんなのいろんなあした。
たくさん話したあしたは、そのほとんどが命と一緒に葬り去られた。
それでもオレは覚えてて。
あいつの話したあした。あの子が話したあした。
こんなに心の中に、あしただけが生き生きと残ってるのに、なんであいつらいないんだ?
オレの中に、こんなにたくさんのあしたがあるのに、なんでそれを誰も知らないんだ?
毎日毎日、そんなどうにもならない疑問ばかりを頭のなかで繰り返してる。
どうしていいか分からないんだ。
オレたちだけが知っているあいつらのあしたが、今ここにいるオレを責めているような気さえして。
なあ幸太。
おまえもそうだったんだろ?
自分だけが生き残って、あいつらのあしただけが心の中にふくれ上がって、もうどうしていいのか分からなくなってるんだろ?
灰色から抜け出したオレの生活は、あの頃憧れたごく普通と呼べるようなものだった。
いや、あえてそうしたのかもしれない。
あそこから抜け出たのだから、普通を過ごさなければならない。
元気に日々を過ごしていた周りの人間からはみ出さないように過ごさなければならない。
無意識にそう思いながら暮らしていた気がするんだ。
でも心のなかはいつでもあの頃を思っていた。
オレだけが、オレたちだけが生き残った意味を考えていた。
なあ幸太。そこに意味はあると思うかい?
オレはどうしても見いだせなかったんだ。
オレでなければならなかった意味を。
ただ偶然が重なって、救われたのが幸太とオレだった。
そうとしかもう思えないんだ。
でも、意味もなくオレがここに残されたのなら、実現できなかったあいつらのあしたはどうなる?
あんなにあしたに憧れていたあいつらじゃなく、なんでオレだったんだろう。
ここにいるのはなぜあいつらじゃなくオレだったんだろう。
そんなことを思えば、オレがいる世界は色に溢れすぎていて、どうにも落ち着かなかったんだ。
ただ単に、灰色に毒されてしまっていただけなのかもしれない。
それでもこの世界はまぶしすぎた。
失われた命のことを考えるには落ち着かなすぎたんだ。
こんな思いを抱いているなんて、誰にも言えなかった。
あの苦しかった日々をそばで支えてくれた両親には、口が裂けても言い出せなかった。
たぶんこの思いを分かり合えるのは、幸太、おまえしかないと思っていたんだ。
今もそうだ。
おまえだけはわかってくれるんだろうと思うからこそこんな手紙を書いて。
今こんなこと言われても幸太は戸惑うだけかもしれない。
そう思っても、手紙を書きたいという気持ちはどうしても止められなかったんだ。
ごめんな、幸太。
オレは最後まで弱かったみたいだ。
そろそろ20才のあしたを実現すべき日が近づいてきて、やっとのことでこの思いを幸太と共有することができる。
そう思っていたオレに、現実は残酷だった。
オレの病気、再発したんだ。
幸太も知っている通り、再発すればもうほぼ命を繋ぐことはできない。
前のような苦しい治療を何年もかけて行っても、健康な日々を暮らせる可能性は格段に落ちるんだ。
なんで?なんでまた?
再発を告げられたときは、もう頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。
でもそれは、絶望とか悲しみとか、そういうものではなかった。
オレの中にふつふつと生まれた感情は、強烈な怒りだったんだ。
なぜオレはいつも選べないんだろう。
好きでなったわけでない病気に人生を振り回され、よくなったと思えば罪悪感にさいなまれ、そしてなんとか吹っ切って歩いていこうとしたところで灰色の世界に逆戻り。
そんなこと、許されていいのか?
治る確率はゼロに近い。
それでもオレはまた、あの世界に戻っていくのか。
本当に戻っていけるのか?
オレは、自分で自分の道を選ぶことにした。
生きることをことごとく選ばせてもらえなかったオレだ。
せめて死に方は自分で選びたかったんだ。
ごめんな、幸太。
おまえを一人この世界に置いていくこと。
ちゃんと顔を見て、さよならも言わずに行ってしまうこと。
全部オレのわがままだ。
許してくれ、とは言わない。
少しだけでもわかってくれたら嬉しい。
そして、最後にもうひとつ、わがままを言わせてほしい。
幸太、おまえだけは生きろ。
生きて生きて、生き抜くんだ。
罪悪感なんて感じなくていい。
生を選びとれたのは偶然とか必然とか、そんなことどうでもいい。
おまえは生に選ばれたんだ。
選ばれたからには、堂々と生きればいいんだ。
命を終えようとしている今だからこそ、オレには分かる。
あしたを実現できず去っていったあいつらは、あしたを実現する可能性をつかんだオレたちのことをこれっぽっちも羨んだりしていなかったっていうこと。
むしろ自分ができなかったことを覚えていてくれる存在がいるということに、幸せを感じているっていうこと。
なあ幸太。
おまえだけは覚えていてくれ。
みんなであしたを語り合ったこと。
消えてしまった命にも、あしたを切望した過去があるということ。
おまえが覚えていてくれるというそのことだけが、去っていくオレたちの希望なんだ。
だから、生きろ。
おまえは、あした、死にゆくオレたちを生かすためにも、その場所で確かに生きるんだ。
勝手なことばかり言っている自覚はある。
でも、おまえとオレの仲だ。
これくらいのわがまま、許してくれるよな。
あの桜、見に行けないのは残念だけど、きっとおまえが見てくれると思うから。
キレイだったとか、思ったよりもつまらなかったとか、おまえの思いをいつか聞かせてくれ。
オレはオレの場所で、いつか老け込んだおまえが「おまえは本当に勝手なヤツだ」なんて言いながらオレを訪ねてくるのを待ってる。
いつまででも、待ってる。
だから幸太。生きろ。
木戸修一
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