第15話 みんなの思い
「ああ、寝ちゃったか」
幸太の母の声に裕貴が振り返ると、居間のソファの上に幸太が転がっていた。
「だいぶ疲れていたんで…」
なんとなく言葉を濁しながら言い訳のようなものをつぶやく裕貴に、父も母も柔らかい笑みを浮かべる。
「そうみたいね」
「ちょっとこのまま寝かせておいてやろうか」
父はそういうと押し入れからブランケットを取り出して、ふんわりと幸太の上にかぶせる。
眠る幸太の顔は、いつも大学で見るよりもあどけない。
自宅で親に見守られている幸太って、なんかレアだ。
落ち着ける空間で、究極に疲れた状態からの食後。そりゃ幼い寝顔にもなるわけだ。
昼間にいろいろぶちまけて、つっかえるものがなくなったから、という理由もあるのかもしれないが。
「ねえ、裕貴くん」
なんとなく改まった声に顔を向けると、裕貴の正面に幸太の両親が座っていた。
「今日、いろいろあったってことは、もう、知ってるのよね」
何のことですか?なんて軽く受け流せるわけもなく、裕貴はうなずく。
「ちゃんと聞いたのは今日が初めてです。なんとなく、コータが何か抱えているんだろうっていうのは分かってましたけど…」
裕貴は、4月からなぜか幸太の様子が気にかかっていたこと、倒れた幸太を介抱したときに傷痕を見たことなどをかいつまんで話す。
「よく、見ててくれたね…」
母の目は少し潤んでいた。
「本当に、長い闘病生活だったんだ。親である私たちも、諦めてしまいそうになるほど」
そう話す父の表情は苦しそうで、ああ、この家族はみんな闘ってきたんだなあ、と裕貴は思う。
「長い時間を病院という独特の場所で育ち、たくさんの命を見送ってきたせいか、この子はただまっすぐに笑える子じゃなくなってしまってて」
どことなく、所在なさげだった4月の幸太を思い出す。
穏やかで誰とでも分け隔てはないけれど、全員に対して薄いのに絶対に割って入ることができない強固なガラスのような壁を作っていた幸太。
「そんなあの子を変えてくれたのが裕貴くんだった」
裕貴は驚いて目を見開く。
自分が幸太に何か影響を与えられているなんて、思ってもみなかった。
「退院してからずっと、何かにつけて遠慮がちに生きてたあの子が、大学に入ってしばらくしてからポツポツ裕貴くんのこと話してくれるようになって」
母はやわらかい表情で眠る幸太を見る。
「そのときだけは、何て言うか年相応の表情をしてたから」
横にいる父もうなずいている。
「ありがとね、裕貴の隣にいてくれて。そして、今日、あの子のこと引き留めてくれて、本当にありがとう」
涙声で話す母の言葉に、裕貴はまたまた驚いた。
「今日引き留めたって…」
まるで何があったのか知っているかのような口ぶりに、どういうことなのか不思議に思う。とても幸太が言ったとは思えない。
だって、あの幸太だ。
両親を心配させることを言うとは思えない。
「裕貴くんも知ってるんでしょ、しゅうちゃん、木戸修一君が亡くなったこと」
「はい。今日ニュースで…」
「私たちも今朝知ったの。しゅうちゃんのお母さんから連絡をもらって」
そうだったんだ。
きっとそのニュースは、この優しそうな両親にも深い哀しみを与えたのだろう。
「いろんな思いが駆け巡ったけれど、やっぱり一番の心配は幸太のことで」
「しゅうちゃんと幸太は、二人でなんとか生きていたからね。あの頃はもちろん、たぶん今も」
「だから、どうやってこのことを伝えるかとても悩んだの。でもお昼のニュースで…」
あの時の幸太の混乱を思うと、裕貴は今も心臓がぎゅっと痛くなるような感覚に陥る。それほどまで痛々しかった幸太の姿。
「もしあの子がたった一人、大学であのニュースを見ていたら、もう私たちは元気なあの子に会えなかったと思う」
そう言い切る母はひどく切なげで、それでいてとても強い姿に裕貴には映った。
「でも、ドロドロのヘトヘトで帰ってきたあの子の腫れた目とか、初めて裕貴くんを連れてきたこととか、なんかもう、大丈夫なんだなって」
「ありがとう、裕貴くん。あの子がこの世界に踏みとどまれたのは、裕貴くんのおかげだ」
「きっと私たちでは、あの子のことを引き留められなかったと思うから」
そんなことない、とは言えなかった。
きっと、自分だからよかったんだと裕貴は思う。
裕貴は病床にあった頃の幸太を知らない。
だからこそ、手加減せずに止めきることができた。
ツラかった頃の幸太を一番見てきた両親なら、ひょっとすると向こう側へ送り出すことも選択肢として考えてしまったかもしれない。
「お礼を言っていただくようなことないんです。そりゃ力尽くで引き留めたからボロボロにはなったけど」
家に着いたときの姿で一目瞭然だろう。
「ただオレが、幸太と一緒にいたかったから」
そう、裕貴にはそれしかなかった。
だから正直に、オレが寂しいからと伝えたし、一緒に生きろ、なんてことも口走ってしまったのだ。
正直、今思うと赤面モノのセリフだ。
これまで付き合ったことのある彼女にだってそんなこと言ったこともない。
でも、どうしたってあの言葉しか出てこなかった。幸太にただこの世界にいてほしい、それだけだった。
「たぶん、それがあの子に必要なことだったのね」
「誰かに必要とされること、それ以上にあの子をつなぎ止められることなんてなかったんだと思うよ」
そうなんだろうか。
自分はちゃんと、幸太をつなぎ止められたんだろうか。
裕貴は思う。自分の存在を、生き残ってしまったと表現した幸太。
そんな哀しい存在ではなく、何かのために自らの意志で生きている幸太であってほしい。
「オレには幸太が必要です。大学でも、ばーちゃんのことでも、本当に助けられてるのはオレの方で」
チャラそうな見た目で軽いトークならお手の物な裕貴には、たくさんの友だちがいる。それでも。
「何にも飾らないオレのこと、ちゃんと見てくれてるのは幸太だけだから」
ツラいこと、しんどいこと、半分こっちによこせよ。そう言いたくなるんだ。
オレもおまえの前ではキャラも何もかも取り繕えないんだから、オレの前では遠慮せず、そのままの幸太でいればいいんだ。
「裕貴くん。幸太をお願いします」
「危なっかしいところのある子だし、変なところ醒めてる面倒な子だけど、相手の痛みを感じることのできる子なの」
「はい。分かります」
すごく知っている。
なんだかいろいろ危ないし、妙にクールだし、でもどこまでも人の痛みに寄り添おうとする不器用なダチ。
だからこそ、オレみたいな表面上器用な人間が横にいてサポートしてやればいいんだ、と裕貴ら思う。
もちろん、メンタル面はものすごくサポートしてもらってはいるが。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
裕貴は深々と頭を下げた。
「なんか、僕けっこうめちゃくちゃ文句言われてる?」
後ろから不意に声がして、驚いて振り返る。
そこにはソファの上にむっくり起き出した、まだ眠そうな幸太がいて、ぼーっとこちらを見ていた。
「あら、文句なんか言ってないわよー」
「そうそう。面倒なヤツって言ってただけだ」
母と裕貴は結託して幸太に対抗する。
「なんかすごく、負けた気分…」
寝起きのせいか、普段よりも幾分子どもっぽい幸太の姿に裕貴は吹き出した。
なかなか腫れの引かないまぶたはまだ痛々しいけれど、この両親がいて自分がいれば、こんな幼げな幸太のことを少しは守ってやれる気がする。
「事実は事実。あきらめな」
ゆっくり近づいていって、頭をぐしゃぐしゃっと撫でてやる。
幸太はぱしっとその手を払いのけて
「くそっ、ユーキのくせに生意気だ」
寝起きの掠れ声で悪態をつく。
そう、それでこそ案外毒舌な幸太だ。
「こら、いつまでしょーもない言い合いしてんの」
「なんか兄弟ゲンカみたいだな」
ニヤニヤした幸太の両親に、急激に恥ずかしくなった。
「さ、幸太も裕貴くんも、そろそろ自分の部屋行って寝る支度しなさい」
「幸太のベッドの横にお布団敷いといたから、一緒の部屋で寝てね。狭くて悪いけど」
「すみません。ありがとうございます」
「あ、ありがとう…」
幸太はまだ恥ずかしそうだ。
「それから、幸太」
少し真剣なトーンで話し始めた父に、なんとなく姿勢を正す。
「はい、父さん」
「これ、あとで裕貴くんと読みなさい」
差し出されたのは一通の封筒で。
「これは…?」
「しゅうちゃんから、おまえに宛てた手紙だ」
幸太が息をのんだのが分かる。
緩んでいた空気が一気に引き締まる。
「しゅうちゃん、最期に幸太に手紙を書いてたの。今日しゅうちゃんのお母さんから預かってきたから」
「しゅうちゃんの最後の言葉だ。泣いても叫んでもいい。しっかり読むんだよ」
ほんの少し青ざめた幸太が、それでもしっかり頷いた。
「裕貴くん」
「はい」
「幸太をお願いします」
さっきとは違う意味で言われた言葉。
「はい」
その眼差しも、言葉の意味も、裕貴はしっかり受け止めた。
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