第14話 いつも通りの
電車の窓から淡いオレンジの夕焼けが見える。
反対側の空からは深い群青色が広がってきていて、ああもうこんな時間なのか、と冷静に思った。
衝撃のお昼から数時間。
本当にいろんなことがあった。
自分の中の感情のすべてがぐるぐるかき回されたような、抱え込んできた思いのすべてを無理矢理身体中からひっぱり出されたような、何とも言えない疲労が全身を包んでいた。
裕貴に至っては、電車に座って2分で寝てしまうし。
なんとなく恨めしくそう思うけれど、自分の肩に頭を乗せてぐっすり眠っている裕貴を見ると、暖かいような申し訳ないような、不思議な気分にとらわれる。
あした、オレと一緒に生きろ。
そう言った裕貴の言葉は、僕の心にドスンと響いた。
一緒に生きる。その言葉を目から鱗が落ちるような感覚で聞いていた。
少年の頃、死線から生き残った僕は、その事にすら罪悪感を抱えていた。
なぜ生き残ったのが僕だったのか。
僕はなぜ今ここで生きているのか。
残されたことが苦しくて、見送った命が痛くて。そんなことばかり思ってきたけれど、それは「生きている」といえる状態ではなかったのかもしれない。
しゅうちゃんが消えて、桜の下の約束もなくなって、もう僕には生きている理由がないと思った。
それでも追いかけてきてくれた。
僕がいないと自分が寂しいと、自分のためにいてほしいと、真剣に言ってくれた。
僕は、僕として生きていてもいいのかもしれない。
難しい病気から生き残ったただ一人の男の子としてではなく、ただの学生の神崎幸太として。
「んー…」
裕貴はまだ寝ている。
電車の中だと言うのにぐっすりで呑気なもんだとも思うけれど、これだけ疲れさせてしまったのは明らかに僕のせいなので、重たい頭を右肩に甘んじて受け入れている。
あれから、泣きつかれた僕と裕貴は、当然もう授業なんて受けられる状態でもなく、無言で桜の下から駅へと向かった。
見るも無惨なほど腫れた目とボロボロの服。
あれだけ泣いて暴れてすれば、こうなるのも仕方ない。
あれだけ泣いたからこそ気持ちは軽くなっているけれど、身体中がダルくて重い。
そっと横を見てみると、その感覚は裕貴も同じだったようだ。
「…ダルっ」
何かの嫌がらせのように続く駅への階段を降りながら、独り言のようにつぶやいている。
「ユーキ、今日バイト?」
さっきまで命のやり取りをしていた相手に、何日常会話を繰り広げようとしているんだ僕は。そう思わないでもなかったけれど。
「いんや、休み。ありがたい…」
案外裕貴も普通に返してきた。
「じゃあ、ウチ来る?」
「ふぇっ!?」
驚いたのか変な声を出す裕貴に構うことなく、僕はマイペースに続ける。
「電車で5駅。実家だけど、近いから」
その格好で電車乗り継ぐの大変でしょ?というと、裕貴はあっさり頷いた。
「正直助かる。派手にやりすぎた」
ニヤッと笑う。こんなことに巻き込んで泥だらけにしちゃってごめんね、僕にそういう暇を与えないように。
「お父さんとかお母さんとか、いいの?急にお邪魔しても」
「大丈夫。初めて連れていくから、喜ぶ」
友達を、というのは恥ずかしくて言えなかった。
電車がゆるゆるとスピードを落とす。
大きなカーブを曲がればすぐ僕の住む駅だ。
「ユーキ、起きて。着くよ」
軽く肩を揺すれば、ゆっくり目を開けた。
「ああ、もう?」
「うん。よく寝てたね」
「すっきりした…」
ほんの少し寝ぼけているけれど、本当にすっきりした顔をしている。
電車での一眠りでかなり回復したみたいだ。
僕はといえば、いろいろありすぎて体は疲れているのに頭が冴え渡るという、軽くお昼寝するにはほど遠いテンションで、すっかり目が冴えてしまっているのだけれど。
「降りるよ」
「ん」
立ち上がった裕貴は軽く伸びをして笑った。
「よし、行こうぜ」
その笑顔が本当に嬉しそうで、まだ家にすら着いていないのに僕は、連れてきてよかった、と思ったのだった。
「ただいまー。ユーキ連れてきたよ」
「お邪魔します」
玄関チャイムの前でかしこまっている裕貴がおもしろい。
家の中でドタバタ走っている音がして、母さんがドアを開ける。
「お帰り。ああ、裕貴くん。初めまして!幸太の母です」
「こ、こんにちは。突然すみません」
裕貴がぺこりとお辞儀する。緊張しながらもきちんと挨拶ができるのは、さすが裕貴だ。
「来てくれてありがとう!この子があなたの話ばかりするから、一度会ってみたかったの。さあさあ、あがって」
テンションが上がりまくっている母さんはいつもより3倍増しの元気さで、息子としては少し恥ずかしかった。
「それにしても、あんたたち泥だらけじゃない。先お風呂入っちゃいなさい」
「え、それは…」
「さあさあ遠慮なく。幸太から連絡もらって沸かしといたから」
強引に話を進める母さんに裕貴が面食らっているのが分かる。
世間のオバサンってのは、こういうもんなんだよ。たぶん。
「幸太は裕貴くんの着替え用意してあげてね。裕貴くん、チビの幸太の服だからちょっと小さいかもしれないけど、今日のところは我慢してね」
「いえ、というか、はい…」
「さあ、入った入った」
オバサンの勢いに押されたまま、僕と裕貴は帰ってそうそう風呂場へなだれこんだのだった。
「いつの間に家に連絡してたんだ?」
「ユーキが寝てたときにね」
「仕事が早い…だと?」
「悪い?」
「コータのくせに」
もうすっかりいつも通りで、なんだか少し照れ臭かった。
それにしてもオバサンのパワーはすごい。
お風呂を済ませ、食事も、というところまで遠慮がちだった裕貴はすっかり母さんに押しきられ、今夜は我が家に泊まることになった。
「ご飯ウチで食べてくでしょ。お風呂も済ましたし、もう帰らなくていいじゃない」
さも当然のように言われた裕貴は無言で頷いていた。
「バイトもなくてほんと良かったわ~」
さらっと言う母さんは妙に嬉しそうで。
「はいっ。お世話になります」
何となくオバサンの空気になじみ始めたのか、裕貴は明るく返事していた。
夕飯は途中で帰ってきた父さんも交え、終始和やかに進んだ。
父さんも母さんも、口には出さないけれど、僕の病院を出て初めての友達に喜んでいるみたいだ。
こんなに気軽な夕食というのも、初めてかもしれない。
退院してから今まで、大体3人揃って食事をとってきたけれど、どこかしらに僕の体調や精神面を気遣うような、少し張り詰めたような空気が流れていたような気がする。
もちろん、今思うに、それは僕の抱えていた罪悪感の成せるものだったのかも
しれない。
楽しんではいけない、笑ってはいけない。
そんな風に、無意識のうちに自分を抑えてきたから。
「ごめんね、裕貴くん。幸太、口数も多くないしいまいち感情が見えないし、付き合いにくいでしょ」
知らない間に母さんにものすごくひどいことを言われている。
「普通の友達との関わり方を知らないうちに病院生活になったもので、大目に見てやってくれな」
父さんまで母さんと同じようなことを思っていたらしい。
「いえ、そんなことないです」
裕貴ははっきりそう答えた。
「最初はちょっと難しいヤツかとも思ったけど」
やっぱりそう思っていたか。もちろん自覚はある。
「でも、コータの言葉に嘘はないから。だから、俺はこいつを信頼してます」
…なにこれ、恥ずかしい。
そんな風に思ってくれていた喜びと恥ずかしさと。
裕貴の言葉に心底嬉しそうな顔をする両親も、どうにも恥ずかしい。
ぶわっと顔に熱があつまってきて、いたたまれなくなる。
「そんな、好き放題言わないで」
赤くなった顔を見られたくなくて、食卓を離れてソファに一人座った。
ふかふかのソファは僕のお気に入りで、自室にいないときはだいたいそこに座っている。
いつも通りそこに落ち着いた途端、なんだかぼーっとしてきた。
昼間の疲れがどっと出てきたような。
そしてこの温かさ。
ずっと僕を見守ってきてくれた両親と、こんな僕を大切に思ってくれている友人と。
ああ、これが生きている喜びというものなのかな…
しゅうちゃんのいないこの世界も、案外捨てたものじゃないのかもしれない…
そんなことを思いながら、僕は知らないうちに眠りについていた。
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