第10話 あしたごっこ
「おい、あしたの話をするぞ」
それは僕たちが隣同士のベッドで過ごし始めて3年が過ぎたころ。
中学2年になり、月日だけは過ぎたものの治療は一進一退で、どうにも言えない空虚感が漂っていたころのことだ。
「あした?」
「そう。あした」
なんの話だろう、と思いながら、僕は明日の予定を思い浮かべる。
いつもしゅうちゃんは思い付きで行動しては周囲を驚かせるけれど、今回もまた唐突な話にこっちはついていけない。
「あしたって…6時から採血。んで、今度のCTの日を決めるって先生が…」
「そんな話じゃない」
強くさえぎられて、ますます分からない。
「治療の計画とかじゃない。おまえだけのあしたの話だ」
ますます分からないが、真剣なしゅうちゃなんの様子に何も言えなかった。
「じゃあ、オレのあしたの話をする」
「うん」
「オレはあした、」
しゅうちゃんはそこで少し遠い目をして表情を緩める。
「野球選手になるんだ」
ん?
野球選手?
「エースで4番、とかいう派手さはないけど、学生ナンバーワンショート、なんて呼ばれててさ」
しゅうちゃん、案外地味だ。堅実というべきか。
「その守備と堅実なバッティングを買われて、ドラフト3位でプロ入り。着実にファンを増やして、チームに貢献するんだ」
そんなこと考えてたんだ。
しゅうちゃん、入院する前まで野球やってたって言ってたけど、本当にプロ野球選手に憧れるただの野球少年だったんだ。
そう思うと、何だか涙が出てきて。
神様、なんでしゅうちゃんだったの?なんて思う。
「泣くなコータ」
「…泣いてない」
バレバレの嘘をつく。
だって認めたくないから。
あしたを語るしゅうちゃんがけなげで可愛くて可哀そうなんて言えるわけないから。
「じゃあ、おまえのあしたを話せ」
「僕の、あした…」
この病院に入ってから、あしたのことなんてろくに考えてこなかったことに気づく。
あした。未来へつながるその一歩。
一日一日をつないでいくのに精一杯で、つい忘れてしまっていた感覚。
目の前の治療とか薬とか検査とか、そんな灰色なものばかりが僕の周りをぐるぐると覆い、淡いピンクとか水色とか、やさしさに溢れたもののことをすっかり忘れていた。
例えば、夢と希望、みたいな。
「あした僕は…旅に出るんだ」
考えるより先に出てきた言葉。
「見たことのないキレイな花を探して。どんな図鑑にも載ってないその花は、本当にきれいな色をしていて甘い香りがして、その蜜はどんな病気も治せるすごい力を持ってるんだ」
目の前に浮かぶ光景をそのまま伝える。
「その花を探して旅に出るんだ。いろんな山を越えて川を下って、森に入って隅から隅までかき分けて」
緑の濃い匂い。
しっとり湿った水の匂い。
ヒンヤリした森の空気。
肌を撫でる優しい風。
手に取るようにわかる。僕のあした。
「いろんな人に出会って、話を聞いて、時々騙されたりイヤな目に合わされたりもするけれど、大体の人が旅をしている僕に優しくて。食料を分けてもらったり、泊めてもらったり、そんなことを繰り返しながらたくさんの友達ができて、その友達のためにも僕は旅を続けるんだ」
一通り話し終えると、そこは相変わらず灰色の部屋。
それでも、そこで僕を見るしゅうちゃんの目は優しくて。
「旅人か。かっこいいな」
そんなこと言って笑うから、僕も笑う。
「見つけたいんだ、僕だけの花」
昔から図鑑が大好きで、ずーっと写真を見つめている子どもだった。
運動が苦手で口下手で、周囲に溶け込むのも苦手だった僕の友達は本だったから、たくさんのお話を読んでたくさんの図鑑を見て、日々過ごしてきた。
そしていつの日からか、自分の発見が図鑑に載せられることを夢見ていた。
そんなこと、今の今まですっかり忘れていたけれど。
「いいあしただな」
しゅうちゃんはそう言って僕の頭をなでる。
どうにも年下扱いされているみたいで悔しくなるけど、その手の重みが心地よくて黙っていることにした。
「あしたって、いいね」
「そうだろ」
得意げにしゅうちゃんは言う。
ありがと、忘れかけていた夢を思い出させてくれて。
こんな病気な僕たちが夢を持っていてもいいって思わせてくれて、ありがと。
言葉にはしなかったけれど、気持ちが伝わるようにそっとしゅうちゃんの手を握った。
その日から、僕たちは時折あしたについて話した。
大体僕たちのあしたごっこは、消灯後の静まった部屋の中で行われる。
最初僕たち二人で語り合っていたそれは、たちまち病室中に広まって、見回りの看護師さんの目を盗み、布団をかぶりながら全員で行った。
いつも顔を合わせているメンバーなのに、消灯後の布団をかぶった顔は初めて見る表情をしている。語るべきあしたに、どこか誇らしそうで輝いていて。
バレたら怒られる、というスリル感も良かったんだと思う。余りにも平坦な毎日は、思春期の僕たちにとってはどうにももどかしいものだったから。
来る日も来る日もら僕たちはあしたを語り合った。
野球選手のしゅうちゃん、花を探す旅人の僕。バレリーナの美咲ちゃん、大食いのタイくん。
ファッションデザイナーのまゆさんに、電車の車掌さんのハルト。 僕たちのあしたごっこは、いくつものあしたを生み出した。
来るはずもないあしたを語り合うことに、虚しさを感じなかったと言えば嘘になる。時折我に返っては、なんでこんなあり得ないこと話してるんだろう、と落ち込むこともあった。
それでもあしたは麻薬のようで、病院という閉塞感に満ちた空間にいる自分をその時間だけ輝かしてくれるのだ。
しゅうちゃんと僕は、そして僕たち以外のみんなも、縋るようにあしたを語り合った。
あしたごっこがあれば、いつか、本当のあしたを掴める気がして。
そしてつかんだ明日は…
美咲ちゃんは足を切断して退院した。タイくんは転院先で亡くなった。
まゆさんはあしたを語った1か月後に亡くなった。ハルトは念願の電車に乗るべく退院したが再入院後亡くなった。
輝いたのは、あしたごっこのその時だけ。
僕らの灰色ではたくさんの出会いと別れがあり、その大半は悲しみに満ちている。
それでも、僕たちは来る日も来る日もあしたを思う。
たくさんの命を見送って、いつか自分もと恐怖して、それでも自分だけはと抗って、僕としゅうちゃんは手を取り合ってあしたを語った。
月日は流れ、僕たちはもう高校3年生の年になっていた。
あんなに停滞していた治療が突然進み、僕としゅうちゃんはほぼ時を同じくして手術を受け、ついには退院の日を迎えることとなった。
ずっと並んで暮らしてきた僕ら。
どちらかだけが退院するとか、もうそんなこと考えられないくらいに二人で一つだったから、このように同じように奇跡的な回復を見て退院できるというのは本当にうれしかった。
そして迎えたその日。
「あしたオレは」
しゅうちゃんは語りだす。僕たちの最後のあしたごっこ。
「きっとここから出て、お前に手紙を書くよ」
もうそこは灰色の中ではない。
灰色から外に出た、よく晴れた春の日差しの中。
「灰色世界でのあしたごっこはもう終わりだ。これからオレたちは、本物の明日に足を踏み出す」
あしたごっこを始めたころには考えられなかった幸せなあした。
「二十歳になったら、この桜の下でまた会おう」
しゅうちゃん。
懐かしい名前。力強い声に、いつも引っ張られてきた。
その日、満開の桜の下、笑顔のしゅうちゃんがいた。
僕たちの言っていた、野球選手や旅人のあしたはもうつかめないけれど、これからはきっと素敵なあしたが待っている。
そう思わせてくれるような。
それはほんの少し前の出来事。ほんの少し前にあった事実。
会いたいよ。
二度と会えなくなったけれど。
やっぱり僕はしゅうちゃんに会いたいよ。
あの灰色の中で最後まで生き残った僕たちは、本当に生き残って良かったの?
結局生き残ってしまったのは僕だけで、やっぱりしゅうちゃんはあの灰色にとらわれたままだったの?
生き残ってしまったと、こんなに罪悪感を抱えたままで、僕だけあしたに取り残さないでよ。こんなドロドロが渦巻くあしたなんて、想像したくもなかった。
ねえしゅうちゃん、なんで死んじゃったの??
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