第4話 知りたい気持ち
「どうしたもんかなあ」
裕貴はつぶやいた。
彼の視界に入っているのは同級生の男。その彼が、裕貴を悩ませている。
「決定打がないんだよなぁ」
知らず知らずのうちに声が出ていたらしい。
「ユーキ、なんか言った?」
他の友人に突っ込まれてしまった。
「いんや、なんでもねー」
適当にごまかす。
なぜそんなに彼のことが気になるのか、と言われるとなんとも答えようがない。
ただの勘、というかそのようなものだ。
とにかく気になるのだ。その存在感、雰囲気。
なんとなく、自分がなんとかしなければならない、そんな風に思う。
「どうしたもんかなあ」
入学式のあの日、遅刻寸前で講堂にたどり着いた裕貴が見たのは、裏の大きな桜の木の下で涙を流す少年だった。
あの透明感、消えてなくなってしまいそうな儚さ。
あまりにも印象的だった少年の姿は、裕貴の脳裏にしっかりと刻み込まれた。
そして翌日、オリエンテーションとして集められた教室で、裕貴は彼と再会する。
そう、同じクラスの、後ろの席の彼に。
その事実に驚き、それでもどうしても話しかけてみたくてつい声をかけた。
「おまえ、変わってるよな」
あ、やってしまった。
裕貴は思った。こんな話しかけ方じゃ、絶対怪しまれる。
それでもその少年、神崎幸太は、少し怪訝そうな顔をしながらも裕貴の問いかけを受け入れてくれた。
桜の下で見たことは何となく伝えられず、でもそのときの消えてなくなりそうな印象から、つい「ここにいてくれてよかった」と言ってしまったとき、幸太は一瞬泣きそうな顔をした。
すぐに普通の表情に戻ったものの、その一瞬の変化が裕貴は忘れられなかったのだ。
「一体何があったんだよ、幸太」
きっと、そこに幸太の持つなんとなく儚いイメージの訳があるんだと思う。
あの桜の下で、なぜあんなにきれいな涙を流していたのか。
でもそれは、強引に聞き出すようなことではない、と本能が告げている。
きっと、あまり軽々しく話せないようなことなんだろう、と。
それ以来、なんだかんだと幸太につきまとっている裕貴である。
幸太の方も、ぐいぐい来る裕貴に多少驚きはしながらも、特に嫌がるようなこともなくそれを受け入れている。
裕貴は明るくて屈託のないバカ、そんなイメージを周囲に与えるタイプの軽い大学生だ。人懐っこく、誰とでもすぐ打ち解けられる。薄い茶髪とピアスのせいで、チャラい男と思われることも多い。まあ実際チャラくないわけでもない(いわばごく普通の大学生並みだ)ので敢えて否定はしない。
ただ、人懐っこいのかと言われると、実際のところそういうわけでもない。
ただ単に人との距離の取り方が絶妙に等しく、だれにでもわけ隔てないように見えるのだろう。それはひとえに裕貴の努力のたまものといえる。
裕貴は人の感情をよく読んでいる。その動作や表情で、瞬時にいまその人が置かれている状況や心情をつかんでしまう。それは幼いころからの特技でもありコンプレックスでもある。何もかもつかめてしまうから、どうにも人に踏み込めない。傷つけてしまうのも傷つけられてしまうのも、いい加減飽き飽きしてきた。そんなわけで、ほどよい距離感を察知しては自分の立ち位置を見つけだし、その距離感を守りながらニコニコしている。それが裕貴なりの処世術でもあったのだ。
そんな中で選んだ大学の心理学部は、なかなかに興味深いものだった。
心理を学ぼうとする人が集っているだけあって、大学には実に様々な人がいる。いつも通り裕貴は絶妙な距離感でクラスのなかの位置をものにし、明るいキャンパスライフを楽しもうとしていた。
しかしあの出来事。
それは当たり障りなく日々を過ごそうと思っていた裕貴にとって、その思いを覆すにあたいする衝撃だった。
裕貴は今日も幸太を観察する。
背は低くも高くもなく、やや細身。色が白くて髪は黒髪からやや茶色。
声をかければ普通に返事もあるし、くだらないジョークにもひっそり笑う。
付きまとっているから分かるが、おとなしそうな見た目のわりに結構手厳しい発言もしてくるし、会話のテンポも良くなかなか面白い。
総じて幸太は、裕貴にとってかなり好意的な人物なのだ。
ただ、やっぱりひっかかる。
こんなにも読み切れない相手を他に知らなくて、裕貴はどうしても幸太にこだわってしまうのだ。
時折浮かべる寂しそうな表情、のんびりしたペースを守っているようなのにたまにどこか苛立っていること、裕貴に何か言いたそうなのに口を閉ざしてしまうこと。
いつか幸太が話したくなることがあれば、しっかりれる受け入れてやれる自分でいたい、そう思う。
「おーいコータ、大丈夫か~?」
今は体育の授業でマラソン中だ。
対した距離でもないけれど、6月特有の蒸し暑さが徐々にみんなの体力を奪っている。
裕貴は暑さには強い方で体力にも自信があるから、大したことない軽い肩慣らし程度に思っているが、さっきからズルズルと後退し、よろよろ走っている幸太を見るに、かなり体力が削られているらしい。
裕貴はペースを落として幸太に並びかける。
荒い息遣いで必死についてこようとする幸太はもう汗だくで、顔色も悪い。
「コータ大丈夫か?無理すんなよ」
本気で心配になってきた。
「だい、がくで、たいいく、あるな、んて、き、いてな、い…」
脳内で漢字混じりの文章に修正する。
大学で体育あるなんて聞いてない。
息苦しいなら話さなくてもいいのに、途切れ途切れに話すのは恨み節。
まあ、確かにガチな授業があるとは裕貴もあまりイメージしてなかったけれど。
「ちょっと、あの辺の木の陰で休む?」
「…いい」
ゼーゼーしているくせに、なかなか頑固な奴だ。
よろよろの幸太に並走する。
と言っても、もう早歩き並みのスピードだ。
決してマラソンじゃないよなあ、と裕貴は思う。
「…うっ」
小さな声がして振り向くと、幸太の体がぐらりと傾いてきた。
「コータっ!」
あわてて支えると、幸太は裕貴の腕の中に崩れ落ちた。
その顔は真っ白で、一切の血の気が引いていた。貧血を起こしたらしい。
「だから休もうって言ったのに…」
完全に意識を失った幸太を保健室に連れて行くために背負う。
思っていたより軽くて驚く。
「くそっ」
どこかやるせないような気持ちに囚われ、誰にともなく悪態をついた裕貴は、保健室への道を歩き出した。
「貧血だね。ちょっと疲れもあったのかな」
保険医は裕貴にそう告げる。
幸太はベッドに寝かされ、今はすやすや眠っているようだ。
「少し寝かせておいてあげましょう。角野くんは授業戻る?」
「あ、もう少しついててやりたいです。汗も拭いてやりたいし」
「じゃあ、お願いしようかな。10分ほど出てくるわね」
そう言って保険医が出ていくと、部屋には一層の沈黙が降りる。
幾分顔色の良くなった幸太を見て、裕貴はほっとため息をついた。
「びっくりさせんなよな」
具合が悪そうなのは分かっていたが、実際目の前で倒れられるのは心臓に悪い。
目が覚めたら、何か奢らせてやろう。
そんなこと思いながら、裕貴は濡らしたタオルで幸太の額の汗をぬぐった。
「…んっ」
目が覚めてしまったかと思ったけれど、姿勢を変えたかっただけらしい。
もう少し寝かせてやりたいと思うけれど、体育の授業中で汗だくのままなので、そのまま体も少し拭いてやることにする。
看病経験豊富な裕貴は、病人の清拭はお手の物だった。
首筋と背中を拭き、胸のあたりも、と思った裕貴は、幸太の服をまくり上げ、そこに在るものに息をのんだ。
「これ…」
幸太の胸にはくっきりと、大きな手術痕があったのだった。
これは、幸太が何らかの大きな病気を経験してきたことを意味するんだろう。
いろいろ考えてきた幸太の事、それらのことがすべてつながった気がした。
「おまえ、頑張ってきたんだなあ…」
詳しいことは全く分からない。
それでも、この年でこの傷痕を背負い今ここに在ること。
それだけで、裕貴は涙が出そうだった。
そっと汗を拭い服を戻す。
分かったけれど何も分からない。それがどこかもどかしくて。
思いも感情も、察知するのが得意な裕貴に何一つ悟らせてくれないほど、自分の中に守ってしまっているのがせつなくて。
でも、いつかきっと、幸太の見てきたこと感じてきたこと、話してくれる日が来ることを願う。
「一緒に、背負ってやるからな、できるだけ」
ツラいなら、オレも一緒に。
大学でできた、初めての友達だから。
「…んんっ」
幸太がふるりと瞼をふるわせる。ゆっくり目を開けると、不思議そうにあたりを見回した。
「おはよ」
「…おはよ?」
「おまえなあ、ぶっ倒れる前に休めよ!」
額をぺちっと叩く。心配させられた分仕返し。
「ご、めん…」
「貧血だって。気分悪くない?」
ベッドから起き上がろうとした幸太は、また目を閉じた。
「なんかくらくらする…」
「寝とけよ!」
本当に世話の焼けるやつだ。
でも、どうしてか目を離せない。離してはいけない。
このふわふわと存在のおぼつかない奴を、ここに繋ぎ止めておかなければ。
幸太がまた無理して起き上がらなくても、寝ながらでも飲みやすいようにスポーツドリンクにストローを挿し込みながら、裕貴はそう決意するのだ。
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