東満州の激突

 1941年3月中旬。同年の3月初旬に虎口作戦が決まってから実行までの日本軍の動きは極めて迅速なものだった。

 ソ連赤軍が満州西部における大敗北を契機に突出している満州東部の編成見直しを図り、再編制を行っている間にそれは実行されたのだ。


 日本軍にとって最良の、そしてソ連赤軍にとっては最悪のタイミングだ。


 この一連の戦いの口火を切ったのは大日本帝国軍の海軍と空軍だった。事前の取り決め通りに空軍による威力偵察を済ませると海軍によってウラジオストクの沿岸部に艦砲射撃を行ってから空軍による空爆。それらだけでも効果は絶大だったが、砲撃や爆撃の後に更に空挺と強襲揚陸艦による合同強襲が実施される。

 これらの攻勢は欧州でドイツ軍が連合軍に見せたものと比較しても鮮やかな手並みで行われ、ウラジオストクの駐留軍と地上設備を粉砕した。その成果はソ連赤軍上層部に危機感を抱かせるものでウラジオストク攻撃の主目的である攻勢地点の欺瞞並びにソ連赤軍の戦力分散をさせるのは容易なことだった。


 続く空軍単独の作戦ではボロシーロフウスリースクの臨時軍事施設並びに周辺の大規模空襲を実施した。ソ連空軍は緒戦で数を減らされた状態で連戦に次ぐ連戦を課せられながらも何とか出陣したが、結果は凡その想定を覆すことは出来なかった。日本軍の大規模空襲は成功を収め、ソ連赤軍は大打撃を被る。

 この攻撃の結果もウラジオストクに対する攻撃に近しい成果を収めた。牡丹江方面で戦うためにはボロシーロフウスリースクは極めて重要な拠点であるため守りを捨てることはありえない。ボロシーロフウスリースクを守り抜くためには質で劣る以上、数で補うしかないという結論に至ったソ連空軍は既に少数になってしまいながらも広域に広がっているソ連空軍の部隊を割いてボロシーロフウスリースクの防衛に回すことを決定するのだった。


 こうしてただでさえ航空優勢を確保していた日本軍はソ連空軍を局地に張り付けることに成功した。


 つまり、空軍における攻撃地点の攪乱を完全に成功させたのだ。


 陽動部隊は課せられた任務を完璧に果たした。ただ、これから動くのが本命だ。


 3月も下旬に入る頃。日本陸軍は虎頭要塞後方に集まっていた後詰の兵をソ連赤軍に気付かれないように参集させて戦地を迂回し、本土からの兵を満州内陸部より移動させてアムール川の中国領側を進ませた。


 ただ、ソ連赤軍もさるもので少し時間はかかったもののこうした日本軍の動きを掴むことに成功する。


 一度、情報を掴んでしまえばシベリア鉄道で兵や武器を輸送するだけだ。ソ連が誇るシベリア鉄道を使えば赤軍はハバロフスク-ボロシーロフウスリースク間であれば通常運行で半日もかけずに走破可能。問題が起きてから対処すればいい。

 重要拠点が次々に攻撃されている状態で一か所にリソースを集中するのは選択肢が非常に狭まる。どの被害箇所でも深刻なダメージを受けていたことからソ連上層部はそう考えていたのだろう。日本軍北進の報を受けてもソ連赤軍が即座に対応することはなかった。だが、最低限の防御態勢は取るべくソ連赤軍も動きを加速する。


 その動きを見た日本軍はソ連赤軍に北進の情報が察知されたことを確認し、即座に妨害に入った。動くことの出来ない鉄道の位置はどれだけ秘匿しようとしても日本軍に把握されている。航空劣勢に置かれているソ連赤軍は日本軍による空襲を防ぎきれなかった。

 爆撃、機銃掃射、噴進弾。また、打電の偽造や破壊工作。あらゆる手法で日本軍はソ連赤軍のハバロフスクへの進軍を妨害。この妨害工作によりソ連赤軍の輸送は大幅に遅れることになる。

 だがソ連赤軍の移動は完遂された。日本軍の妨害を受けて次なる攻勢箇所がハバロフスクとなる可能性を考えたソ連赤軍は日本軍の攻撃前に彼らの攻撃目標であるハバロフスクに日本軍が投入予定の5万人を遥かに上回る規模の兵力を投入した。


 そこで動いたのが阿南惟幾あなみこれちか陸軍中将率いる虎頭要塞群の面々だ。


 彼らは数が少なくなったソ連赤軍の要塞攻略部隊に対し、空軍と合同作戦で強襲を実行。興凱湖こうがいこ(ハンカ湖)周辺で再編制中のソ連赤軍の一団を包囲し、殲滅せしめた。

 この戦いでソ連赤軍は一個師団を失い、戦線の一部を後退させられた。そのまま突出した部隊を切り取られ、先の満州西部戦線の崩壊の二の舞を演じること恐れたソ連赤軍はハバロフスクに移動させた兵力の一部を虎頭要塞前に戻す。


 この機を逃す土方らではなかった。


 数が減ったハバロフスク防衛軍に対して大挙して襲い掛かる日本軍は別動隊による電撃作戦でアムール川鉄橋(ハバロフスク橋)の一部を破壊し、ハバロフスクの郊外にて防衛の任に当たっていたソ連軍の退路を隘路に変えると猛然と攻め立てた。

 勿論、ソ連赤軍はこれに猛反撃。文字通り背水の陣となったアムール川西岸のソ連赤軍は死力の限りを尽くして戦った。しかし、数でも練度でも勝る日本陸軍を相手にして旗色が良くなることはない。このままでは全滅もあり得る。ソ連将校は唸った。増援は求めたが、極東戦線に余剰人員はいない。また、本国から人員が派遣されるには時間がかかる。その間にも死者は増え、残存兵力は減り続ける。


 失敗は許されない。だが、彼らは早急に結論を出す必要があった。


 戦闘開始から数日が経過した後、アムール川西岸のソ連赤軍は一度態勢の立て直しを図って援軍として牡丹江方面より送られてきた東岸の部隊との合流を決定。日本軍の攻勢を食い止めながら通れる箇所が狭まったアムール川鉄橋(ハバロフスク橋)や舟を使って撤退戦を敢行。

 しかし、その一方で市街地を守るために残された東岸のソ連赤軍は本国からの補給路が一時でも断たれるのを恐れて西岸軍の退路を塞ぐようにして前進していた。その結果、日本軍を前にしてソ連軍は大混乱を引き起こす。


 空の目でこれを見ていた日本軍はまたしても好機到来として更に攻勢を強め、混乱の坩堝に陥ったソ連赤軍を食い散らかしにかかる。

 この攻勢に対し、ソ連軍が取った措置は極めて簡単なものだった。それはアムール川西岸より東側へ来ようとする者すべてを薙ぎ払うという暴力的且つ単純なもの。

 しかし、効果は極めて絶大だった。

 ソ連赤軍のアムール川西岸兵は死兵と化して日本軍に襲い掛かり、また援軍として東岸から来たソ連赤軍も餓死や凍死の危機を将官からふんだんに煽られて死に物狂いで戦い始める。


 ハバロフスク西岸は地獄と化した。


 そんな折に活躍したのが中華民国北京政府軍擁する黒竜江艦隊だった。中ソ紛争時に活躍した江防艦隊を母体とする北京政府軍の水軍がここぞとばかりに速やかに進軍し、ハバロフスク東岸で進軍するソ連赤軍の後方に艦砲射撃を繰り出した。

 オホーツク海よりアムール川に侵入しようとして氷に妨げられた日本海軍に変わる形での水上攻撃だ。

 思わぬ形で助力を得た日本陸軍は戦場を一時北京政府軍に預けて態勢を立て直すと再度猛攻に出る。シベリア鉄道を使ってソ連本国から援軍が来るまでの戦いだ。第一極東戦線からの応援を気にする余裕はない。無我夢中で戦い続けた。

 対するハバロフスク防衛軍も必死だ。ここを落とされれば第一極東戦線に参加している数十万の兵が飢えて死ぬ。それは他人事ではない。敗残の兵となった暁には自分の身に飢えが襲い掛かるのだ。特に冬戦争を経験した兵はその経験を容易に思い出すことが出来る。


 激しい戦闘は一週間にも及んだ。その間、ハバロフスクの両岸は辛うじてソ連軍によって守られ、日本軍はハバロフスク市街地まで手を伸ばすことは出来なかった。更に西の地点においてソ連軍への鉄道による補給は断つことに成功しているが、ソ連赤軍が前線に運んだ備蓄はまだある上、その他のルートで補給が行われているようだ。

 このままではシベリア鉄道によってソ連赤軍の増援が来て挟撃を受けることになる可能性が高い。歯噛みする土方。彼の祖父がそうしたように陣頭指揮を執ろうとしては側近の市村に何度も止められ、フラストレーションが溜まっていく。


 そんな彼の下に2通の手紙が届くのだった。



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