終戦へ向けて

「壱心様。土方隊が壊滅いたしました」

「……そうだろうな」

「掃討、並びに生存者の確保の指示を出してもよろしいでしょうか?」

「いつも通りに」


 壮絶な局地戦が繰り広げられた箱館の地。暴雨が窓を打ち付けるかの如き銃声が次第に止み、戦いの結果を疑うような静寂が場を支配した。それとほぼ同時に歓声が地鳴りかと思う勢いで周囲に伝播した。

 その声にこの後、壱心から来るであろう指令がかき消されて消えぬように亜美は壱心の近くに寄って呟く。


「……彼らがこれほどまでに騒ぐとは、珍しいですね。数といい、練度といい、敵の構成といい……特別盛り上がる戦いには見えませんでしたが」

「横から見ているだけでは分からない、そうする理由のある相手だったということだ……ただ、お前の言う通り感傷に浸っている暇はない。次の行動に移るぞ」


 勝敗は兵家の常。一つの勝ちに喜び過ぎればその後の油断に繋がり、せっかくの勝利を台無しにしてしまう。それを理解している彼らが理性よりも本能を優先して雄叫びを挙げている。その光景を亜美は不思議そうに見ていたが、壱心は部隊の感情をしかと理解した上で完全勝利に向けて次の行動の指示を出す。


「古賀に指示を。勝利に乗じて深追いし過ぎた態を装い、津軽陣屋と五稜郭の間に突っ込ませろ。いつもの釣りだ。挟撃の格好の的として、そして放置できない相手だと賊軍に印象付けられるように派手に暴れろと伝えておけ」

「畏まりました」


 亜美が戦場の音に紛れて消える。


 その間に壱心へ部隊の中でも著しい戦果を挙げた者に関しての報告が始まった。これは次の戦いに向けて今回の功労者を労うことで、部隊の士気を更に高めるための行為だ。

 多くは、数を殺したということ。そしてその辺にいた身形の整えられた何者かを屠ったということに関しての報告。壱心の頭に残るのはその数が更新された場合と自身の記憶に残るだけの優秀な敵将を倒した場合。


 ……だが、今回はその中でも特別気になる者が。


「報告します! 神尾様が蝦夷共和国閣僚の土方歳三を捕らえたとのこと!」

「……もう一回言ってくれ」


 流れ作業を止めた壱心の一言。捕らえた敵将のことを仰々しく言うことで印象をよくし、功をかさ増ししようとした小隊長は己の狡っからい考えが壱心の気に障ったかと震え上がり急いで平伏した。だが、壱心は今、そんな些事を気にしている暇などない。


「も、申し訳ございません! 賊軍の、土方を、捕えたとのことで……」

「詳しく」


 恐らく死んだと思っていた相手がまさか生きて、しかも虜囚の身となっているのだ。生き恥を晒すぐらいならば死を選ぶ気性の持ち主が何故。


「申し訳ございません……あの、気絶していたのを、ちょっと、残党狩りの際に捕らえましたようでして……」

「……成程。まだ生きているんだな? 怪我などは?」

「左脚に数発の銃創があったかと……それから、確か右脚が馬と地面に挟まれて妙な角度になっていた気が……一応、止血はしていたはずです」


 恐怖でしどろもどろになっている伝達兵は平伏したまま壱心のことを別に可愛くない上目遣いで見上げる。壱心はそれを気にせずに今後のことを考えていた。


(気絶してたか。だったらこちらに身を預けているのも話は通るな。だが……問題はなぁ……降伏してくれれば嬉しいんだが……まずしないよなぁ……甲州勝沼の時に逃げた近藤さん、どっかで処刑されたし……だからといって色々と試す前に望み通りに死なせる訳にも……難しいところだ……)


 志を貫いて死ぬ漢が虜囚の身となった理由はわかった。だが、彼を今後どうするかが次の問題だ。彼を如何こう出来そうな新撰組の大将は既に死んでいる。倒幕に向けて動くにあたって、坂本龍馬を表舞台から遠ざけておくために暗殺されたことにしていた弊害だった。

 元々、京都で攘夷のために動いていた志士が重役を担う新政府軍において、京都の治安維持のために攘夷志士を殺害し続けていた新撰組を嫌う者は多い。既に大局において勝利したと言っていい今であれば多少の話は聞いてもあの時に説得は不可能だったと言い切れる。


 各陣営の心情、そして土方の能力を踏まえた上で壱心はあまり時間的猶予のない中で急いで考える。


(……俺個人の感情を抜きにして、最大限に奴の命を利用するのであれば五稜郭と津軽陣屋の間に突っ込ませる古賀に預けるのが一番だ。勝利に酔って突撃したという話の信憑性になる。何より、相手が陣や城を出て戦う理由として主戦派で陸軍奉行の土方を取り戻す。これほど大きい理由はないだろう)


 主戦派である土方の喪失は大きい。それこそ、箱館政権を揺らす出来事に間違いない。主戦派からすれば是が非でも取り戻したい男で、そうでなくとも人材不足に悩む蝦夷共和国からすればなるべく取り戻したいところだ。


(辛抱出来なかった主戦派が出てきたところを徹底的に叩き潰せば、残る穏健派が降伏する芽も出て来る。出てきた相手を組織立って退却できる程度に叩き、相手の退却に乗じて攻め入ることも戦略としてはありだ)


 これまで壱心率いる御剣隊が得意としていた戦法だ。既に勝ちの芽が摘まれた旧幕軍は士気の低下が著しく、まとまりに欠く状態で絶好の餌食に出来る。


(もっと言うのであれば、敵の前で土方の首級を晒せば激昂か絶望のどちらかに叩き込むことが出来るだろうな……流石に追い詰め過ぎるのもどうかと思うが……)


 ここまでが壱心が急いで考えた大まかな戦略。そしてここからが彼の心情を交えた上での考えになる。


(……で、個人的には殺しておくには惜しい人材なんだよな……戦いだけじゃなくて人心掌握にも長けてるのは今後、事業拡大にあたって非常に欲しい人材になる)


 有能な軍人は有能な経営者にもなりうる。組織の効率的運用は軍隊にも企業にも不可欠の要素。優秀な軍人が情報収集に優れ、好機を探り、それを逃さずに必要な人員で効果を上げることが出来ることを指す以上そうそう外れというものはない。


 そう考えて土方の事を惜しむ壱心。私的な感情に未来で語られる新撰組の像が多大に影響しているのを自覚した上での判断だ。悩む壱心だが、不意に不安が鎌首をもたげて壱心に囁きかけた。


(問題はそれが正しく働いている時に限る、か……それを知る者は逆もまた理解できるからな……)


 心配の種はその人材管理能力を内部で悪用されることだった。壱心とて叩けば埃の出る体。清廉潔白と言い切れない以上、敵意を剥き出しにする不安要素を抱え込むのは難しい。

 まして、今は後方藩内にて大火事が起きている状態だ。余計な火種を煽り立てられると簡単に大火傷してしまう状況。船中であまり考えないように決めていたことが噴き出て来そうになっているのを自覚した壱心はそこで考えをまとめに入った。


(……やはり、ここは惜しいが……一刻も早く戻らなければならないことも踏まえると、長引かせるのもマズい。この後に五稜郭を攻めるなんてことになったら相当な時間を取られるからな……ここで、後顧の憂いを断ちに動くべきか)


 壱心の今後の指針が決まった。戦果報告において、土方を捕らえた以上の報告は見当たらないだろう。亜美が戻り次第、土方を使って五稜郭か津軽陣屋を落としにかかる。


 そう決めたところにちょうど、亜美が戻って来た。そして彼女は壱心が何か言うよりも前に報告を行う。


「速報です。旧幕軍、前回の降伏勧告の内容であれば降伏を受け入れる模様」

「……は、そりゃ結構なことだ」


 壱心の思考は無駄骨だったらしい。亜美からの報告を受けて方々に連絡を取った壱心は旧幕軍の助命嘆願等の内容を織り込んだ降伏条件で彼らとの降伏交渉に臨みここに新政府軍の勝利が形作られた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る