窮鼠の抵抗

「土方様! お味方の部隊が壊滅! 第四列士満れじまん隊の第一部隊は敗走し、第二部隊の若干名がようやく津軽陣屋まで後退した模様です!」


 早過ぎる。小姓から凶報を届けられた蝦夷共和国陸軍奉行の土方歳三は戦の喧騒に負けぬように苛烈に指示を飛ばしながら落胆した。だが、将たるものが動揺してはならないと自分を戒めて冷静に小姓の市村に尋ねる。


「……敵は」

「香月壱心率いる【御剣隊】の模様!」

「……【御剣隊】か……」


 磐城の戦いにて天下に名を轟かせた部隊であればさもありなん。だがそれにしても圧倒的過ぎる戦いぶりに土方はしばし瞑目し……重大な見落としに気付いて市村に問い直した。


「待て、誰が率いていると?」

「香月壱心です! 彼奴の統率の下、敵軍勢は猛り狂う荒波の如く押し寄せ、お味方の部隊を狙い撃ち、敵第一陣を包囲しようと突出した部隊から削られているとのこと! 現在は亀田川を越えたようです!」


 報告を聞いた土方はしばらく無表情のまま黙っていた。しかし、次第に抑えきれなくなったように口の端を吊り上げ始める。そして弾けたように笑い出した。


「フフ……ハハハハハ! 天は俺に最後の大博打の機会をくれたか! そうか! なればよかろう! 全軍! 転進せよ! 狙うは【御剣隊】、香月壱心の首だ! 奴を殺せば敵も引き返さざるを得まい!」

「い、いいのですか? ここを離れれば五稜郭までの道が……」


 すぐ傍に控えていた陸軍補佐の男が異論を挟む。現在、土方らがいるのは五稜郭の南西。津軽陣屋と亀田八幡宮の大体の中間地点から南方に約五町545メートルほど離れたところ。

 この地点においても数で劣る旧幕軍に増援を送る余裕はない。土方らが退けばこの地が陥落するのは間違いないだろう。そうなれば、津軽陣屋が前線に晒され、箱館の町と五稜郭は遮断され、五稜郭の首根っこが押さえられるのと同義だ。


 だが、それでも土方は自身の意見を曲げなかった。


「構わん! どの道このままでは勝てぬ戦……なれば、微かな光でも勝ち筋のある道を選ぶ!」


 土方が意見を曲げなかった理由。それは至って簡単なもの。


 それ以外に、この戦いで勝ち筋のある方法がないのだ。


 史実以上の数の差。敵上陸部隊の第一陣による縦陣移動と横陣突撃は兵の質など関係のない数と銃による暴力。旧幕軍がいかに努力してその差を埋めようとしてもどうしようもない差。

 それに加えての旧幕軍の練兵以上の第二陣。【御剣隊】・【勇敢隊】。転戦、連敗を重ねた旧幕軍では彼らの散兵戦術について行くことなど出来ない。それがましてや第一陣の対処をしながらとなると最早言うに及ばない。


 数が磨り潰され、士気も圧し折られていく。それを覆すには敵将、しかも多大な影響力を持つ香月壱心を討つしかない。

 指揮官さえ失ってしまえば数の暴力は烏合の衆に変わる。頭さえ奪ってしまえば敵は動揺し、士気が下がるし自軍の戦意は昂揚する。


 追い詰められた土方の頭ではそれしか現状を打開する方法が見当たらなかった。


(例え、首尾よく香月を討てたとしても相手が下がるのは一時の事。だが、それだけでも味方を十分に鼓舞することはできる! そうすればまだ俺たちは戦うことが出来る……)


 香月を討つことが出来る可能性などほぼないと言っていいだろう。だが、一縷の望みをそこに託して突撃することしか出来ない。土方は覚悟を決め、まとめていた長髪を刀で切った。


「鉄之助! これと、この写真を日野に届けてくれ」

「土方さん!?」

「頼んだぞ」


 穏やかな笑みを浮かべる土方が市村に渡したのは今切った髪、そして自身の写真だった。それが意味することをすぐに理解した市村はすぐに土方を見上げて抗議の声を上げる。


「……ッ! わ、私はここで討死する覚悟を持って戦っています。その役目は、誰か他の者に……」

「なれば、今この場で討ち果たすぞ」


 市村の声を遮っての冷たい声。同時に、先程の笑みが嘘であったかのような鋭い眼光と彼の言葉が偽りでないことを表すかのような気迫。気圧されてしまった市村は自身に死の覚悟が足りていなかったことを自覚してしまう。


「……頼んだぞ」


 念を押す言葉。我に返った市村が反論しようと口を開きかける。だが、それより前に土方は次の指示に動いており、彼に選択肢はもはや存在しなかった。


「総員に告ぐ、南西へ突撃! 目標は香月壱心、その首だ!」





「……出て来たか」


 亜美からの報告を受けて壱心は小さく呟いた。彼が居るのは箱館の市街地。共に市街地に潜むのは彼が訓練を施した福岡藩士700名ほど。


「賊軍は100名ほど。敵将は土方歳三の模様です」

「あぁ、だろうな」

「それから、弁天台場が降伏したようです。蟠龍艦長の松岡、弁天台場主将の相馬主計以下120名が武装解除して恭順の意を示したとのこと」

「……そうか。脱走兵による放火が懸念事項だ。建部さんに伝えておいてくれ」


 弁天台場、まさかの陥落。史実では新政府軍が函館山を制圧して陸と海から両面攻撃を加え、箱館市街戦による敗残兵が流れ込み兵糧不足によって士気が激減して降伏した場所だ。


(あそこは固いと思ったが……降伏して来た兵力が少ないところからして、相当にやられたか……)


 弁天台場の陥落の背景には各藩が残り少ない軍功を狙って戦ったのだろうと予測する壱心。弁天台場を狙った上陸部隊には史実の長州、岡山、津、津軽、徳山等の藩兵に加えて福岡藩200名が加わっている。上陸部隊だけでこれだ……そう考えていると誰かの家の屋根上から亜美が双眼鏡片手に飛び降り、壱心に告げてきた。


「敵の一隊が壱心様が想定されたこちらの進路を強行中です。会敵は予測で四半刻後かと……壱心様、下知を」

「……もう出してある。追い詰められた鼠が噛める場所は迫る猫の頭か手だけ……予定通りなら、後は各々の判断に期待するだけだ」


 土埃や粉塵の舞い上がる視界の悪い戦場で亜美はよく見えるなと思いつつ壱心は端的に彼女の言葉に応える。

 箱館市街地という障害物の多い場所での戦い。数の利を活かす密集隊形では行動に支障が出る。壱心の部下は機動性を持つ散兵戦術が出来るように教育してあり、市街戦に適した戦い方が出来るが、土方が率いる部隊は市街戦に向かない密集隊形でこちらに来ている。

 これは土方の見識が壱心に劣るというわけではない。彼は密集隊形を選択せざるを得ない状況なだけだ。


(……敗戦濃厚で士気が上がるわけもなく、激しい戦いの中で逸れたという名目で幾らでも脱走が可能。いくら指揮官が有能で慕われてるとしても限度がある。ここまでよく頑張ったよ……さぁ、幕引きの時間だ)


 密集隊形しか取れなかった理由。それは兵の士気が地に落ちていることだ。彼らは土方が、引いては旧幕府が戦っているから戦っている。そのため、個別に分散した場合だと戦う理由を見失い、戦えなくなってしまうのだ。

 密集隊形であるからこそ後方から押されるように歩くこと、また優秀な指揮官が常に近くにいることで士気を辛うじて保つことが出来ている状況。


 こんな状態の部隊が、自分たちの総大将と共に攻め来た意気軒昂の【御剣隊】・【勇敢隊】の両隊とぶつかればどうなるか。

 

「……敵前衛部隊、通過しました」

「始めてくれ」


 亜美の報告に壱心は静かにそう告げた。その声が亜美に届いたと同時に彼女の手が上がり、騒然としている函館市内に新たな銃声が響き始める。


「伏兵だぁぁああぁあぁっ! 土方様!」

「構うな! 駆け抜けろ! 目的を違うな! 前を見よ! 五星紋の旗印がそこにあるぞ! 香月壱心はすぐそこだ! 奴の首を落とせ!」


 銃弾の雨に晒された土方隊が悲鳴を上げる。だが、彼らは犠牲者に構うことなくこの場を突破しようと濁流の如く押し進み続ける。


 その動きは、【御剣隊】・【勇敢隊】にとって格好の餌食。密集隊形になっている敵陣はさながら的が自らまとまってくれているようなもの。前衛が倒れれば後方が乱れる。その姿はまるで腹を喰い破られた大蛇がのた打ち回っているかのように乱れており、正面への突破力など存在しない。

 その上、仮に突破されたとしても彼らが目指す五星の旗印の下にいるのは壱心金蝉ではなく、古賀脱殻。最悪、この場を突破されてもどうにでもなる余裕は【御剣隊】・【勇敢隊】の両隊に狩人が獲物を見定める冷徹さをも与え、戦況に大きな影響を与えていた。


「止まるなァアアッ! 前に進めェェエエェッ!」

「駆け抜けろ! 死中にこそ活がある! 敵陣に飛び込んでしまえば長物など使えん! 我らが生きる道はそこにある!」


 それでも、土方は声を張り上げた。彼らは止まらない。例え、昨日に酒を酌み交わした相手が倒れても。かつてより慕った歴戦のつわものが物言わぬ屍と化しても。彼より若い者がその未来さきを失っても。


 彼らは前に、進み続けた。



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