古賀勝俊
壱心を試すような会議が終わり、その期待に概ね応えた翌日。壱心は昨日の会議で決定したことを実行するために松前城にある彼の部屋に人を呼んでいた。
「香月閣下、お呼びでしょうか」
「……あぁ、来たか」
現れたのは古賀勝俊。壱心の私兵に近しい御剣隊における部隊長で、磐城の戦いにおいて【人狩】という二つ名をつけられた猛将だ。彼はこれからの成り行きについてある程度は察しつつも堂々と壱心の前に現れた。
「……何故、呼ばれたのか心当たりは?」
「松前城の件について、お叱りを受けるのは分かっております」
「そうか……」
命令無視について処罰されることがわかっていての行動であればそれ以上注意のしようがない。壱心は溜息をつく。
「一応訊こう。何故俺の命令を無視した?」
「目の前の勝利を主に捧げずして武士の本懐を遂げられるとは思いません」
「……もっと大局的な視点について学んでから行動を起こせ。松前城を獲ることで敵兵は五稜郭に集中し、味方に借りまで作る羽目になった。この落とし前、次の戦でつけてくれるんだろうな?」
「勿論でございます」
自らの咎を責められ、功績について褒められもしなかったというのに一切不満を見せない古賀。寧ろ、壱心が皮肉を込めて言った言葉を挽回の地を与えると変換して感謝している。
(……こういう現場主義的な考えが支那事変を引き起こしたんだが……尤も、首脳部に機能が偏り過ぎると別の問題が生じるが……はぁ……)
後々の世で問題となった軍の現場主義、功を立てればお咎めなしという慣例などの根強い歴史を見て壱心は嫌な顔をする。だが、一度瞑目してからはそれを飲み込んで彼に告げた。
「……古賀大尉、次作戦における奇襲部隊の司令官を命じる」
「畏まりました」
「まだ内容を言っていない」
承諾するのが早すぎると苦笑してしまう壱心。だが、古賀は至って真面目な顔で返した。
「香月様の命令とあればお受けする以外の返答を私は持ち合わせておりません」
「守るかどうかは別として、か?」
「いいえ。命令は完全に遂行いたします。その上で、更なる努力を行うやもしれませんが」
互いに今回の、松前城の一件を踏まえた上で皮肉と、自己弁護を交わす。壱心はこんな性格だから歴史に残らずに消されたんだろうと思いながら続けた。
「本作戦は箱館戦線における重要な役割を果たす非常に危険な任務だ。また、お前に預けていた御剣隊は一部を除いて返してもらう」
「畏まりました。具体的に、私は何をすればよろしいのでしょうか?」
「……お前にはまずは俺と共に御剣隊を率いて出陣。その後、此度の一戦を主導した御剣隊の一部を率い、
金蝉脱殻。三十六計逃げるに如かずの語源となった檀道済の兵法三十六計における混戦計。三十六計の第二十一計の策謀で強大な敵を前にした際、主力を安全に撤退するために相手の狙いがまだそこに残っているかのように振舞う策だ。
多くは、その部隊の大将の影武者を立てることで大将付近の主力を逃がすという用法になる。当然、影武者が死亡する確率は非常に高く、歴史に残る金蝉脱殻の実行者は殆ど死んでいると言っても過言ではない。
今回は敵よりもこちらの兵力が勝っている状態。加えて、主力が行方を晦ました後に奮戦は求められていない。だが危険であることに変わりはなく、敵の勢いがついた状態で主力が引いた後の小勢がどうなるかなど言うまでもない。
そんな、死刑宣告を受けたに等しい命令を受けた古賀は身を震わせていた。
「お、恐れ多くも質問の許可を求めたいのですが……」
「何だ? やはり受けたくないか?」
恐怖から来る震えと見た壱心はこれでは作戦の成功には難しいだろうと判断し、別の者に打診するか思案する。だが、その心配はないようだった。
「違います。重要な質問にございます……私が影を務めるのは……やはり、香月様の、でございますか?」
「……金蝉脱殻とはそういうものだが」
影を務めるということまで理解できているのであれば当然だろうと壱心は訝しみながら答える。しかし何故か彼は驚いた表情をしており、壱心の視線に気付いてからは最敬礼を取った。
「ふ……謹んでお受けいたします!」
「そ、そうか……いや、まぁ……くれぐれも他者にこの機密を漏らさないように。頼んだぞ」
「ハッ!!」
退出の指令を受けて見たこともないハイテンションで下がる古賀。彼を見送り、見えなくなったところで壱心はよく分からない徒労感に襲われる。それと同時に何やら奇声が聞こえて壱心はもう何も言いたくなくなった。
「……まぁ、受けてくれるなら何でもいいか。それよりこれで相手に止めを刺せるように準備を進めなければな」
(まさか、この俺が香月様の代役という大任を直々に仰せ付けられ……忠義に殉じろと命じられるとは……!)
退出を命じられた古賀は表情には出さないものの喜色満面で松前城の城下町へと向かっていた。その内心が既に壱心の命令を越えているのだが、忠義の士を自任する彼はそのことに気付いていない。
「ふふっ、ふふ……」
思わず零れる笑み。だが、それが急に止まると古賀は後方を睨みつけた。それと同時に笑顔のうら若き町女が現れる。だが、古賀が警戒して振り返る時には町女の姿は消え、代わりに見知った服装の見知った顔の女が現れた。
彼女はいつもの仏頂面で口を開く。
「何をいい年した巨漢が笑っているのでしょうか、気持ち悪いですね」
「……チッ、歩き巫女か。香月様からの用件を済ませたなら疾く去ね」
袖より取り出した紙を差し出した亜美から引っ手繰るようにそれを取り上げると彼は嫌そうな顔を隠しもせずにそう告げる。いつもなら「元よりそのつもり」とでも吐いて掻き消える彼女だが、今回は片眉を上げてその場に留まっていた。
「まだ済んでいないのか? 何用だ」
気にした古賀が亜美に声をかけると彼女はその場に佇み、顎に手を当てながら答える。
「……個人的な感想です。失敗は許されていません。ここは我々に任せるという」
「戯言を……下らんことを言うだけならば消えろ。情報を漏らすことは出来んが、俺は香月様より賜った重要な役目があるので忙しい身だ」
「チッ、溢しませんでしたか……まぁ精々頑張る事ですね」
「ふん。お前らに言われるまでもない……」
古賀が亜美の言葉に応じる前に彼女は既にそこからいなくなっていた。そのため古賀が小さく溢した言葉はその場に溶けて消える。
「
軽く目を閉じて想起するは壱心と出会う前。金で武士となった男は生みの両親と別れ、金蔓として育ての親の下へと向かったその時。金で誇りを捨てた武士の家に入った時の落胆は今でも忘れない。
だが、この身に流れる血が商人の物であるのならばせめて志だけは誰よりも武士らしくあろうと古賀は決心した。武士からは商人の子と爪弾きにされたとしても、帰りたくなった場所に文を送り、貴方は武家の子と断絶されても。
古賀は足掻いた。だが、彼がどれだけ努力して身体を作っても、金の力と陰口をされる。勉学に勤しもうとも金の力と蔑まれ、交友関係は金の縁と笑われる。
一時は自身を金の化身かと自嘲するにまで至ったこの身。武士でも商人でもないどこにいても不自然な人非人。誰も彼もが碌でもない屑に見え、ならば自身の金を活かして破落戸の親分にでもなろうか……そう、身を落としかけた時に見た光。
光を前に古賀は目を開けて空を見上げる。寒空は月明りをいつもより近くに魅せてくれた気がした。
「普通に考えてないやろ。俺はこん国にあん人の光を届けることに決めたっちゃけん。戦時の香月あるところに古賀ありけり。そう言われるようにやるだけたい」
戦を前にして古賀は恐れることなく笑い、彼の道を再び歩き出した。
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