客人

 戦時下にあったとしても普通の仕事はやって来る。そして、招きたい客がいれば招かれざる客もいる。


 今回、青森港にてお歴々方と軍議を重ね、自軍に様々な指示を出した後に戦線を一時離脱していた壱心の下を訪れていたのは壱心が招いた人物だった。彼は現在、壱心が最も招きたい客である。


「It’s a pleasure to meet Admiral Katuki. I have heard a lot about you.」

「Thank you for your time today......Mr. Mahan.」


 壱心が出した手に握手で応じる男。彼の名をアルフレッド・セイヤー・マハン。地政学における海洋国家論の大家で、近い未来にシーパワーとランドパワーという言葉を提唱することになる偉人だった。




『いやはや、まさかこんなところに通訳なしでここまで話せる方がいらっしゃるとは』


 公式な会談と辞儀合いを済ませた壱心とイロコイ号の面々。これからは公私が入り混じった食事会の時間になっている。イロコイ号艦長には壱心の部下である麻生が勉強させてもらうという形で少し席を外してもらい、壱心は本命であるマハンと食事会を行う。

 現在、彼らは儀礼的な関係を超えた私的な自己紹介を行ったところで軽い食事を摂りながら和やかな会話を続けていた。

 この場で出した食事は西欧人たちに不評だったこの時代の日本食ではなく、味が濃く、オイリーで、獣肉の多い現代食に近い物だ。加えて出した清酒はマハンとそのお付きにも好評でご機嫌な彼らの口の回りもよくなった。


『……にしても、閣下は軍務に服している最中だと聞いておりますが。私に何用ですかな? まさか私の自慢話を聞くためだけに呼んだ訳ではありますまい』


 食事もそろそろ終りに近づく頃。デザートに黒糖仕立ての抹茶パウンドケーキと紅茶が出て来たところで賑やかなだった場が穏やかな雰囲気へと移ろい、マハンはそう切り出した。


『そのまさか、ですよ?』


 そんな本心を探るマハンの質問に対する壱心の返答はこれだった。流石にマハンも壱心の意図を掴めずに訝しむ。そんな彼に追撃の様に壱心は告げた。


『貴方が各国の海を巡って感じたことを話していただきたい。現実の海、そして歴史の海の中で見つけたことを』


 壱心の申し出にマハンは不信感を抱いた。彼の言い方はまるで自分が大海の中を泳ぎ回りやっとの思いで見つけ出した宝を掠め盗るかのように感じられたからだ。

 そう感じたマハンはまずは壱心の真意を探ることにする。険しくなりかけた表情を一度カップにある紅茶を飲む素振りで隠し、カップを降ろす時には何事もなかったかのような表情で彼は壱心に尋ねた。


『ふむ、閣下は何故それを私から? 他にも人はいたでしょうに』

『そうですねぇ……ただの感想でしたら他にも人はいたに違いないでしょう。ただ私が聞きたい感想を抱いていると思ったのは貴方しかいません』


 初対面であるのにまるで知己の間柄であるかのような発言をする壱心にマハンは疑問を抱いた。壱心としては未来の記憶で彼を知っているからこそ行った発言だったが、マハンが壱心の事情を知るはずもないので彼の言いようは混乱を招く。


(彼の略歴を聞いたが、ずっと日本にいたはずで私とは接点などないはず……)


 そう思いつつマハンは壱心に尋ねた。


『……失礼ですが、どこかでお会いしたことがありましたかな?』

『はは、覚えていらっしゃらないのでしたら、ないということです』


 マハンはますます混乱する。この時の壱心は接続詞に当たる単語のチョイスを間違えていた。だが、本人は言い間違えたことに気付いていない。その上、壱心側の側近たちも壱心の発言を一種のジョークと捉えて指摘しなかった。

 その結果、このどちらとも取れる言い方はそのまま場に上げられてしまう。このような対応ではマハンの美食で盛り上がった気分も下がってしまった。


(ん……? 食事の様式も、考えようによっては……何の疑いもなく食べたがこのマオンネーズといい……彼の体格といい……)


 折角の食後の余韻が台無し……そう思った時にマハンは食事の内容でふと気づくことがあった。

 だが、彼がそのことについて深く考えるよりも前に、この場に金髪碧眼の美少女が現れる。彼女は給仕服を身に纏い、紅茶の乗ったお盆片手に悪戯っぽく壱心に笑いかけていた。


『お父様、紅茶のお代わりです』

『リリアン? 何を遊んでいるんだ。まだ大事な話をしている最中なんだから……すみませんね、マハン少佐』

『いえいえ……お子さんで?』

『そうです』


 これは壱心の作り出した茶番だった。公的には不可能でも私的空間でもあると印象付けることで多少でも警戒心を緩められないかと、一目で西欧人と友誼があると伝えられる容姿をしているリリアンとの和やかな光景。

 それはマハンを更に混乱させた。

 明らかに日本人とは異なる風貌の娘。しばらく壱心と口論した後に退出したが、発音はアメリカ。時々、arの発音がoiになっている様子が見受けられたことからブルックリン訛りが入っているようだ。


(少将には訛りが見られない……そうとなると、彼の英語ではないことになるが、順当に行けば奥方がそうか? 私と会うためだけに娘にブルックリン訛りの英語を教えるとは考え難いからな……)


 自身の出身地に合わせた訛りかと勘繰るマハン。彼の出身地はニューヨークだ。もう少し詳しく言うのであればウェストポイント出身でニューヨーク市よりも少し北だが、ブルックリン訛りを地元の方言だと理解する程度には近い。


 色々と疑念を抱いているマハンは少し探りを入れてみる。


『……失礼ですが奥さんは』

『いません』


 有無を言わせない強い口調。壱心としてはリリアンにぼろを出させないための発言だったが、マハンはそれを別の意味で受け取った。


(しまったな……この国は今、内乱の最中だった。これは深く追求しない方がいいか……)


 軽く謝罪して思案に戻るマハン。限られた情報からマハンは現状の把握に努め始める。短絡的に考えるのであれば彼らと自身がアメリカにいた時に会ったというのが手っ取り早い。


(ふむ、アジア人がアメリカ大陸へ移住する数が増え始めたのは南北戦争の前後ごろ……つまり、最近1860年代の話だ。辻褄が合わない……だが、アメリカには1840年から膨大な移民が流れて来ている。一々何人などとは……だが、彼は武士と呼ばれるこの国の特権階級の人間だ。来るとすれば正式な……いや、以前の来日の際に密出国しようとした武士がいたな……)


 マハンの思考は正しく、アメリカには彼が生まれた1840年から彼の死後、1920年にかけて3700万人という膨大な移民が流れ込む。そんな中で個別の事例など覚えていられない。


 加えて、西欧人からすればアジア人は見分けづらい。ましてや、マハンが軍人になる前、海軍兵学校アナポリスに入るよりも更に昔という遠い過去の記憶。年を重ねて見掛けも異なっていると考えると、どうやっても思い出せない。


 元々、存在しない記憶なのだからどうやっても思い出せないのが当然だが。


 だが、マハンの仮定する考えで壱心が以前の知人であるとするならば失礼なのはこちらになる。旧友との再会のつもりで呼んだ相手が自分のことを全く覚えていなかったなどとなると奇妙な態度になってもさもありなん。


(ダメだ。やはり、そんな昔にアジア人なんかと知己になった覚えはないぞ……? もう少し後か? もしや、将軍タイクーンを送った時か? いや、そうであるなら娘をこの場に連れて来た意味がよくわからない……)


 マハンは膨大な歴史書の内容を読み解き、その法則を見出して覚えている。だがしかし、長旅の中で出会った幾多もの人、その全てを覚えてはいない。


 白人至上主義がまだ根強い列強の時代。アジア人など利用するだけの関係と見下す者が多い。マハンも自覚こそしていないがナチュラルに偏見を抱いている。

 だが、今の自分が覚えていないほど前の地元の友人となると、その偏見を抱いていなかった頃の可能性がある。そうなれば急に態度を変えるのも憚られた。ましてや相手は辺境国とはいえ、それなりに国力のある国の軍における要人だ。


(もう少し探りを入れておきたいところだが、この会談はあくまでアール中佐が主のものだ……私が時間を取り過ぎるのはあまりいいことではない……)


 イロコイ号の艦長、アール・イングリッシュ中佐が出て行ってそれなりの時間が経過している。マハンは疑問を多量に抱きつつも問えば藪蛇ばかりの相手と、少し騒がしくなって廊下に出てきている気配を感じる上官の邪魔は出来ないとその疑念を飲み込む。


『あー……今回の航海もそうだが、私にも色々あって、あまり覚えていないんだ。もし会ったことがあるというのなら謝る。詳しい話はまた次回ということで申し訳ないとしか言えないが……改めて自己紹介と行こうじゃないか、我が友よ』


 旧友と言うなら遠慮はいらないとニューヨーカーらしい早口でマハンはそう言い直した。対する壱心は。


(……? 改めて自己紹介? 何の事だ? いや、まぁいいけど)


 外が騒がしくなってアール中佐が戻ってくる気配に気を取られており、マハンの急な話のスピードアップについていけていなかった。

 しかし、このまま適当に流すのはよくないと、途中から気を入れ直して聞くことで理解した部分に対してこう答えた。


『壱心・香月。日本国新政府における海軍少将で今日からあなたの友人だ』

『私はアルフレッド・セイヤー・マハン。誇り高きアメリカ海軍の一員だ。イッシン、今後はフレッドで構わない。よろしく頼む』


 リスニング問題であまり聞いていなかったのに何となく雰囲気で正解したかの様な状況がここに生まれた。これが筆まめなマハンによって後世に残され、後に香月壱心がアメリカ生まれの日本人だったという奇説や、アメリカに密入国していたという説が生まれる原因となる。


 当然のようにまともな人は誰も信じることはなかったが。


 加えて、その後にマハンが書いた回顧録に互いに誤解していたとの文章が笑い話として記されていたことからその節は次第に埋没していくことになる。





 北では客人との喜ばしい出会いがあった。ところ変わって、こちらでは嫌な客が押し寄せてきているようだ。場所は京都三条、木屋町。


 その招かれざる客たちは今、まさに明治新政府の重鎮たるとある男の下へ押し寄せているところだった。


「奸臣、大村! ここで死すべし!」


 叫ぶ男。苦い顔をしたのは大村益次郎。言わずと知れた維新の中心人物の一人である兵学者だ。

 木屋町のとある旅館にて会食中だった大村益次郎らを襲ったのは七名・・の刺客。大村と共に食事をしていた長州藩大隊指令の静間彦太郎は大村を庇って既に死亡している。

 加えて、大村の教え子である安達幸之助も大村を逃がすべく奮戦しつつも今まさに儚く散ろうとしているところだった。


「……あの人の言うことを聞いておればよかったか」


 不穏な情勢が京の町を覆っていると止めに入った桂小五郎を思い出して後悔するももう遅い。彼を守っていた安達もついに斬殺されてしまう。


「覚悟!」


 迫り来る白刃。逃げ場はなく、太刀で受けるかその身で受けるしかない。大村が選んだのは後者。見事受けたことで金属がぶつかる音が鳴り響き、彼の動きは完全に止まる。


 そこに、新たな刃が……


 ……来なかった。代わりに、炸裂音に遅れて重量物が崩れ落ちる音が。同時に、室内に黒い影が入り込む。


「何奴!」


 邪魔が入ったことに激昂する刺客。彼を見て女は気だるそうに告げた。


「……えーとぉ? あなたが神代さんですかねぇ……団伸二郎様からあなたに伝言ですよぉ……『すまん』ですって。はい、彼の命をお代にしてお届けしてあげました……では、香月様のご命令ですから私を恨まずに死んでください」

「なっ……ゥギャッ!」


 虚を衝いての早撃ち。共謀者の名と予想外の言葉で動揺した神代へ女の着物の袖に隠された拳銃から弾丸が放たれる。それは狙い違わず彼の眉間に穴を空けて空白の時を生み出した。


「では、しめて10両……いただきます」


 数分後、この場で生き残ったのは大村とこの女、咲のみ。怪しき美貌を持つ女は目まぐるしく入れ替わる状況を目の前に、微動だにしていない男に告げる。


「……誠に災難でしたね。お二方にはお悔やみ申し上げます……そして、お疲れのところ大変申し訳ございませんが大村様。香月様、そして依頼人の方に報告書を作るので一筆認めていただきたく……」

「わかった……場所を変えさせてもらう。詳しい話はその後だ」


 不躾な女の言葉に動じずに一度強く目を閉じてからは再び強い目に戻った大村。流石だと思いながら咲は人を呼んで後始末を開始する。


 大日本帝国の陸軍の創始者たる大村益次郎。彼は史実と異なる時期に暗殺に遭遇し、そして彼の人生も……この国の陸軍も史実と異なる方向へと進み始める。



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