第13話 再会の時

 長い一日はそれから七日ほど続いた。日夜ずっと激論を交わしていた壱心は寝不足になりつつ、トレーニングが出来ないと嘆きながら加藤の仕事の合間に加藤子飼いの若手と乱稽古をして、現在ようやく要請が通って自由を与えられた。


「はぁ……眠いが、リリィが……」


 日に三時間ほども眠れないのに日夜激論を交わした後に乱稽古という一週間を過ごした壱心は疲労困憊ながら山に残してきたリリアンのことを気にかけながら山に向かう。


(一応、1ヶ月は山籠もりできる分の食料は備蓄されてたはずだが……ね。間違えて薬でも飲んでたら一大事だ……)


 目をこすって大きく息を吸う壱心。酸素を大量に脳へ送ることでほんの一時的にだが頭を無理矢理覚醒させた壱心は周辺にいる人々が変だと思わない程度に急いで目的地まで歩みを止めない。


「すーっ……はぁぁ……あー……」


 何度も酸素を無理矢理入れて脳内を活性化し、壱心は眠らないように山の中へ向かっていく。そんな彼を後ろからつけている者がいた。


(兄上、うちにも寄らないでどこ行くんだろ……?)


 それは加藤司書の邸宅まで壱心と話をしようとやって来ていた壱心の弟、利三だ。彼は壱心に気付かれないように頑張って尾行して結構遠くまで来ていた。そんな弟の行動に疲れ切っていて余裕のない壱心は気付かない。それは確かに壱心の警戒心が下がっているという要因が大きいが、利三自身が非常に頑張っているのだ。


「……よっと。着いた……Lily! I'm here!」

「Dad! Welcome back!」


 久しぶりの再会にリリアンは勢いよく扉を開いて壱心に抱き着く。それを受けとめた壱心が彼女を抱き上げるとリリアンは壱心の頬にキスをした。


(……⁉ なぁ? 兄上、ってか、何か……いや、あれ?)


 この時代の日本における貞操観念から壱心とリリアンの関係を推し量る利三は目の前の光景に驚きのあまり固まってしまう。そのため、後ろからやって来ていた獣の存在に気付かない。いや、寸でのところで気が付いた。


「っ! 狼が……!」


 抜刀する利三。しかし、狼からすればこの場で最も強い、彼らのボスの前に獲物を押し出したことで仕事は半分片が付いている。ただ、そのボスとこの獲物は知り合いだが。


「……利三、か?」

「兄上! 話は後でございます、狼が……」


 狼から視線をそらさずに利三がそう叫ぶも壱心はリリアンを降ろして水平に手を挙げ、人差し指を立てて回し、狼にハンドサインを送って逃がした。それを見ていない利三は狼が多勢を相手取るのを嫌って逃げたと判断して気を緩める。


「Dad, Who is him?」

「……My little brother. 利三、お前こんなところで何してるんだ?」


 問いかける壱心。しかし、利三はリリアンを見たまま固まり、視線だけを忙しなく動かして顔を赤く染め始めている。それはどこからどう見ても怒りや負の感情ではない。そんな中で一先ず、壱心の身内とあれば挨拶すべきだろうと判断したリリアンが壱心の服の袖を掴んだまま利三に話しかける。


「My name is Lillian Smith. Nice to meet you……?」

「は、はーい、スミス。あ、あいむ、カツキ トシゾー。ナイストゥーミーチュー」


 ワンフレーズ英会話が終わった途端に二人そろって壱心を見る。リリアンは壱心にこれでいいのかと問いかけるような視線。そして利三は助けを求めている視線だ。困ったのは壱心だ。尾行されるほどの間抜けな様を見せた自業自得だが、バレてはいけないことが知られてしまった。


「利三、ここで見たことは絶対に他言するな。いいか?」

「あ、兄上、彼女は一体……?」

「日本人とアメリカ人の混血児だ。京で起きた戦闘は知ってるだろ? あれで親を亡くして俺が引き取った……これだけ攘夷が叫ばれている社会の中で言葉も不自由なこの子が外に投げ出されたらどうなるか……賢いお前ならわかるな?」


 わざとこの時代の呼び方に合わせて利三に考えさせる壱心。しかし、この分だと別に大丈夫だろうと先程より近付いて脚にまとわりついているリリアンを抱き上げる。


「You're such a baby.」

「Boo! I'm so lonesome!」

「な、なんて言ってるの?」


 何やら興奮しているらしい異国の少女にせっかく作った外向きの言葉遣いを崩してしまう利三。しかし、壱心は苦笑してそんなに警戒することはないと告げる。


「……まぁ、簡単に言うなら山の中に置き去りにしてたから怒ってる。その分甘えたいとさ」


 会話はそうと、壱心はいい加減自分の汗などの臭いを染み込ませた衣服が鼻に衝き始めていたのでリリアンが着込んでいたそれを脱がせる。これからは既に城下にて適当な部屋を借りてあり、そこに住むため獣除けの服は必要ない。そのため、匂いも普通にしていいので壱心は移動する前にリリアンに水浴びをしてもらうことにした。


「Lily. Wash yourself in the river.」

「Sure. Follow me please, but no peeking!」


 この一週間、何かに襲われるのが怖かったため川での水浴びをしなかったリリアンは壱心がいるなら大丈夫だろうと水浴びを受け入れた。しかし、小さくてもそこは女の子と言うべきか、覗きはしないように先んじて言ってから壱心と利三を伴って移動する。


「くぁ……あ、利三。お前大きくなったなぁ……?」

「兄上こそ、前以上に大きくなられて驚いていますよ……六尺はあるのでは?」

「少しだけ足りなかったな。お前も五尺近くある……あ、そろそろ川に着くから言っておくがリリアンが水浴びする。覗くなよ?」

「なっ!」


 欠伸交じりにからかう壱心と変なことを考えてしまった利三。リリアンは二人の会話はよくわからないが、一人だけ仲間外れであまりいい気はしない。


(せっかく二人きりだと、よく話してくれたのに……)


 過去の自宅では父とだけしか話すことは出来ず、その父は基本的に母に構うので忙しくしていたためリリアンは空気を読んで我慢していた。その家庭が崩壊してからは壱心の下で暮らしていたが、他者がいる場では異国の人間と話すことで外国と内通していると疑われると考えていた壱心とリリアンの会話は少なく、リリアンは常に寂しい思いをしていた。

 それが、移動中は誰もいないので壱心はリリアンとよく会話をしてくれたし色々構ってくれた。美味しいものも食べさせてくれたし、リリアンは初めてよく笑って過ごしていた。


 そんな折にまた、邪魔が入った。川への移動中、利三と一緒に暮らすことはないし壱心もそれほどまでに忙しく過ごすことはなく、自宅に二人きりだという説明を受けたので引き下がったが、リリアンはあまり邪魔されたくないのだ。そのため、利三の仄かな想いにも気づかない。


「Take care, lily.」

「I understand.」


 壱心に見送られて川に入るリリアン。そのすぐ近くで壱心は気に背を預けて半分寝ながら完全には寝ないために利三と会話する。


「……それで、勉強ちゃんとしてるみたいだな……偉いぞ」

「別に? 僕はちゃんと勉強が必要だって分かってるからやってるだけだよ」

「それが偉いってことだ。必要だと思っていても面倒だからやらない人がたくさんいるものだからな……」


 いかん、眠い。しかし水辺は様々な動物が集まる場で危険が多い。異臭の衣を装備していないリリアンなど野生動物の手にかかれば一瞬だろう。利三も大きくなったとはいえ、勝てる相手と勝てない相手がいる。壱心は寝る訳にはいかない。


「兄上、眠いなら寝た方が……何かあれば起こすよ……?」

「……帰ってから寝る」

「僕が覗くかもしれないと思ってるの? 大丈夫だよ」

「いや、普通に熊とかがいるから危ないと思ってるだけだぞ……」


 余計なことを言ってしまった利三はまた赤面するが壱心はそれを見て薄く笑うだけで特にからかうこともせずに欠伸をし、リリアンを待った。



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