第11話 保護の時

「Thank you for your helping, Mr. Isshin.」

「……I recive your your words for now. However, We have many problem. Do what I said」


 異国の少女を助けた壱心だが、落ち着いたところで今更ながらの情報の摺合せを行う。助けておきながら申し訳ないのだが、我儘な子どもであれば壱心はくすんだ金髪を調えながら澄んだ碧眼でこちらを見上げている彼女、リリアンについて諦めなければならないだろう。


 しかし、その心配は杞憂だった。彼女は落ち着いた表情で静かに壱心の言葉に頷いたのだ。


『勿論です』

『ならいい』


 差し当たっての問題。彼女がこちらの言うことを聞かないのではないかという問題は回避された。まだ10にも満たない幼子というのに自身が置かれている状況を把握しているらしい。利発な子だった。


 だが、壱心の前にある問題は山積みの状態が続いている。


(……そもそも、俺は子育てなんぞした覚えがないのだが……どうすべきか)


 近いところではこれだ。異国の少女ということが一目瞭然である彼女を人前に出すことは出来ない。つまり、彼女を育てるには内々に育てる必要がある。ただ、この問題に追い打ちをかけるように壱心の現状は表向き脱藩者という状況だ。ただでさえ攘夷が叫ばれている世の中。気の毒に思ったとしても触らぬ神に祟りなしと避けられるのは間違いないだろう。

 お上は勿論のこと、家族、地縁の友人などの手助けを借りることも出来ない立場となっている。


 こうなれば壱心が彼女の面倒を見るのが一番確実になるが、壱心には長男として弟妹を見て来たという記憶はあっても馬廻組という上士の家は当然の様に家来や使用人がいたため跡取りである彼がそこまで詳しく面倒を見た覚えはない。

 また、これまでさんざんに頼りにしていた未来の記憶にも子どもを育てるための知識はあっても実技に関する記憶は一切なかった。


(……いやはや、本当にどうしたものか……)


 この時点で結構な後悔が壱心を襲うが、やってしまったことは仕方がないし、いい加減に大野の目も気になるので放置も出来ない。


(一先ずは、風呂にでも入っていてもらうか……一人になって思考したいところだからな……)


 取り敢えず日本に先祖代々伝わる秘技、先送り作戦だ。壱心はリリアンに一人で風呂に入ることが出来るか尋ねてYesという回答を得ると彼女を荷物の様にくるんで抱え、大野に風呂焚きの指示を出すように言ってから彼女を風呂に連れて行った。


「さて、独りになったところで途端に妙案が出るわけでもなし。ただ、まぁそうだな……せめて気配を消せる程度には身体の運用を習得してもらおうか」


 初っ端からかなり間違えていると思われる方向に舵を切った壱心。この時代の常識から考えると花嫁修業なるものを教えておくべき……仮にそれが出来ないとしてもこの時代に合わせた教養を身に着けさせるべきだろう。

 隠すにしても自助努力にも程があり、もう少しやり方が……そう思わなくもないが、壱心はいたって大真面目に鍛えることを優先すると考えていた。


(……体が弱いとこの時代では生き残れん。特に、医者にかかるにも問題が生じるのは間違いないからな……俺が診るにしても限界がある……)


 その根幹にある考えがこれだった。確かに、自力で隠れろという意図も込めて鍛えるつもりだ。だが、壱心は生活インフラとしての病院にかかれないという問題について考えていたのだ。

 壱心は薬、特に民間薬や漢方薬。また、それらから少し発展した薬の製造については最低限、もしくはある程度の知識を持ち合わせていると自負している。

 だが他者の診察などが出来る医学の知識は持ち合わせていないのだ。当然、一般教養としての範囲では幕末の一般人よりかは知ってはいるが、もし仮に病気にでも罹れば治療は難しいだろう。


(この時代、7つまでは神の物として扱われるほど子どもたちの命は儚い。なら、鍛えて何とかするほかないだろう。うむ、やはり鍛えるべきだ)


 割と脳筋的な考え方で自身を納得させる壱心。急に黙った彼をリリアンは全裸のまま不思議そうに、そして何を言われるのか戦々恐々としながら見上げる。その視線に気付いた壱心はさっさと風呂に入るように指示を出して人が来ないようにその場に仁王立ちする。


『壱心さんは入らないのに私は入っていいんですか?』

『よくないならそう言っている……』

「ん、いや、こういう言い方だと子ども相手にはキツいのか……?」


 英語でリリアンの問いに答えて壱心はどうすべきか悩んだ。その仕草にリリアンは言葉は分からないが、何となく少しだけ笑い、壱心に見られてすぐに表情を取り繕った。


『どうかしたか?』

『いいえ、何にも』


 会って間もない知らない間柄。しかし、リリアンは壱心が悪い人ではないと何となくでも理解して張り詰めていた気を少しだけ緩め始め、ここから、彼らのゆったりとしたテンポでの家族としての歩みが始まる。







 そんな、京の町での起こった一つの家庭の小さな出来事と同じ町で。しかし時間は町中が闇に包まれた頃。リリアンを強制的に眠らせた壱心は夜道を進み、先の禁門の変における戦渦を免れた小さな旅館へと足を運んでいた。

 当然、壱心は宿泊するためだけにこの場に来たわけではない。彼が止まるのは基本的には福岡藩の所有する藩邸、もしくはその近隣の宿でありこんな辺鄙な場所に泊まる必要はないのだ。

 彼は尋ね人を探してこの旅館を訪れていた。その相手を探すべく、旅館の帳場で笑顔で接客していた妙齢の女性に小さく告げる。


「……石川さんに、忘れ物を届けに来た」

「あぁ、承っております。どうぞ、こちらへ……」


 笑顔を全く崩さずに告げた宿の店主の案内に導かれて壱心は二階へと上がり、呼びかけの後に最奥の部屋の扉を開ける。部屋の中にあったのはどうやら負傷しているらしい男の姿だった。彼を見て壱心は手に持っている荷物を少しだけ上に掲げて声をかける。


「……石川さん、忘れ物ですよ」


 壱心が声をかけた相手はこちらを振り向いて少しだけ苦痛に顔を歪めた後に申し訳なさそうに告げた。


「……香月か。こんな姿で済まんな……」

「いえ、これはここに置いておきますね」

「それは?」

「傷薬ですよ」


 持って来た荷物について尋ねられる壱心。その様子から、彼が忘れたものが壱心の持って来たものではないことが見て取れる。

 だが、そんなことは壱心にも臥せている彼にもわかり切っていることだ。夜闇の中で炎が揺らめくと同時に壱心は体を起こした彼に尋ねた。


「さて、時間もないので手短に行きましょうか。石川さん、実際に長州と共に戦ってみてどうでした?」

「……お前は答え辛い質問をいきなりしてくるなぁ……まるで龍馬と話しておるかのようだ」


 壱心の歯に衣着せぬ物言いに苦笑する石川……彼は下の名を誠之助といい、そして本名を中岡慎太郎と言った。


 中岡慎太郎。言わずと知れた幕末の土佐藩における英傑の一人。彼は元治元年のこの年に薩摩藩の島津久光暗殺のために上洛したが果たすことが出来ずに脱藩志士を率いて禁門の変に長州藩として参加していたのだ。


「にしても、耳が早いな……ただ、此度の話ではそれを話すには時間がない。本題の方を済ませた後に時間があればということでどうだ?」

「そうですか……ただ、私の方ももうすぐ筑前に戻らなければならない用事があるので時間が……」


 歴史を修正すべく、移動する必要があるので壱心はあまりここに滞在することが出来ないという事情を内心で呟きながら壱心はさも今思いついたかのように中岡に告げた。


「もしよろしければ、私の息がかかっている宿がありますので明日以降はそちらに移動をしませんか?」

「いや……まぁ、一先ずは今日の話次第ということでどうだ? その様子を見てからでも遅くはあるまい。悪いが傷に障るとどうも頭の回転が鈍くなるものでな、まともな内に話を進めたい」


 壱心はここで引いた。どの道、彼と話す議題はそう簡単には終わることがないのは分かり切っていたからだ。そうなれば、今後も話す必要があるということになり都合をつけるためにはこちらの提案に乗らざるを得ないことになる。


 この日、壱心は自分の目の届くところに明治を迎えることが出来なかった英傑の一人を保護することに成功し、先客となる異国の少女と合わせて二人の保護者となることになった。




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