第6話
ヨリタマは薬湯での薬師たちの会話を思い出していた。病気で死んだ。でも彼らは、語り部が何十周期も生き続けるみたいなことを言っていた。
「どこへ行くの? 語り部はどこで死んだの?」
「どこで死んだかは分かんないけど、遺体は鍛冶師の洞穴のどっかに安置してあるって。ほら、カグツチの火泥があるでしょ」
死者は鍛冶師の洞穴に近い溶岩の池に沈められる。カグツチの炎が死を清めてくれるのだ。闇の民はカグツチのもとに帰ることで浄化されるのだと信じている。
「でも、仕事が……」
ヨリタマはためらった。
「まだ子供が降ろされるまで間があるじゃない」
アワナミはヨリタマが何かにおびえているような気がした。語り部の死がそんなにショックだったのだろうか。いや、彼女はすでにおびえていた。何かから逃げるように走っていたではないか。アワナミは彼女の顔色を探ったが、ただ驚いて目を見開いているように見えた。けれど、そのことをしつこく聞いてはますます彼女は心を閉ざすだけだった。アワナミは気を取り直し、「行こ」とヨリタマの手を握った。
彼女はアワナミに引っ張られるようにしてついて行った。
ヨリタマは気持ちを整理しようとした。しかし、頭の中は混乱している。何かが起きようとしているのだ。
一体何が?
肌寒い穴道からさらに地下へ行けば行くほど、湿気を含んだ生暖かい空気が満ちてくる。なんとなく臭い。しだいに硫黄の匂いが強烈になってくる。むせ返る臭気の重みと暑苦しさが増してくる。
語り部の遺体を安置してある溶岩の池の穴洞には、大勢のひとの体臭と熱気が満ちていた。ヨリタマは鼻をひくひくさせた。体臭が硫黄の臭気と混ざり、一体どのくらいのひとが集まっているのかも分からない。
アワナミに引っ張られ、人込みを抜け、彼女は何かにつまずいて、うずくまった。顔を上げると、真っ赤に燃えたぎる溶岩が闇の中に映し出された。ボコンボコンと、暗い渦巻きの入れ墨がある、巨大な深紅のカグツチの手が溶岩の池から現れ、沈み、また浮き上がる。
地べたを探ると、パサパサの毛並みの老女が横たわっていた。
匂いと記憶を探ってみる。
老女は語り部だった。
ヨリタマは老女の体に触れた。冷たくて固い。ひどく暑いのに、亡きがらはそれを裏切っている。
彼女は語り部の低くてゆったりとした声を思い出す。
運命とはからまった蛇のようなもの。前もなく後ろもない。輪のようにつながっていて、とめどない。終わりも始まりもない。カグツチの神も途方もない時間の果てか始まりに眠っているのさ。いつも何かの途中にあるもので、同じことが繰り返される。何も変わることなんかない。
「本当にそう思うかい?」
耳元で発せられたしわがれ声に、ヨリタマは驚いた。
闇の中でだれも見えないはずなのに、語り部に酷似した見知らぬ老女が彼女のかたわらにうずくまっていた。
しょぼくれた茶色の瞳が、ヨリタマを見据えている。
「生まれて死ぬことすらも、何かのつながりの途中のことだと思えるのかい?」
「そうじゃないの?」
「同じことが繰り返されているように思うのは、なにも知らないからだ。そのことを知っていれば道は選べるし、わしらはそれほど物事に縛られてるわけではないよ」
「語り部の言ったことは嘘なの?」
「必ずしもそうじゃないよ」
老女は歯の欠けた口を剥き出して笑った。
「ヨリタマ、何ぶつぶつ言ってるの?」
ヨリタマがアワナミの声に気をとられた瞬間、老女は消えた。
アワナミは彼女が岩に向かってしゃべっているのを見て、毛がそそり立っていた。アワナミは彼女が語り部の魂と話をしたのだと思った。
「ねぇ、ヨリタマ、語り部が何か言ったの?」
「……語り部? なぜ?」
ヨリタマはけげんそうな顔をして答えた。
アワナミはばつが悪そうに笑った。ヨリタマはいつもそうだ。隠し事が多い。
「だれと話してたの?」
「独り言だよ」
彼女は立ち上がり、アワナミの腕を引っ張った。
「帰ろう……手伝いは必要ないと思うよ、いっぱいひとがいるし……」
彼女の手を引きながら、アワナミは言った。
「次はだれが語り部になるんだろ。ねぇ、ヨリタマ、あんたならなれると思うんだけど」
「目が見えないのに語り部なんてなれないよ。文字石も使えない」
ヨリタマはぶっきらぼうに言い放った。
「でも、ちゃんと子供のころは文字石の意味も物語も覚えてたし、あんた、あたしの知ってる中じゃ、一番語り部に向いてると思うもの」
アワナミの言葉にヨリタマは思い出していた。
道は選べるし、わしらはそれほど物事に縛られてるわけではない……
本当にそうだろうか。それならばヨリタマは目が見えないということを後ろめたく思わなくてもいいのだ。ただ考え過ぎてしまうことだけ気にしていればいい。けれど、幻の言っていたことすべてが気になる。幻の見せるものすべてがあまりにも肉感的だった。
語り部は不思議な力を持っていると言われる。けれど死んでしまった語り部は普通のひとだった。だれがだれを語り部に選ぶのか分からない。そうでなければ、死んでしまった語り部のように、一番頭の良い子が選ばれるだけだ。
アワナミはヨリタマの手を強く握り締めた。
「あんたはあたしたちにないものをカグツチの神様から授かっているもの。きっと選ばれるって、あたし確信してるのよ」
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