第3話
またばかなことを言ってしまった。でたらめなのに。アワナミがおもしろがるから、自分は調子に乗っているのだ。見えないものを見ていると勘違いしてるだけ……
「ヨリタマ!」
ヨリタマは見えないけれど、反射的に振り向いた。アワナミがチカを抱いたまま追ってきたのだ。ヨリタマは気難しげに顔をしかめた。
「なに?」
彼女の無愛想な態度になれているアワナミは、まったく気にせず彼女を誘った。
「ねぇ、チカに根汁を飲ませて薬湯で洗わないといけないんだけど、ついてきてくれる?」
「なんで」
「あんた、疲れてるじゃない。あんたも薬湯に入りなさいよ、ずいぶん長いこと体を洗ってないんじゃない?」
「自分のことは自分でできるよ」
「だめだめ、ほら、手をつなご。つれてってやるから」
アワナミの暖かい手のひらがヨリタマの肩に置かれる。
「どうせ仕事は終わったじゃない。一夜に二人も三人も子供が降りてくることなんか今までもなかったじゃない」
「そうだけど」
「じゃあ、いいじゃない」
強引にアワナミは彼女の手をつかみ、深い穴道を下っていった。ヨリタマはぼんやりと連れていかれるままに歩いた。
金属臭に硫黄の匂いが紛れて漂う。穴道をすれ違う人達からかすかな硫黄の残り香がする。
「あ、薬師たちがいる」
アワナミがつぶやいた。
「ヨリタマ、薬師に薬を調合してもらおうか」
「そんな必要なんてないよ」
アワナミはため息をついた。
「あんたって強情ねぇ」
穴道には湿気が充満している。生暖かい。薬湯の洞穴から雑多の声が聞こえてくる。反響する声で、薬湯の洞穴がかなり広いのが分かる。足元はびしょびしょに濡れていて、一面に木の根が敷いてあった。
「体洗ってあげるわ、あんた、すごく汚いものね。どうして毛づくろいしないのよ」
ザブザブとアワナミは薬湯に浸かり、彼女の重たい手を引いた。薬湯の温度にヨリタマは一瞬驚いたが、おとなしく湯に身を沈めた。
アワナミの手が彼女の毛をくしけずる。優しく、何度も。ヨリタマはその手を払った。
「悪いけど、自分でできるよ。あたしは子供じゃないんだから」
「気を悪くしたの? 別にあんたのこと、子供だと思ってるわけじゃないのよ、あたしのおせっかいよ」
アワナミの笑い声はカラッとして悪気がなかった。ヨリタマはどう反応すればいいのか分からなかった。アワナミがしゃべるのを聞き流しながら、彼女は自分の毛を丹念に洗った。アワナミが声かけなかったら、一体どのくらい自分は体を洗わずにいただろうか。たぶん、きっと死ぬまで。
「チカに根汁を飲ませてくるから、待ってて」
ザブザブと湯をかき分け、アワナミはどこかへ行ってしまった。
周囲の声にヨリタマは耳を傾けた。薬師たちのボソボソ話す声が聞こえる。彼らは薬湯に毎日浸かり、病んだ身体を少しでもましにしようと癒している。扱う薬石が害を及ぼすのだ。だから、彼らは痛みを弱め気持ち良くする特殊な茸や草を常用している。
(語り部がよ、病気ンなったってよ)
(いまさらの話じゃねぇよ、二世代生きてんだから)
(後十周期だろ、長びきゃ三世代だ)
(十周期か……俺、生きてっかなぁ)
(なに言ってやがる、薬師やってて二十生きてりゃ御の字だ)
(だれもありがたがらね。俺ら命縮めて仕事してんのによ)
(感謝されんのは鍛冶師ぐらいだわァ)
(ケッ、あいつらにクサやってんのはあたいらだよ、あたいらが早死にしてあいつらはのうのうと生き延びやがるか)
(世代の交代が来たら、俺らもあいつらも関係ねぇよ、関係ねぇんだ)
(けどよ、鍛冶師っちゃあ、どんだけ生きてんだ?)
(知らね)
クスクスクス。どこかで女の子が笑っている。
(それを知ってるのは語り部と鍛冶師だけなんだよ、……ヨリタマ)
ヨリタマはビクッとした。見えないけれど、首を巡らせ、だれが自分の名を呼んだのか、確かめようとした。
「アワナミ……?」
しかし、返事はない。
彼女はやみくもに湯から上がった。ひとにぶつかりながら、壁に寄り添った。アワナミを待たず、彼女は浅い穴道にある寝床を無我夢中に目指した。
あの声はなんだろう? 薬師の話を聞いていたのに、近くに自分のことを知っているひとがいたのだろうか?
それならいいのだけど……と、ヨリタマは独りごちた。
闇の空間にぼんやりと白い染みが浮き出てくる。ヨリタマは驚かない。光の中に入ったときから、たまにこんなことがあるだけ。
闇についた傷のような白い染みは蛇のようにも見えた。
そして、なぜか言葉が浮かんだ。
(もうすぐそこに行くよ……)
何が来るのだろう、彼女はぼんやりと思った。
穴道に沿って歩いていると、突然ぐいと肩をつかまれ、「あんた、こっちは入っちゃいけない。あたしが見えなかったのか?」と見張り役の雌に呼び止められた。
「なんだ、赤子拾いの奴か、チッチッ、こっちは危ないんだ。なんでこんなとこにいるんだよ、自分ンとこに帰りな」
ヨリタマはまた壁を伝って、なんとか地表近くの自分のねぐらにたどり着いた。
草木の根を敷き詰めた寝床に丸まり、不安を打ち消したいと彼女は目をギュッとつぶった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます