カラーリング
…………………………
【 オマケの男 】
緩やかに手を振る男。
オマケの男。
優しくて、頭が良くて、背が高くて、甘い香りがする。
オマケの男。
本命には足りない。
オマケの男。
「美優さん……」
卓巳が、背中に唇で文字を描いている。私は、その意味を読み取る為に目を閉じてうぶ毛の先端で、ゆっくりと卓巳の体温を探す。
私が払う部屋代に、似合うだけの優しさが欲しい。
性感体の場所に拘るのは、出来ない男の証拠だし、「へたくそ」と呟くのは簡単。だけど、私は、貴司の時にも、祐希の時にも、そんなことを言ったりしないし、卓巳の唇が触れている場所は、確実に私の中をぐちゃぐちゃに振動させている。
つまり、今は卓巳以外の男達に対して、そんな気持ちになる。ってことで。実際には文字の完成を待つことなく振り返ることを我慢しているだけで、私は熔けてしまいそうになっている。
純白のソフトクリームは溶ける未来しかないのか、私にはわからない。
「好きなの?」
私は、ゆっくりと言葉にして振り返る。
「好きなの?」
卓巳が、繰り返す。
卓巳は、私を信じない。
私も、私を信じない。
大切なことは、私が愛されることで。スタートしてからゴールを探すような心地よさだけを楽しむ恋愛なら、本気になっては駄目だと思う。
実際に、貴司にも、祐希にも、はっきりとしたゴール地点が見えているつもりで。
私は、私のペースで走り続ければ良いし、疲れたら歩けば良い。それさえ面倒なら、どちらかを切り捨ててしまえば良い。どちらを選んだとしても間違いはないのだから。
卓巳は、オマケの男。
「好きだよ」
私は、言って卓巳を抱き締める。強く抱き締める。息も出来ないほど強く抱き締める。
「うそつき」
卓巳が、呟く。
オマケの男。
髪に触れて、くびすじに触れて、乳房から少しずつ私の中に入る場所を探す。
指先を絡めて、呼吸を絡めて、舌先で確かめる。
私の中が、熱くなる。
穢れたクリームの色は、どんな色なんだろう。
「僕は、ね……」
みみもとに卓巳が囁く。
私は、シーツの端を握り締める。
「僕は……好きだよ」
卓巳が囁く。私の中に、その言葉を刻み込むように、ゆっくりと、しっかりと、私だけに囁く。
「好きだよ……」
言って泣き出した私。
「うそつき」
卓巳が微笑む。
夜が明けて、目覚めたら。卓巳と一緒に休日を過ごしたいと思う。
一日だけの、オマケを楽しむ。
緩やかに手を振る、オマケの男。
優しくて、頭が良くて、背が高くて、甘い香りがする、オマケの男。
本命には足りない、オマケの男。
卓巳は、オマケの男。
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【 オコゲ 】
安部フトシは変な奴だ。誰よりも音楽が好きだと公言している。確かに、知識も深くて自分でも楽器を操るし、なにやら得体の知れない連中と仕事と称した何かをしている。
安部は、物事を熱く語ることもあれば冷めているときもある。深く話し込むこともあれば、そんなのは無用だと笑い飛ばすこともある。
例えば、昨夜。私が「自分より知識のある人と出会ったときに、誰よりも音楽が好きだなんて公言しているのは恥ずかしくならない?」と訊いたときに、阿部は熱く語った。
「僕にとっての音楽は、着なくなったらタンスの奥にしまいこむような自分を飾るためのものではない。かといって、教科書のように自分の進むべき道のりが書かれた大層なものでもない。きっと、街の遊園地にあるジェットコースターに似てる。でも直ぐに、隣街の遊園地にはそこよりも大きくて速くてスリリングなコースターが作られるかも知れない。だから僕はあちこちの遊園地に出向いてそれらの新しい乗り物に興じるかも知れない。いや恐らく、そうに違いない。でも、僕はこの部屋から見える公園のブランコにいつか思い出したように乗りたくなる。かも知れない。それは、抑えきれなくて、堪らなくて、僕は絶対にブランコを漕ぐに決まってる。ジェットコースターの歴史や考案者なんて知らなくても、またあそこの遊園地に行って乗ってしまうかも知れない。スリリングなものが次々とできれば、それに乗ってみたいと考えるかも知れない。乗らないかも知れない。ただ、それだけだから。音楽の知識って言うのかな……いや、好きなことの知識の量を誰かと競うなんて意味ない。知識なんて足りなくても僕が好きなことに代わりなんてないんだから」安部は、嬉しそうに語った。
そんなこんなで、なんだか分からないけれど、安部と居ると刺激的だ。
それから。大したことではないけど、私と酒井理央は、安部フトシと共同生活をしている。
私たちは阿部と寝たりすることもあるし、喧嘩したりすることもある。
理央は真面目で少しだけオタク気質な小学校の教員で、私は、コンビニの店員だったり花屋の店員だったり夜のコンパニオンだったり、定職なんて考え方は苦手な人種。
「『愛してる』って言われた」
理央が三人で囲んでいるキムチ鍋をつつきながら呟いた。
「良いんじゃない? 卓巳くんでしょ?」
私は、真っ赤な鍋の中で沸々と踊る白い豆腐を箸で挟みながら訊いた。阿部が自分の皿を持ち、私と理央の箸が鍋の上をさ迷い終わるのを待っている。
「良いんだけどね……」
理央が無事に豚肉を取り込んで自分の目の前に皿を置く。
「良い物件だけど、なんだか足りない……そんな感じなのかな?」
今度は、順番待ちをしていた阿部が鍋をつつく。
「物件なんて言ったら悪いけど……多分、そんな感じかな……」
理央はテーブルの上に置いた皿の具材を箸の先端でつついてから、ため息を吐いた。
「要らない物件なら、私が使おうかな? 最近、貴司も、祐希も、つまらないんだよね」
私は、少しだけチクリとする痛みを辛味のせいにして鍋からあがる色のない湯気を睨み付ける。オマケは、誰かに自慢する為に大人買いしたりする必要のないものだし密やかに楽しむ方が良い。
「美優も、理央さんも、盛んだね」
言いながら阿部が鍋を箸でかき回す。
「鍋を、そんな風にかき回したら駄目でしょ? それに、いつも理央だけに『さん』付けするのは、私に特別な感情を持ってる事の表れなの?」
「残念だけど、違うよね……卓巳くんは誰にとっても美味しそうな物件だけどね」
意味深な表情で私を見詰める阿部の表情が湯気で歪む。
「キモッ…」
理央が阿部を睨む。
「あっ、僕はどっちでもイケるから。言ってなかったかな……」
首を捻る阿部に、私と理央は何度も頷いた。
「そうだった? 僕、両刀だから。これからもヨロシク。んでね、卓巳くんは多分上手いでしょ?」
「なにが?」
理央の問いに阿部が指先と箸で、卑猥な表現をする。
「わかるの?」
身を乗り出す私をゆっくりと見上げる阿部。
「ああいうタイプは、焦らすのが上手いんだよ……」
阿部が遠くを見詰めて恍惚な表情を浮かべる。
「そっちに関しては、天才? ですか?」
ガスの切れ掛けた卓上コンロの炎が、鍋の底を黒く焦がしている。
それが至極当然のように黒く焦がしている。
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【 丸く尖る 】
痛みが、こんなにも鋭い熱のようなものだと初めて知ることができた。
頭の痛みに、お腹の痛み、胸のイタミ。
そんなものでは、全然足りなくて冗談のように額から汗がふきだす。
手のひらを湿らす液体の滑りが奇妙に現実的で、わき腹から溢れだしているその液体が生命を維持する為にとても大切なものだと私でも理解できる。
「自分のしたことを考えれば、当たり前だろ?」
貴司の声が震えていて、私は痛くて呻いているクセになんだか可笑しくなった。
「救急車……呼んでね……」
泣き叫びたいのに声が出ない。私のくだらない懇願を聞いて緊張していた貴司の表情が弛緩する。弛く開いていく。私のワガママに愛想が尽きたのか、何かを決断したのか、貴司の顔が表情を失う。
「ごめん……本当に、ごめんなさい……」
なんだか今さら酷い恐怖心に苛まれた。
チクチクと、鋭く歪な刺が私の中に忙しない恐怖という名の痛みを誘発させる。その、痛みは生きることに対する執着心で私が最後まで持つべきものだ。諦めてしまえば、失ってしまえば、消えることを認めたことになる。
「殺さないで……」
懇願の色って、どんな色なのかが気になった。アスファルトの路面に跪く私が、貴司の目を通してどんな風に見えて入るのかが気になった。私はおかしいのかも知れないし、こんな状況下にある人間はおかしな事を考えるものなのかも知れない。
ただ、それは強烈に私の意識を支配して、それ以外のことを遮断する。
それは、阿部が微笑む無色透明の悪意に似ている気もするし、空々漠々とした砂漠を写した今月のカレンダーの色合いにも似ている気がする。
人垣の輪の真ん中で、空を見上げる。
いつか観た映画のように快晴の空が薄い青だけを使って私の距離感や空間認識を歪める。狂わせる。遠く、果てしなく遠くにある掴むことなど出来ないものに触れることができるような気がして、私は手を翳した。
おわり
下地創り @carifa
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