エスエフ

 使い込まれたグローブの先端が破れて露出した親指の爪を暫く見詰めた後。どこまでも続く水平線を見渡す。太陽光を反射させるエメラルドグリーンの海が穏やかな波を作り出していて、その遥か上空を絶滅が危惧されている鳥達が綺麗な円を描きながら飛んでいる。確か学名はイノミチカナ。陸地を失う直前に人類が見付けた最後の新種の鳥の筈だ。考えながら、今野源次郎は甲冑のようなパワードスーツの左肩部分に装着されているモニターを指先で操作した。イノミチカの項目を探し出し、それをヘルメットのフェンダー部に投影させる。黒いフェンダーの内側に、鮪のような黒く厚みのある2m程の身体に白い羽が生えた生物が浮かび上がる。補足の文字情報として『雑食、多感、獰猛』とある。

「確実に、捕獲しないとな」

 今野は、ひとりごちてから波に漂わせていた飛行艇のエンジンをかけると操縦桿を握った。低く唸るようなエンジン音が波の音だけが漂っていた静かな海に響き渡る。爆音に驚いたのか水面近くにいた無数の小魚の群れが空中に跳ね上がり小さな銀色の飛沫になる。

「魚アミを持ってくるべきだったな」

 更に呟いて、今野はエンジンのスロットルを全開にした。フッと全身から力が抜けるような感覚を感じた後、今野の身体はシートの背もたれに強烈に押し付けられた。飛行艇が波の上を滑るように加速していく。距離を増す毎にその速度も増されて、やがて飛行艇の後部から上がっていた水飛沫が消えたと同時に飛行艇はフワリと空中に舞い上がった。



 2138年、兵器としての気候操作を繰り返した結果。地球上の陸地は、その殆んどを大海に呑み込まれていた。

 その為。人類をはじめ、ありとあらゆる生物の大半が死滅したが、先進のAI技術により予見された現実を信じて早々に避難していた小数の富裕層と僅かに生き残った野生生物は、新たな生態系を築いて今日にいったっている。そして、その連鎖の頂点に君臨するのは既に人間ではない。



「俺だよ。聞こえるか?」

 無線に問い掛ける今野は、先程迄自分が漂っていた遥か上空。鳥達が旋回する場所を目指している。

「こちら本部。受信感度は良好。バッチリ聞こえてるよ。連絡してきたってことは、何か見付けたの?」

 無線に答える若い女性は望月希美。つい最近、管制部に配属されたばかりの新人だが、飛行艇のメンテナンスや生物の知識は他のクルーに比べて断然豊富だ。ただ、今野の心象としては二十歳になったばかりの新人に十歳も離れている自分が対等な口調で接せられるのが心地よくなかった。

「鳥だよ」

 短く答える。最近のハントで鳥に遭遇した者は居ない。深海魚に飽き飽きしているベースの仲間達にも胸を張って報告が出来る。

「鳥って、凄いじゃない」

「イノミチカじゃないかと思う」

 言いながら視界にある白い羽根の生き物を見詰める。鳥達の旋回の切れ目を探す。鳥の動きを制御しているボスが居る筈だ。

「イノミチカ? 本当に凄いじゃない! 最近は鶏肉なんて滅多に手に入らないんだから、絶対に捕獲してよね」

「了……解」

 答えて無線を切った。陸地の大半が消えてから食物連鎖は完全に一転した。陸に存在していた多くの動植物は死滅して、海に浮かぶ巨大な空母内で維持管理出来る家畜や植物以外は、水没で破壊された原子炉や核施設からもれた放射能を大量に含んだ変異型の鳥や魚達のみとなっている。その中でも比較的、被爆率の低い鳥は初期の新世界で大規模に捕獲されて野生のそれに巡り会う事は殆んどない。そして、それでもそれら稀少生物を捕獲するのが今野の任務だ。

 今野は鳥達が描く円の左端で一際大きな身体の一匹に目標を定めて、操縦桿を握り直した。手のひらに大量の汗が噴き出している。

「三匹……いや、四匹は捕獲してやる……」

 呟いて、円の後ろに回り込む。今野の飛行艇に数羽が驚いて整然とした円が微かに歪む。

「我慢してろよ……少しだけだよ……乱れるなよ……」

 祈るように呟いて、暫く鳥達の後方を飛びながら捕獲弾の装填を行う。基本的に砲弾は翼に設置されていないからだ。

「たっく……共存令なんてクソだ」

 国と云う線引きが無くなって、人類はまず最初に生き残った人類の代表を誰にすべきなのか模索した。だが、浅ましいが故に生き残れた富裕層達にそんなことが可能な筈もなく、空母対空母の争いが絶えなかった。それを受けて、数年後にAIが考え出したのが共存令で、名前こそ共存令と成ってはいるが要するに限られた資源の中で生き抜くために自分達の空母以外のことには全く関わらない事に人類の代表達は賛成したのだ。争いも贈与も要求もない。従って食糧捕獲の為に使われる以外の武器も必要ない。見知らぬ飛行艇とスレ違っても挨拶さえ交わさない。だが、建て前と本音は違うもので、どの飛行艇にも必ず砲弾が積載されている。勿論、捕獲用の砲弾ではないものをだ。意味の無い取り決めだ。今野は考えながら捕獲弾のトリガーを操縦桿横の装置に取り付けた。

「装填……完……了っだ」

 言って視界の先に居る鳥達を睨み付ける。鳥達は今野の飛行に危険を感じなくなったのか静かに翼を羽ばたかせている。

 照準を合わせてエンジンのスロットルを全開にする。飛行艇の速度が一気に加速する。重力を全身で感じる。

「うぉぁりゃぁぁ……」

 唸るように叫びながら鳥達の群れに突っ込む。狙いを定めていた鳥に向けて捕獲弾を発射する。白い煙の尾を引きながら砲弾が鳥達に向かう。だが、後少しというところで群れは散り散りになり白い塊が弾けたように拡散する。

「クソッ! ヤっちまったか?」

 今野のは、操縦桿を力一杯に引き上げて体勢を立て直す。急激な上昇下降を繰り返す機体。信じられない程の遠心力が今野の身体をシートの中に埋もれさせる。胃が捻れて、目玉が飛び出しそうな感覚に陥る。反転した機体の中で重力に従順な血液が上手く体中を駆けていかない。ブラックアウト寸前で今野はもう一度操縦桿を操作した。糸が切れた凧ののようにクルクルと機体は力無く回転した後、体勢を立て直した。

「まだまだ! だ!」

 もう一度叫んで、鳥達の黒く白い塊が戻り始めた部分に突っ込む。

「クソッたれ!」

 右に左に、俊敏に飛び回る鳥達の中から再度目的の獲物を定める。身体の自由が奪われて、操縦桿を操る腕まで痺れが走る。

「諦めろ……っよ」

 もう一度捕獲弾のトリガーを引く。今度は、上手い具合に弾丸は目標に向けて飛んでいる。

「っだ!」

 今野の目の前でそれは弾けて中から飛び出した捕獲アミが鳥達を数匹まとめて絡めとる。

「おっしゃっ!」

 拳を突き上げて落下していく絡めとられた鳥達に叫んだ。

 後は落下した獲物を回収するだけだ。安心してスロットルを緩めた瞬間。飛行艇の真横から着弾時に感じるような強い衝撃を受けた。

「なんだよ!」

 視線を向けると衝撃を受けた方向の機体に鳥達が体当たりをしてきている。鋭く尖ったクチバシで機体に幾つもの穴を空けている。

「なんだよ! バカ野郎! この、クソッ!」

 もう一度叫んで、機体を真横に回転させる。ドリルのように幾度となく勢いを着けて回転を繰り返す。意識が飛びそうになるまでそれを繰り返した。翼やプロペラに巻き込まれた数羽が海に落ちていく。暫く続けて同じ飛行を続けると鳥達は諦めたように上空に帰っていった。

「アホ! 死ぬわ! こっちが死ぬわっ!」

 今野は何度も繰り返し叫びながらゆっくりと旋回して海に降りた。

 海面に飛行艇を着水させると捕獲弾のアミで捕獲した数匹と、その他にさらに数匹が波に漂っている。今野はパワードスーツを脱いで飛行艇の翼の上で深呼吸を繰り返す。捕獲アミを手繰り寄せて保存タンクに放り込む。

 大きく伸びをして空を見上げる。軽薄な青がどこまでも続いていて、意識しなければ雲の存在を忘れてしまいそうだった。

「……シエステック2号艇……3号艇……至急帰還して下さい……ベースに敵機接近中。繰り返す! 敵機接近……全艇! 早く……」

 無線から響く突然の緊急コールに今野は慌てて飛行艇に乗り込んだ。操縦席に斜めに腰掛け通話用のヘッドフォンを片耳に押し当てる。

「ノイズが酷いな……」

 感度が悪く発信元の言葉はハッキリとは聞き取れない。どうやら飛び込んできた無線の発信元は、傍受できる境界ギリギリの位置にあるらしい。今野は無線のダイヤルをチューニングしながら脱ぎ置いていたパワードスーツのモニタも操る。中継局のない無線電波が届くのは条件が整っていても十数キロ以内の筈だ。上手くいけば自分達の空母ではない巨大な浮島を探す事はそんなに困難な事ではない。

「敵……多数………助け…限…界……」 

 更に乱れる無線の叫び声。

 これまでに今野達の空母が他国(他空母)に襲われた事はなかった。幸運にも共存礼の中に辛うじて存在していた。だが、今野が把握しているだけでもこの数年で片手では数え切れない程の空母が海に沈んでいる。理由は様々で単純ではない。だが、人知で補い切れなくなった世界秩序をAIなんてものに委ねたのであれば人類はそれに従わなければならない。出来なければ滅亡へのタイムリミットは加速するばかりだ。

「駄目……だ! 多過ぎる……限界だ!」

 叫ぶ管制官の絶叫が操縦席で木霊する。今野は停止させていた飛行艇のエンジンを始動させると、そのまま操縦席に着き無線機のスイッチを通話に切り替えた。

「こちらは空母リリックの飛行艇GM2号機。そちらの救援要請の無線を傍受した。今からそちらに向かう。状況を詳しく教えてくれ」

 言いながらパワードスーツのヘルメットだけを被り、検索していた空母の位置を表示させる。フェンダー部に映し出される地図と自機の位置を確かめる。水素燃料エンジンの方で飛べば数分で辿り着ける距離だ。今野は水素燃料と化石燃料の針が隣どうしに並んだパネルを指先で軽く叩いた。

「大丈夫……帰りは、化石燃料で飛べば良い……よな……」

 発信元からの応答はない。構わず、今野は操縦桿を握り締めた。



 いつもよりも、かなり高い位置を全速力で飛ぶ。雲が薄い海域はレーダー搭載の空母以外なら高さを保った方が太陽に隠れて発見されにくい筈だ。今野は迷いながらも無線機のダイヤルを自分達の空母へ繋いだ。

「俺だよ。聞こえるか?」

「こちら本部。聞こえてるよ。何匹捕まえまえたの?」

「あぁ、鳥の方は…五匹か……」

「なにそれ! 凄いよ! 皆、鳥が五匹だってさ!」

 望月希美の声が弾む。その奥で管制室内にいるクルー達の歓声が響いている。今野はその声を遮断して続けた。

「それと……ついさっき、緊急救援のコールが届いたから……」

「だからなに?」

 今野が言い終わらない内に望月が怒気が満ちた声で聞き返す。

「いや、だから、今……その船に向かって……」

「バカじゃないの! そんなのこっちでも拾ってるっツーの! 共存礼を無視して何のメリットがあるの? 直ぐに引き返して!」

 望月の強固な意思を感じる口調。今野は答えに窮した。

 確かに、考えるまでもなく協定を破るメリットがあるとは思えない。無線の叫び声も既に勝敗は決しているようにさえ感じられた。結果の出ている戦場に飛び込んで自分達の立場を危うくする以外の結果を想像することも出来ない。

 だが、行かなければ確実に助けを求めている人達は死ぬ運命にあるように思える。

「俺が行かなければ確実に大勢が死ぬ」

「そんなのは分かってる! でも、それでも、その場所に行けば、こっちまで被害をもらう事になるのよ! その責任がとれるの? 良いから、黙って今すぐ引き返して!」

 望月の正論が突き刺さる。それでも今野は今もこちらに向かって叫び続けている声を無視する事ができなかった。

「すまない。ただ、見てくるだけだ……無理だと思えば直ぐに引き返す」

「駄目! そんなのは……」

 今野は望月の返答を待たずに無線のダイヤルを、助けを求める叫びの方へ切り替えた。

「助けて…もう……限界……」

 ひび割れた声が絶望を伝える。今野は視界の端に小さく見えてきた空母と思われる影から黒く立ち上る煙に向けて叫んだ。

「もう、少しだ! もう少しだけ持ちこたえろよ!」


 

 黒煙を上げる空母の上空をゆっくりと旋回した。黒煙の下で巨大な鉄の塊が業火を上げている。甲板で繰り返す爆発の連鎖。恐らく、突然の襲撃に並んだまま発進することも出来ずに燃え上がっている飛行艇。その中を消化すら諦めた人々が逃げ惑う。爆発の炎が衣服に燃え移り海に身を投げる。今野は、視界に飛び込んできている地獄絵図の中にいる人々の恐怖の叫びと怒号が直接耳に飛び込んで来るような錯覚に陥った。

「なんだよ……これは……」

 呟いて高度を下げる。近付けば近付く程に明らかになる凄惨な現場。今野は滑走路の先に、幼い子供とその手を引きながら逃げ惑う女性を視界に捉えて叫んだ。

「逃げろ! 諦めるな!」

 そのまま速度を上げて高度を下げ続ける。甲板と水平に飛び始めた時に目の前の甲板が赤黒い炎と共に弾けた。操縦桿を一気に引き上げ、急旋回してそれを回避する。気が付くと直ぐ後ろから二機の飛行艇がピッタリと張り付いていた。

「そりゃ、そうなるよな!」

 叫んで操縦桿を瞬時に左右に切り返す。機体が大きく揺れて空を切る。今野の飛行艇の翼が雲を引く。回転しながら飛ぶ今野の飛行艇に後ろの二機が圧倒されて距離を置く。空かさず今野は機首を上げた。しなやかに空中で小さな宙返りをした今野の飛行艇が嘘のようにあっさり二機の後ろに着ける。状況を一転させる。刹那。今野は砲弾ではない捕獲アミのトリガーを静かに絞る。ロックオンした事を相手に明確に伝える。

「このまま、アミを撃ち込んでやっても良いが、どうする?」

 ひとりごちながら、暫く目の前の飛行艇にピッタリと張り付いて飛行する。その間にセンサーで、他に飛んでいる飛行艇がいないか調べる。いくら手練れの戦闘機だとしても二機では空母を襲うには少な過ぎる。他にも必ず飛んでいる筈だ。だが、二つの機影以外に反応はない。今野は訝しく感じながらも、その飛行艇の後ろを飛び続けた。どのくらいの時間、そうやっていたのか解らないが目の前の飛行艇は観念したように水面ギリギリを飛びながら燃える空母から離れていった。直ぐに空母に戻り、敵機に襲撃された際に見失った親子のことを探したが見付からない。

 燃え続ける船内は、至るところから火柱が上がる。繰り返す爆発も弱まる気配すらない。ここまで破壊されていては既に消化は不可能に違いない。それに、浸水が始まっているのか船は確実に斜めに傾いている。炎に追われて次々と海に飛び込む人々。激しく水面に叩き付けられて浮かび上がらないその影が叫ぶ声が今野の脳裏に直接訴えかけているような気がした。

 だが、今、飛行艇で空母の側に着水すれば爆発や沈没の渦に確実に呑み込まれる。滑走路に着陸するにしても炎の勢いは恐ろしく強い。間違いなく着陸することすら出来ずに甲板に叩き付けられる。今野は、術なくその光景を眺めながら空母の上を飛び続けた。

「誰も……脱出できないのか……」

 無線に呼び掛け続けるが返事が帰ってくる様子はない。




  


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