第九節
あれから、一ヶ月とちょっとが経ったときだった。
学校から帰ってきたらちょうど電話があり、出ると、マサのおばさんだと言う人からだった。
いきなりだったし、全然面識が無かったから、正直戸惑った。
話を聞くと、あのときの仔猫を預かっていて、充分成長したから引き取りに来てほしいって催促だった。
あの事件の後、マサに猫の世話を頼まれていたらしく、そのうちの一匹はオレが引き取る約束になっていたそうだ。
確かに約束はしたし、オレもあの猫のことは気になっていたから、日曜に約束をし、行ってみた。
おばさんの家は郊外にあり、電車とバスを乗り継がなきゃダメなところだった。
いまバスの中にいるんだけど、窓の向こうには田んぼや畑といったのどかな景色ばかりがずっと広がっていて、まるで田舎だ。都会育ちの俺にとっては辺境の地だけど、ほのぼのした感じで嫌いじゃない。
「アイツも、こういうところに住んでたら、あんな風にはならなかったのかもなぁ……」
マサとはあれから会えてない。まぁ、普通は会えないだろうな。うわさでは更生施設にいるらしいから、まず無理だ。
てっきり少年院に入れられると思っていたけど、そうはならなかった。殺人未遂で済んだからだ。
もう死んでるんじゃないかと思ったアイツの母親だけど、実は生きていた。けっこう危なかったみたいだけど、一命を取り留めたそうだ。だから罪が軽くなった。それに家庭環境も考慮されたらしい。
親父からその話を聞いたときは、心底ホッとした。マサが人を殺さずに済んで、本当に良かった。
最初はすげぇ怖かった。オレも殺されるんじゃないかと思った。けど、マサはオレのことは傷つけなかった。だからあの後、ずっと考えて、悩んで、悪いのはアイツじゃないんだって、そう思った。悪いのはアイツをあんな風にした両親のほうなんだ。痛い目に遭って当然なんだよ。あれは罰だ。それなのに、アイツだけが責められるのはおかしい。あんな最低な親を殺したせいで人生がダメになるなんて、そんなのは間違ってる。理不尽で、不条理だ。だから、アイツが誰も殺していないってわかったときは、本当に安心した。
そういえばあのとき、どうして警察が駆けつけてきたのかだけど、あれは父親が通報したからだった。携帯電話を隠し持っていたそうだ。どうしても気になったから、事情聴取をされたときに刑事さんに聞いたら、そうだと教えてくれた。
なんで携帯電話を持っていたのかだけど、それは聞くのを忘れたからわからない。でも、マサだったら気づけたんじゃないかと思う。
わざと捕まりたかったから見逃したとか?
それとも本当に気づけなかった?
なんでだろうって、あれこれ考えていたときにふと思い出したんだけど、あの父親は確か浮気をしていた。だとしたら、あの目ざとそうな母親の目を誤魔化すためにも、浮気相手との連絡用にもう一つ携帯電話を持っていてもおかしくないんだ。もしかしたらそれを、あのクローゼットの中に隠してあったんじゃないかな。それを使って通報したのかも。
もしそうだとしたら、すっげぇ皮肉な話だよな。それが妻の命を救って、結果的に息子を人殺しにさせずに済んだんだから。
あれだな、父親としての責務を果たしたってことになるのかもな。
その両親だけど、今は別居していて、離婚裁判の真っ最中らしい。これは母さんから聞いた。母さんは近所の情報通のオバサンから聞いたそうだ。
当然だけど、あのときはけっこうな騒ぎになった。今時なネタだからマスコミも駆けつけて、マジで鬱陶しかった。
まぁでも、そのおかげでマサが悪いんじゃないってことを皆にわかってもらえたから、そういう意味では助かった。
近所もそうだけど、学校でもマサのウワサで持ちきりだったんだ。ただ、事実と違ったり、まるでアイツがサイコパスみたいな危ない奴だって話まで出ていたりして、オレはそれが我慢できなくて、そういう話をしている奴を見つけたら捕まえて、あのときの真相を事細かく説明してやった。
本当に悪いのは、あんなに優しいマサをあそこまで追い込んだ両親のほうで、アイツはただ仔猫を守りたかっただけなんだって。
それを繰り返していたら人伝に広まったみたいで、マスコミも今時の子供じゃなく、今時の危ない子供を作る両親のほうに注目してくれたから、両親の評判は最悪になったけど、アイツのことを悪く言う奴はいなくなった。ざまぁみろだ。
ただ、マサが大の猫好きだっていう変なウワサまでついでに広まったけどな。まぁ、そこは別にいいよな。
とにかく、それがマサの助けになったのかどうかはわからないけど、とにかく、アイツは少年院に入らずに済んだんだ。
オレにとっては、それがせめてもの救いだった……。
マサのイメージを守るために頑張ったオレだけど、結局のところは自分のためだった。罪滅ぼしだった。
オレは最低だ。わがままだし、独り善がりだし、図々しくて、厚かましくて、偽善者で、後のことをなにも考えないバカだ。
もしマサが、自分のことをサイコパスだと思い込んでいたら、どうしよう。
もしそれが原因で自暴自棄になっていたら、どうしよう。
そのせいでこの先、マサが本当にサイコパスみたいになっちまったら、それは絶対オレのせいだ。
興味本位で、マサの人生をメチャクチャにしたかもしれない。
やっぱり最低だ。
本当のサイコパスは、きっとオレみたいな奴のことを言うんだ……。
「お客さん、下りないのー? さっき言ってたの、ここですよー」
その声にハッとした。
やばっ、眠ってた!?
そのことに気づき、運転手がこっちを見ているのを知ってやっと、バスが停車しているってわかった。
「あっ、すみません! 下ります!」
急いで下りると、バスはすぐに走り出した。
危うく乗り過ごすところだった。運転手さんが声をかけてくれなかったら、終点まで眠りこんでいたかも。乗るときに行き先を聞いておいてよかった。本当に助かった。
一安心したオレは、思い出したようにあくびをした。涙が出たので上着の袖でこする。
まだちょっと眠い……。
眠気覚ましのガムやコーヒーでも買っておけばよかったなぁ。
実は、あの事件以来、ずっと寝不足が続いている。悪夢を見るんだ。そのせいで寝るのが怖くて、満足に眠れてない。
悪夢だけど、夢の中でオレはマサになっていて、アイツがオレになっている。で、オレがアイツを、笑いながら……思い出すのも怖い。
もう何度も見た。何度見ても慣れなくて、いつも飛び起きる。夢だとわかっていても、怖くてしょうがない。
まるであの瞬間に戻るみたいで……。
「睡眠薬とか、飲んだほうがいいのかな……」
そういえば、独り言も増えた気がする。
「えーっと、おばさんの家の方向は……」
また独り言。ついでにあくびをして眠気を誤魔化しつつ、上着のポケットから地図を取り出して、周囲の様子を見た。
少し住宅の数が増えた気がする。田んぼと住宅地の境目って感じ。
「こっちかな」
オレは地図に従って歩き出した。
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