第八節

「ちっちぇ~、うは~、可愛いにゃ~」

 やべぇ、めっちゃ可愛い。すっげぇ可愛い。弱々しい感じで触るのがちょっと怖い。指でなでるのも怖い。

 それにしても、臭さが増したな。オシッコ臭に獣臭も追加だ。若干ツンとくる。

 こんなに幼いとトイレのしつけとかできるわけないし、こればっかりはしゃーないな。可愛いからそういうのは度外視だ。でも、後でちゃんと手は洗っておこう。

「それで? これどうしたんだよ? 捨てられてたとか?」

「うん、そうなんだ。近くの公園のベンチの後ろに置いてあって。鳴き声が聞こえるから覗いて見たら、仔猫が六匹も……」

「それで情にほだされて、ついつい持って帰っちゃったと?」

「うん、どうしよう……?」

「聞かれても困るー」

「そうだよね」

「正義の家じゃ飼えないんだから、里親に出すしかないんじゃないか? 保健所とかは嫌なんだろ?」

「保健所はダメだよ! そんなの嫌だ!」

 マサがめずらしく大声を出した。ちょっとびっくり。

「だ、だよな。でもよぉ、里親に出すにしたって小さ過ぎるだろ。もうちょっと大きくならねぇと」

「うん……」

「んー、一匹ならうちで預かってもいいかなって思ってたんだけど、六匹はさすがにキツイなぁ。それに幼過ぎるし」

「成長したらもらってくれない?」

「ああ、一匹だけならいいぜ。妹が猫飼いたいって言ってたしな。オレも飼いたいし」

「ほんと!? ありがとう!」

 マサはパッと笑顔になった。満面の笑みってこういうのを言うんだろうな。

「あとの五匹はクラスの奴らに聞いてみるしかねぇな。オレから聞こうか? 正義が聞くとまずいだろ。おまえの母さんに知られるかもしんないし」

「いいの?」

「こいつら前にしたら断れないって」

「ありがとう! 本当にありがとう!」

「ふふん、いいってことよ。その代わり、中間テストのヤマを教えてくれ。切実やねん」

「もちろんいいけど、なんで関西弁?」

「なんか好きやねん」

「そうなんだ。ふふっ」

 おうおう、純真無垢って感じの可愛い笑顔だねぇ。そのくせ、あんなゾッとするような答えを言うんだから、人ってわからんもんだなぁ。まぁでも、子供ほど残酷なものはないって言うしな。

「あ、ミルクをあげなきゃ」

 マサは机の上にあるアンティークっぽい置き時計を見て言った。

「ゴメン、ちょっと用意してくるね」

「あいよ。こいつらはオレが見守ってるぜ」

「ふふっ、よろしく」

 マサは小走りに部屋を出て行った。自分の部屋に立ち寄ったみたいで、その後は一階へ下りていった。ミルクだから、飲ませるための容器とかを取りに行ったのかも。哺乳瓶みたいな。きっと隠してあったんだろう。

「ほんとちっちぇなぁ。まだ区別つかんけど、今のうちに選んでおこうかな。やっぱ真っ白なのがいいよなぁ」

 触るのはまだ怖いので、自分が移動して色んな角度から眺めてみる。

「……ん?」

 そしたら、一匹だけ赤い点の付いている奴がいた。日の丸みたいだけど、これって毛じゃなくて、血じゃないのか……?

「怪我、してるのか……?」

 恐る恐る細い毛を掻き分けてみたけど、傷とかは見当たらなかった。どうやら毛にだけ付いているみたいだ。他のヤツのかもしれないから一応調べてみたけど、怪我をしている様子は無かった。

「これって血だよなぁ……怪我してるわけでもないのに、なんで血が付いてるんだ?」

 変だな、と悩んだときだった、隣の部屋から物音がした。

 また『ゴンッ』という音だ。

 マサの部屋がある手前側じゃなく、トイレのある奥側から聞こえた。

 音は続けざまに『ゴンゴンッ』と鳴った。

 誰かが壁を叩いているような、そんな音。

 やっぱり、誰かいる……?

 そういえばそうだよ、こいつらがあんな大きな音を立てられるはずが無いんだ。それなのにマサは……まさか、誤魔化した?

 音の正体が気になる。すげぇ気になる。

 オレは廊下に顔を出して周りをうかがった。一階から物音と人の気配がする。マサだろうな。

 オレは抜き足差し足で隣の部屋に向かい、そっとドアを開けて中を覗いてみた。そこは寝室だった。キングサイズのベッドがある。枕が二つあるから、両親の寝室かもしれない。

 見たところ、人影は無い。

 左手にクローゼットがある。さっきの音が壁を叩いているものだとしたら、それをした奴はあの中にいるってことになるんだけど、なんかやばい気がする。これ、嫌な予感ってヤツだ。見ないほうがいいって、オレの中のなんかが叫んでる。なのに身体は勝手に部屋に入るし、クローゼットも開けちまった。

「………………うっわ、マジでやばい……」

 クローゼットの中には毛布とかシーツとか枕とかの寝具が入っていたんだけど、オレがそういうのに気づいたのは、そう思わず呟いてしまった後のことだった。そんなものよりもまず、床の上に転がっている大人の男女と、サスペンスドラマでよく凶器に使われるようなガラス製のゴツイ灰皿が目についた。

 二人とも頭から血を流してる……灰皿には血が付いている……口をテープで塞がれて、手足をベルトで縛られてる……女はぐったりして動かない……男は両足で壁を蹴っている……なんだこれ……なんだよこれっ!?

「まさか、アイツがやったのか? この人、母親か……!? じゃあ、こっちは父親!?」

 思わず声に出してしまって、慌てて口を塞いだ。聞こえたかもしれない。

「そうだよ。ボクの父さんと母さんさ」

 心配してすぐ、後ろで声がした。

「!?」

 振り返ると、マサが笑顔を覗かせていた。

「マ、マサ、なんでこんなこと……?」

 マサから少しでも離れたくて、オレはゆっくりと後ろに下がる。

「守るためにね、仕方なかったんだ」

「守る……?」

「うん、仔猫のことだよ」

「仔猫を守るため……?」

「昨日ね、本当は帰ってきてすぐに母さんに相談したんだ、あの仔猫のことを。めずらしく父さんも帰ってきていてね、ボクは必死にお願いしたんだ。飼わなくてもいいから、里親が見つかるまでの間だけでいいから世話をさせてほしいって。そうしたら、その二人がなんて言ったと思う?」

「……ダメって、言われたのか?」

「うん、まぁ、掻い摘んで言えばそうだね。正確にはこうだったよ。――ダメだ! そんなくだらないことにかまけている場合じゃないだろ! すぐに元の場所に戻してこい! ――やめて! そんな汚らしいものに触らないで! どんな病気を持っているかわからないのよ!? ああもう、汚い! 吐き気がする! もう、早く捨ててきてちょーだい!」

 マサは急に大声を上げ、両親の真似をした。そうかと思えば、壁をドンと激しく叩いた。何度も。怒りを我慢できないみたいに。

「汚くなんかない! 汚くなんかないよ! 汚いのはどっちだよ! 本当に汚いのはおまえたちだ! 醜いんだよ、心が!」

 マサは部屋に入ってきて、倒れている両親の前に立ち、見下ろすように睨みつけた。

「この男はね! 仕事にしか興味が無くて、ろくに帰ってこないんだ! それなのにもっと勉強しろ、勉強しろってそればっかりさ! 浮気してるくせにっ! もうすぐ離婚するくせにっ! 父親としての責任を全然果たしていないくせにっ!」

 マサは人が変わったようになった。

「この女は! いつも掃除ばかりして! 子供に触った後にまで手を洗うんだよ! 汚くなるから外で遊ぶのは禁止! 友達と遊ぶのも禁止! なんでもかんでも禁止禁止って、最低だ! なにが母親だよ! ろくに料理もできないくせに! ボクにとっておふくろの味は家政婦さんの料理だ! 女として、母親として、情けないと思わないのっ!?」

 マサはすごい剣幕だった。今にも咬みつきそうな、猛犬みたいな迫力だ。

 そのときの両親だけど、母親はもうずっと動かず、死んでいるんじゃないかって状態だった。父親も動かなくなったけど、生きてはいるみたいで、震えていた。泣いているみたいだ。すすり泣くってああいうことを言うんだろう。怖いからなのか、親としての自分に嫌気が差しているからなのか……。

「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」

 マサはひどく興奮し、肩で息をしている。

「ハァ……そういうことでね、ついにキレちゃったんだ。仔猫を守らなきゃいけないって思った。こんな奴らの命令、誰が聞くもんかって思った。だから、こうしてやったんだ」

 マサは哺乳瓶を持つ右手で両親を指差す。

「ほんと、ひどい親だよね。鬼畜ってこういう奴らのことを言うのかな? 実の息子に、まだ目も開いていない仔猫を殺せって言うんだからさ。公園に戻したら飢え死にするかもしれないじゃない! カラスとかに食べられるかもしれないじゃない! それなのに……!」

 マサは汚らしいものを見るような目で、実の親を見下ろしている。いや、見下している。

「……ゴメンね、そんなことよりも、早くしようよ、答え合わせ」

 マサは急にオレを見てニコッと笑うと、左手を出した。カバンに入れたままだったはずの、答えだけが書かれた紙を持っていた。

「これ、サイコパスについて教えてよ。ボクはサイコパスなんでしょ? この答えを見る限り、そっち側だよね? サイコパスという名前から、だいたいどんな存在かはわかるんだけどさ、ちゃんと答えたんだから、ちゃんと教えてほしいな、キミの口から」

 マサはそう言いながら近づいてくる。オレはそのとき、ベッドのところまで下がっていて、もう逃げ場が無くなっていた。


 やばい、殺されるかもしれない……。


「………………オレも、そんな風にするのか……?」

 震えが止まらない手をなんとか伸ばして、横たわる両親を指差した。

「え……」

 するとマサは立ち止まり、顔を歪ませた。眉をしかめて、目を見開いて、唇を噛みしめて、そんなひどく悲しい顔をしたかと思えば、今にも泣きそうなのを必死に我慢している様子で口を開いた。

「しないよ……絶対にしないよ、あんなこと……嫌いじゃないもん……友達だもん……大切な友達だもん……」

 途切れ途切れだったけど、マサは確かにそう言った。そして、言い終わると涙を流した。あふれ出したみたいだった。

 マサはそっと俯くと、ゆっくり後ろに下がった。オレから離れようとしているみたいだ。

「正義……」

 マサは、なんだか小さくなったようだった。弱々しい感じがした。可哀想に見えた。なにか言ってやらなきゃいけないって、そんな気がした。どんなことを言ってやればいいのかわからないんだけど、とにかく、このままじゃいけないって気がして、とりあえず思いつくままに話しかけようとした。

 でもその瞬間、たくさんの足音が雪崩れ込んできて邪魔された。

 警官だった。

 マサは飲み込まれるように取り押さえられ、オレは泣くぐらい痛い力で腕を引っ張られて、部屋の外に連れ出された。


 だから、なにも言ってやれなかった……。

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