鬼の娘

「こんな娘を引き取ってくだはるなんて、相当変わったお人なんやねえ」


少し老いた女性は、男に言った。

時は江戸時代、大阪のある商人の家で。どうやらどこかで縁談があるみたいだ。

ちょこんと座っている子は、肌は雪のように白く、林檎のように真っ赤なほっぺをしている。しかし、その額には、小さな角が生えていた。鬼の角。子鬼の角だ。しかも、一見童のように見えるが、実はもう齢27を過ぎている。婚期を過ぎてしまった子だ。


しかし、残念なことにこの娘は間違いなく、女性の子供だ。そして女性は人間。夫にあたる人も、残念ながら人間だ。人間と人間の間に生まれた鬼。可哀想なことに、この娘は愛を受けて育つことができなかった。

容姿端麗でも、一つ歪んでいれば見放される。愛はそれくらい軽いもの。


「せやけど、どうしてこの子をほしいと思いはったん?この子は鬼の子さかい、不気味やろ」


問いかけられた男に迷いはなかった。

この男は、この鬼の娘に求婚をしたのだ。出会いは河原で昼寝をしている時、起きたらこの娘が溺れているところを見つけ、助けた。その後二人は何度も河原で出会い、お互いを知り合った。そのうち二人は惹かれ合っていった。


「確かにこの子は鬼の角を持ってはります。せやけど、見た目が鬼やからて、お天道はんの力だけで、人を鬼にはしまへんわ。そもそも、鬼がほんまにわしらの想像しとるものだけに限りますやろか」


娘はじぃっと下を向いている。


「この娘はわしらみたいな人間なんかよりも、よっぽど人間らしい考え持ってはりますわ。お仲間入れてもらえへんかったのに賢い娘ですわ。そんなとこに惹かれたんやと思いますわ〜」

「せやけどあんさん、この娘、もう子供できひんで?ええの?」

「そんなん、兄さんらがなんとかしてくれるわ。わしは末っ子やさかい、親父も多目に見てくれるやろうし、甥っ子もようさんおるからなあ。跡継ぎは心配あらへんって、奥さん。」


娘は、男の言葉を嬉しく思ったのか、ぎゅっと男の人差し指を握った。小さな手で、精一杯。

初めての愛、初めての人、初めての言葉。その全てが嬉しかったのだろう。


そして、縁談は成立して、無事彼らは結婚した。


「ねえ、旦那はん」

「ん?」

「何であの時、鬼のこと話しはったん?鬼は悪ってこと、反対しはったん?」

「んー…せやなあ」


娘はそれが気になってたらしい。娘は、父も母も近所の子らも、鬼は悪者という考えを持っていたので、それが当たり前、私は悪い子と思って生きてきた。鬼は本当に悪いのか?と言ったのは、彼だけだった。


「人ってな、生まれてからどういう親のもとで、どういう場所でどう育ったかで性格とかが現れるんや。全部が全部なわけやないけど、例えば甘やかされて育ったわしの友達は、今でも親元を離れられんかったり、ごっつうわがままやねん。逆に貧しくてあまり何も与えられんかったけど、勉強は必死にやった農民の友達は、今や農業をごっつう楽にさせる機械作りおったわ。ほら、あんさんも今、冷静に物事を見て行動する、可憐なわしの奥さんやろ?人間でもせやったら、鬼はんでもそうなんちゃうんかなあって思っただけやで。」


娘は納得したような顔をする。育て方などの点では、どの生き物でも同じだ。部屋にいた蜘蛛に餌を与え続けたら、糸を張らずに餌を待ち続けているのと同じ。


「わしはひとつだけ信じてる未来があるんや。それはな、もっと遠〜い未来に、わしの代わりに、人以外の生き物に対する固定観念を、それは人の勝手な固定観念やって言うてくれる偉大な人が出てくることや。本を書く人でも発明家でもええ。わしはそれだけは信じてる。」


男は空を見つめたまま、娘に話した。


「ええ、出てきますよ。きっと。」


……


それから時は流れた。男は死に、男の家族も絶え、娘の両親も死に、家はただ娘だけが残された。彼女は不老不死だったのだ。京都では二条城で大政奉還が行われたり、内乱が起こったり、はたまた文壇で新たな詩歌や散文の形が生まれたりと、長い時間の中で多くのことが起こった。彼女は一人で何か商いをしていた。


彼女は一つの本を手に入れ、読んだ。題名は『桃太郎』。しかし、それは彼女の嫌いな桃太郎ではなかった。何故なら、その本にはこのようなことが書かれてあったのだ。


「……こういう楽土に生を享うけた鬼は勿論平和を愛していた。いや、鬼というものは元来我々人間よりも享楽的に出来上った種族らしい。瘤取りの話に出て来る鬼は一晩中踊りを踊っている。一寸法師の話に出てくる鬼も一身の危険を顧みず、物詣での姫君に見とれていたらしい。なるほど大江山の酒顛童子や羅生門の茨木童子は稀代の悪人のように思われている。しかし茨木童子などは我々の銀座を愛するように朱雀大路を愛する余り、時々そっと羅生門へ姿を露あらわしたのではないであろうか? 酒顛童子も大江山の岩屋に酒ばかり飲んでいたのは確かである。その女人を奪って行ったというのは――真偽はしばらく問わないにもしろ、女人自身のいう所に過ぎない。女人自身のいう所をことごとく真実と認めるのは、――わたしはこの二十年来、こういう疑問を抱いている。あの頼光や四天王はいずれも多少気違いじみた女性崇拝家すうはいかではなかったであろうか?……」(芥川龍之介『桃太郎』より引用)


娘はこの文章を見た途端、作者に文を送ろうかと迷ったくらい、嬉しくなった。そのまま夫の墓のある山まで走り、その本を墓に置く。


「あなた、本当に出てきたわね……」


彼女は涙を流した。



その後、彼女は京都の寺町通り沿いに店を移した。そして今も、その店は続いているんだとか…



『いらっしゃい。なんや今日もきてくだはったんか』

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短編集 仙石菖蒲 @omotilovekinako

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