第16話 『属』
「で、結局輝ちゃんはどうして同居しているんだ?」
同居生活がスタートしてから1日、千無はリンに尋ねた。
同居がスタートする前にするべき問いのように思える。
話題となっている輝は、風呂場で鼻歌を響かせている。暇つぶしにリンがアニメを勧めているためか、聞こえてくるのはアニソンばかりだ。
先ほど風呂から上がったリンは、何故か千無のスマホとパソコンを操作しているため、持ち主の千無からすれば良い気分ではない。
「そんな疑いの眼差しを向けなくても、Dドライブや画像フォルダを開いたりしないわよ」
「べ、別に見られて困るもんは入ってねぇよ」
リンの1タップ1クリックに内心ドキドキしていた千無は、図星を突かれ、強がりを言ってしまう。
いつもなら、そんな焦った千無に付け込むリンだが、今回はそっとパソコンを閉じ、素直にスマホを返す。
その拍子抜けな態度に面食らった千無。しかし、彼女の表情から、話題が輝の事情へと移ることを読み取る。
「本人がいないところで、こんな話をしたくはないのだけど…。でも、輝ちゃんのいる場で話したい内容でもないから…」
実情は聞いていない千無も、概ねの事情は何となく推測できていた。だからこそ、強引な同居に反発することもなかったのだ。
「輝ちゃんがお風呂から上がるまでになるけど、私の口から伝えるべきことは答えるわ」
「ああ、それで十分だよ。聞きたいことは1つだけだからな。…教えてくれ、輝ちゃんの家族は何してんだ?」
得体も知れない成人男性の住まいに、自分たちの大切な娘を預ける親がいるだろうか。千無は我が事ながらそう感じていた。
輝に非があるようなら容易に納得できるだろうが、彼女はとても可愛らしい普通の女子高生なのである。
「輝ちゃん、良い子でしょ?自分も大変なはずなのに、私たちを気遣うことも出来て…。本当に大切に育てられたのでしょうね」
育てられた、過去形。聞き流してしまいそうなその表現に、千無は推測を確信へと変えた。
「分かった…と言うよりは、気づいていたって顔ね。…そう、輝ちゃんの両親は亡くなっているの。看護士さんが言うには、相当ひどい交通事故だったらしいわ」
浴室から聞こえる楽し気な鼻歌が、とても虚しく聞こえる。
「そう…なるよな。…でも、頼れる親戚はいるだろう?あんな少女を放っておくわけない。…まさか、天涯孤独だってのか?」
輝の両親に関して最悪の場合を考慮していた千無は、その事実に驚きを見せなかった。
しかし、彼の中には新たな疑問が生まれた。なぜなら、赤の他人の自分にできる助け合いを、親戚ならば当たり前に行うと思ったからだ。
「…これは私の勝手な推測なんだけど…。輝ちゃんのご両親は、故意でなかったにしても、交通事故の加害者側だったんじゃないかしら。…そうすると、彼女は加害者の娘となって…」
「だから助けなかったってのかよ!関わりたくなくて、あんな優しい子を…両親と脚の機能を同時に失った女の子を…見殺しにしたのか!」
感情のままに叫ぶ千無。隣の部屋から聞こえる学生の笑い声が、そんな彼を嘲笑っているように感じられた。
リンはただ黙って、浴室の方を一瞥する。
相変わらずの鼻歌、さっきよりもポップな音楽が響いている。
リンの意図を察した千無は、怒りを拳に込め、自身の脚に打ち付けるしかなかった。
「色んな事が片付いた後に、初めて親戚の人が病院に来たらしいわ。当然輝ちゃんは、聞く耳を持たなかったみたいだけど…」
浴室の戸の開く音の後、脱衣所から衣擦れの音がし始める。
「それでも、私たちは受け入れてくれた。…新しい家族として、仲良くしていかなきゃね」
「ああ。精一杯やってみるよ」
「…信頼を、裏切っちゃダメよ」
「え?」
部屋の戸が開かれる。千無の意識は完全に、部屋に入ってきた少女へと移る。
輝のパジャマは、風呂上がりで上気した肌に似たピンク色。顔も火照っているようだが、モジモジした仕草から、それだけではないことが容易に分かる。
(そう言えば、昼はリンと輝ちゃんで買い物に行ってたんだっけな…)
「そのパジャマ、似合ってるね。とっても可愛いよ」
その言葉を受けた輝が、さっきよりも赤く染まった特大の笑顔を浮かべる。
慣れないことをしたせいか、褒めた側の千無まで顔が赤くなってしまう。しかし、どや顔を崩すことはない。
千無の背後にいるリンにも、そんな彼の満足気な雰囲気は感じ取れた。
「輝ちゃん、こっちに来なさい。髪を乾かしてあげるわ」
ベッドに移動したリンが、ドライヤーを手にして輝を呼んだ。
上機嫌な輝は、いそいそとベッドに腰かける。その背後からリンがドライヤーの風を吹きかけている姿勢。
そうして並ぶと分かりやすいが、リンのパジャマは輝のものより、明らかに露出が多めであった。スポーツブラに、下着を見せるハーフパンツの組み合わせを、パジャマと呼ぶかは疑問だが…
(信頼と言うより、男として見られてないんだろうな)
千無の苦悶もそっちのけで、リンが前屈みの姿勢を取る。輝の顔を覗き見るという微笑ましい光景。
その際に浮かび上がる決して大きくない谷間。それがまた、千無を悩ませる。
思えば、こんな誘惑の連続が、彼を『今日』という結果に導いたのだろう…。
水の流れる音。優しく心地良い音で、千無の意識はゆっくりと目覚める。
見慣れない天井、薄暗く感じる照明、いつもより一回り大きいベッド。次第に覚醒する意識の中、目に入る情報を知覚していく。
未だ新鮮な記憶、笑愛と一緒に訪れた記憶と照合し、ここがホテルであると判断する。…正確には、そんな作業をすっ飛ばしてもいい強固な存在が、千無の視界に飛び込んでいるのだ。
ガラス張りの浴室。およそベッドと同じ部屋に存在するはずのないものが、当たり前のように鎮座していた。
彼を起こした優しい音色は、どうやらシャワーの流れるものだったらしい。
となると、使用者がいるのだが、曇りガラスの人影では女性ということしか判断できない。
(確かにホテルには行こうとしてたけど、相手なんていなかった。笑愛さんの時みたいに、酒の席に着いた記憶もないし…)
記憶を整理していく。千無は服を着たままのため、焦りをさほど感じていない。
(アメニイト…駅…太もも………ダック…中学生……中学生?)
記憶の終着点に強烈な違和感。それと同時に激しい悪寒。
その終着点に存在する、柊麻衣という中学生。千無が彼女から最後に感じた感覚は―――。
「あら、起きたんだ。もう少しで最高の目覚めになったのに」
—―—雫が使われた感覚だった。
「お前、何やってんだよ!?」
浴室から出てきた麻衣に、千無は狼狽える。
何らかの雫の能力で、いつの間にか2人きりの状況を作り出した存在が、目の前にいるのだ。当然かもしれない。
しかし、彼女が雫持ちだという意識は、千無の中に既に存在していなかった。
「何って、見せてあげてるの。感謝しなさいよ。おじさんたちが、大金叩いてでも拝もうとする身体なんだから」
麻衣は全裸だった。
その身体にシャワーの水滴だけを纏って、浴室から出てきたのだ。その水滴が、重力のままに床を濡らしていく。
中学生とは言え、高校生の輝や大学生のリンよりも発達している麻衣の身体。(輝とリンのどちらが発達しているかは定かではない)
千無を狼狽えさせるには十分であった。
「風邪引くぞ!身体拭いて服を着ろって!」
目を逸らしつつ、目上の者として注意する千無。
注意が聞こえたはずの麻衣だが、千無の言うことなどどこ吹く風、ゆっくりと彼のいるベッドに近づく。
「童貞さん、今日で卒業したらどう?食事代とホテル代で、タダにしてあげるから。それに………」
逸らした千無の耳元に、甘い誘惑が次から次へと囁かれる。
知ってはいるが、どれも体験したことないものばかり。逸らしたはずの顔が、徐々に麻衣の方を向き始める。
「…お、お前、雫持ちなのか?」
間一髪。誘惑に負けるギリギリのとこで、千無は大事なことを思い出す。
「し…ずく?…ああ、これのことね。アザミって人に貰ったけど、あんたもそうなの?」
隠すそぶりなど全く見せず、簡単に肯定する麻衣。当然だがアザミ側。
「いや、俺はアオイに貰った…らしい」
そう答えた千無は、手のひらに力を込める。それを伝えれば、戦闘になると理解しているから。
「ふ~ん。色んな人が配ってるのね~。あんたは何が出来んの?」
拍子抜けだった。臨戦態勢だった千無の力が一気に抜けていく。
麻衣が嘘をついているようには見えない。
「お前、雫について知らないのか?雫持ち同士が戦うことも」
「ああ~、確かそんなことも言ってたわね~。…でもいいの。私って、そんなに強い願いがあったわけじゃないし」
頭の端っこに残っていた記憶を、久しぶりに思い出した様子の麻衣。
そうして手のひらに雫を宿す。そこに映っていたのは、『属』の一文字だった。
「これで催眠術みたいなことが出来るの。だから、あんたをここまで連れて来るのは簡単だったわ。他には、普段あんまり使えそうもない能力があるだけ」
従属。簡単に言うと、相手を雫持ちに従わせることが出来る能力。
これによって、千無は意識のないままホテルまで連れてこられたのだ。
意識がないと言っても、感情や動作が無くなるわけではない。例えばホテルに入っていく千無は、周りの人からとても楽しそうに見えたらしい。
「…それはそうと、あんた、ガッツリこっち見てるじゃない」
言われて初めて気づいた千無。雫の話題になってから僅か、千無は完全に麻衣の方を向いていた。
慌てて顔を背けようとした千無の首に、麻衣の腕が伸びる。そのまま、千無が麻衣に押し倒される形となる。
「こういうのは、マズいって…。俺、風呂も入ってないし…」
「いいわよ、そういうの慣れてるから。むしろいつもより若いから、あんまり気にしないくらい」
千無の必死の言い訳も、圧倒的な余裕でかわす麻衣。
服に手がかかり、千無の肌も徐々にあらわになっていく。
(もういいか。むしろ我慢する理由なんて、ないだろう…)
ズドンッ。
強烈な打撃音が、室内に響いた。
「つまり俺のスマホに、勝手にGPSを設定したと?」
電話越しの相手に呆れ声で問いかける千無。
「ええ、あなた結構巻き込まれ体質みたいだから。黙っていたのは申し訳ないけど、早速役立ったみたいね」
電話の相手はリン。
事実、彼女の言うとおりになってしまっているのだから、千無も強く非難できない。
「それで…何で女子高生が、1人でこんなとこに来てんだ?」
地を駆け、素早い蹴りを繰り出す。火を纏ったナイフで切り裂く。
千無の目の前で、激しい戦闘音が鳴り響いている。
「それが…勝手にパソコンの画面を見たみたいで…。ごめんなさい…」
自身の落ち度を嘆くリン。彼女をそうさせるほどの状況が、千無の目の前にあるということだ。
数分前に響いた、強烈な打撃音。その原因は、ホテルの部屋のドアが破壊されたためだった。
咄嗟にドアだったものを確認した千無。
その時見たものが、脳裏に焼き付いて離れない。
「嘘をついてまで、自分と同じくらいの少女と密会する。…それは、家族に対する裏切りでしょうね」
「冷静な考察ありがとう」
感謝の言葉を最後に、電話を切る千無。
目の前で繰り広げられる麻衣と…怒りに染まった輝の戦闘。
その怒りの半分の責任を有している千無は、真っ先に逃げ出したい気分だった。
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