第15話 『同居』

 千無とミコトのデート(?)から3日後の夜、千無の家のインターホンが鳴る。

 ドアを開けた先にいたのは、今日からこの部屋の住人になる2人。


「ふ~ん…少しは綺麗にしたみたいね。やればできるじゃない」


 千無の部屋に上がって早々、上から目線で言い放つリン。

 人の部屋だろうが変わらないその高慢な態度に、千無もすっかり慣れたもの。言い返すこともせず、3人分の飲み物を用意している。


「ほ、本当にきれいですね。男の人の部屋って、もっと汚いものだと思ってました」


 リンの後ろから顔をのぞかせ、部屋の様子を確認した輝が、驚きの声を上げた。

 前回は、見るからに不健康さが滲む服を着ていた彼女も、今日は快活さの象徴、セーラー服を着用している。

 そんな彼女の姿に、感嘆の声を漏らす千無。そんな彼に対して、リンが蔑みの目を向けたことは言うまでもない。


「…まあ、輝ちゃんも座りなよ」


 促される前に自分の場所を確保していたリンは無視し、輝に座る場所を提供する千無。まだ不安そうな彼女のため、提供する位置は当然リンの隣である。


「荷物はそれだけか?」


 リン、輝ともに、大きなカバン1つ分ほどの荷物しか手にしていない。しばらく居住するための荷物としては、いささか心許ないようにも思える。

 そんな質問の意図を理解したリンが、呆れた表情で答える。


「はぁ…環君、女性にくだらない詮索はしないものよ。言ったでしょ、荷物を整理したって」


 荷物の整理。リンは同居を決めた日から、必要のないものを処分していた。

 元々物が多い家では無かったらしく、手伝いを進言した千無も、リンにあっさりと断られたことがある。

 …しかし、速水輝は事情が違う。

 彼女が退院したのは、つい先日のことなのだ。荷物をまとめる余裕はない。

 そうすると、家族が協力した可能性がある。

 しかし、そもそも女子高生の娘が、得体も知れない男子大学生と同居することに、両親は納得しているのだろうか?

 そこで千無は、初めて輝と面会した時のことを思い返す。



「私に…面会…ですか?…嬉しいです!私に会いに来てくれる人なんて、しばらくいませんでしたから!」



 確かに輝はそう言ったのだ。千無とリンが久しぶりの面会だと…。

 千無達が訪れた時は元気な姿を見せていた彼女も、少し前までは寝たきりだった。当然誰かが世話をしに来てもいいはずである。体調が良くなったなら、それこそ喜んで会いに来てもいいはずである。


(…これこそ…くだらない詮索ってやつか…)


 そこまで考えたところで、先ほどの言葉の真意を理解した千無。

 無粋な考え事をやめた千無に、上目遣いの輝の視線が突き刺さる。飲み物の入ったコップを口にしながらのその視線に、色んな意味で顔を赤らめてしまう。


「それじゃ、同居にあたっての決まり事を作りましょう」


「決まり…事…?」


 疑問の声を漏らした千無の前に、一枚の画用紙が置かれた。

 そのリンらしからぬ可愛らしい装飾の作りに、画用紙の作り手が輝であると容易に判断できる。


「じゃあ輝ちゃん、説明してくれる?」


「は、はい!分かりました!…えっと、1つ目は…」


 リンに促され、輝のたどたどしいプレゼンテーションが始まった。座ったまま画用紙を胸の前に広げ、はきはきと楽しそうに話している。

 プレゼンで提示されていくのは、家事を頑張ろう、着替えは注意しよう、帰宅が遅れるときには連絡を入れよう、など共同生活するうえで一般的なもの。

 わざわざプレゼンするまでもないような内容だが、千無とリンは優しい表情を浮かべ、しっかりと耳を傾けている。もちろん異議を申し立てることもない。


「…最後は、みんなで仲良くしましょう、です!」


 今までよりも強く提示された最後の決め事に、思わず顔を見合わせる千無とリン。お互いを見つめるその表情は、さっきまでのように優しくない。

 引きつった笑みを浮かべながら、千無が口を開く。


「仲良く…ねぇ…。俺がそうしたいのは山々なんだけど、このお姉さんにその気はないみたいなんだよね~」


「あら、楽しい冗談ね。あなたはどうか知らないけど、私、あなたのこと好きよ」


 口調とは裏腹な二人の間に流れる険悪なムード。その空気を感じ取ることは、誰にとっても容易に思われる。


「お二人は本当に仲がいいんですね。私も、そんな2人に負けないように頑張ります!」


 しかし、速水輝は違ったようだ。相変わらずの屈託のない笑顔で、力いっぱいに2人の仲を肯定する。

 そんな純粋な姿勢に押され、今度こそ心の底から笑みを浮かべるお二人。


「じゃあ仲良く、今日の夕飯でも作りましょうか!」


 リンの宣言で、早速食事の準備に移る3人。

 昼のうちに買い物をしていたらしいリンと輝の鞄の中から、食材の入ったビニール袋が出てくる。


「…仲良くしなきゃ。…だって、新しい家族なんですから…」


 忙しなく動き始めた千無とリンに、悲しい笑みと共に呟かれたその言葉が届くことは無かった。











 成年男子が女性と同居して困ることとは何だろうか?

 …これでは情報不足。女性とは、女子高生とあまり親しくない女性だと仮定します。

 え?なにも困らないだろう?…そうですね。しかし、環千無は違うのです。

 同居が始まって1週間、千無は様々な不都合を感じていた。だが、年下の輝がいる手前、何に対しても我慢の姿勢を貫いてきた。

 そんな千無でも、最近になって我慢できなくなってきたものがある。

 千無は現在、その悩みの解消のために、自宅からバスで1時間ほどの市街に繰り出していた。


「楽しみだな~。あとは、休憩するためのホテルだけど…」


 現在時刻16時。部屋の確保ぐらいなら、未だ余裕の残る時間帯。

 だが、千無は1人なのだ。それでピーク時にホテルを利用する姿ほど、情けないものもない。

 …つまり千無の悩みとは、男性として当然の生理現象である。

 今まで当たり前に出来ていたことが抑制されている状態の千無。おまけに部屋の中の美少女は、日を追うごとに格好がラフになっていく始末。

 そんな同居生活から一時抜け出した千無の右手には、いわゆる美少女ゲームの入った袋があった。


「今日は遅くなるってちゃんと連絡したし、まずは腹ごしらえかな」


 昂る気持ちをいったん抑え、千無は駅前のダックに向かう。

 ダック(正式にはダクドナルド)とは、全国にチェーン展開されるファストフード店である。手頃な値段で確かなボリュームを提供してくれるあたりが、ゲームで金欠の千無にはありがたい。

 意気揚々と駅前まで歩いた千無の視界の端に、気になるものが映る。

 短いスカートから伸びる少女の太もも。もう少しでその奥も見えてしまいそうなほど、大胆不敵な足組み。

 千無だけでなく、その少女を視界に映した男はみな、まずは一瞥してしまっている。スマホを操作しているその少女が制服を着用していることも、男たちの邪な感情を助長しているのかもしれない。

 もちろん千無もその男の内の1人である。

 ただ彼が周りの男たちと違ったのは、明らかにチラ見をする回数が多く、半ばガン見のようになってしまっていたことだった。


「ねぇ、そこのアンタ。私の下着が気になるの?」


 明確に、千無に向けて放たれた言葉。

 当の千無も、その言葉の対象が自分だと気づいているが、さっきまであんなに向けていた視線を、全く少女に合わせようとしない。


「そこのアンタのことなんだけど~。そのまま無視し続けるの~?『いやらしい目で私を凝視しながら、股間を見せてきたんです』って警察に通報するよ~」


「股間は見せてねぇよ!見せてたのはお前っ…」


 さっきまでの素知らぬ顔が嘘のように、少女に詰め寄ってしまった千無。少女の策にまんまとハマったことに気づき、言葉がすぼんでいく


「冗談だってば!それよりも…私お腹が減ったな~。アンタそこのダックに入ろうとしてたよね?」


 出費を抑えるための選択が裏目に出た瞬間である。











 トレイに乗った2人分のセットメニュー(+少女用のアップルパイ、ダックシェイク、ダックナゲット)を手に、少女の待つ席に座る千無。


「ごめんね~。奢ってもらうつもりなんてなかったんだけどね~」


(嘘つけ!断ろうとすれば、何度も110番を打とうとしやがったくせに!)


 少女の軽い謝罪を受けてもなお、無造作にハンバーガーを喰らう千無。思わぬ出費から、楽しみにしていたルナティックバーガーを食すことが出来なかった悲しみもあるのだろう。


「アンタいい人じゃん。大学生?名前は?」


「ああ。環千無、神都大学の学生だよ」


 その千無の言葉で、表情に影が差す少女。

 不機嫌な千無は、そんな些細なことに気づく事も出来ない。


「で、お前も自己紹介しろよ」


「…柊麻衣柊麻衣。中学生…」


 そんな簡潔な紹介を済ますと、千無の荷物に注目する麻衣。千無が隠そうとするが時すでに遅し。


「これから用事あるの?」


「別にどうだっていいだろ」


「じゃあさ…私とホテル行かない?そんなゲーム買うぐらい、溜まってんでしょ?」


「は!?行かねぇよ!これから用事があるんだよ!」


 麻衣の唐突な申し出に、素早く顔を真っ赤にする千無。どんな異議も、何となく説得力がない。


「用事って?…私は寝床に困ってるし、意外とマジな相談なのよ。食事と寝床のお礼なら、ホテルでたっぷりとしてあげるし…」


(言えない…。そもそもの目的地がホテルだったなんて…。そもそも、これ以上未成年関係で問題抱えてたまるか!)


 千無は麻衣の言葉に対して、曖昧な回答と明確な拒絶を示す。

 そんな千無の態度が気に入らなかったのか、麻衣の表情が曇り始める。


「何なのよ…。なんで私は…。………童貞のくせに…」


 その漢字2文字に、これまで以上に強く反応する千無。これでは、わざわざ答え合わせをしているようなものである。


「…もういいよ」


 さっきまでの麻衣なら、千無のその態度をいじり倒していたことだろう。

 しかし、慌てふためく千無をよそに、自身の手を俯きながら見つめている麻衣。呟かれた言葉は、周りの喧騒にかき消されてしまう。


「『従属』」


 そう口にした麻衣の唇に、彼女の指が触れる。そしてその指を、違和感を感じ取った千無の唇に重ねる。

 …その夜、年端もいかない中学生と共に、ホテルに入る大学生の姿が、多くの人物に目撃されたらしい。


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