第13話 『脚』

 リンは後悔する。

 目の前の少女の、見開かれた両の目が、愛らしさを失い、ただただ驚きを表現しているからだ。


(こんな顔させるくらいなら、後ろで無様に座り込んでいる男に、一太刀入れておけばよかったかしら)


 そんな心にもないことを考えるリンに、なおも理解できない様子の輝が質問する。


「り、リンさん!?…何で、私に竹刀を向けるんですか?リンさんは、私の味方ですよね?」


 輝の質問も当然である。

 リンはアザミの雫持ち。輝の事情についても理解している。千無との話の中でも、輝と対峙する理由は見受けられなかった。

 だからこそ輝は、リンが必ず味方になってくれると思い込んでいた。

 そんな彼女を手酷く裏切ったリンが、申し訳ない表情を浮かべながら答える。


「輝ちゃんの味方…。確かにそうね。もう少し早く出会えていたら、そうなっていたのかもしれない。…でも、返さなきゃいけない恩が出来てしまったから」


「恩…ですか?…何なんですか?敵である千無さんに味方するほどの恩って?」


「…二宿一飯の恩よ」


 リンのその言葉に、言葉を失う輝。

 つまりリンは、宿泊と食事だけで、その信念を揺らがせたということだ。


「あり得ないです。リンさんは、その程度で揺らぐような人なんですか?」


「あら、結構大事なことなのよ。そのおかげで私は、自分を見失わないで済んだんだから」


 リンが後ろを振り向くと、変わらず千無がそこにいる。

 その表情に浮かんでいるのは安堵。安心し切って、瞼を閉じてしまっている。

 それを確認したリンが、同じく安堵の表情を浮かべた。


「彼ね、とても弱いの。あんな風にすぐ泣くし、大して力もない」


「そうです。だから、私たちが手を合わせれば…」


「それでも、無様に頑張るの。とても…優しいの。優しすぎて、自分が傷ついていることにも気づかないくらいに…」


 これまでの少なすぎる思い出を想起しながら、過剰に思える評価で千無を語るリン。

 言葉を遮られた輝は、その姿を見て何も言い返せない。


「…それと…輝ちゃんの味方をしない理由ね、1つだけ存在するわ」


「な、なんですか!?…私、直します。だから、私の味方になってください!これからも、私の傍にいてください!!」


 リンが口にした言葉に、輝が詰め寄る。

 彼女の必死さに、ただ味方が欲しい以上の何かがあるように思えてしまう。

 その何かを既に察しているリンが、涙目の輝に告げる。


「どうして、歩き出さないの?」


 それだけの言葉で、輝の雰囲気が一変する。図星を突かれただけ、という訳ではないようだ。


「どうしても何も、歩いていますよ?…リンさんも、私が歩いている姿を見ましたよね?」


「ええ、見たわ。しっかり2本の脚で立って、元気に歩く姿。…私が言ったのは、『歩き出す』」


 輝も既に、リンの言おうとしていることを理解している。ただ、認めたくない。

 その心情を察したリンが、さらに追い込む。


「輝ちゃんは、どうして未だにこの病院にいるの?あなたは、そんなにも歩けるのに…。どうして、外の世界に歩き出さないの?」


 輝が元気であればあるほど感じる疑問。リンはその疑問を投げかけた。

 看護師の話によると、輝の脚の容態が良くなったのは2カ月ほど前。リンが雫を授かったのと同時期である。

 最初のうちの継続入院は、リハビリや検査のためで説明できる。

 だが、ここまで長い期間となると異常だ。

 理由があるとすれば、他の症状か、あるいは――


「……い、嫌っ!」


 ————本人の意思、ということになる。


「…嫌です!外の世界なんて行きたくない!…同情の目を向けてくるばかりで、助けてくれる人なんて誰もいない。……私が好きだった、私のことが好きだった家族は、もういない!…そんな世界に、私1人で歩き出せるはずない!」


 輝の叫びの大半を、リンは理解できない。それは、輝の問題だから。

 ただ彼女に、歩み出せない理由が存在することは理解した。


「歩み出せないなら、私はあなたに味方できない。私は…立ち止まりたくないから」


 リンから告げられた決別の言葉。

 輝も理解する。自分たちは相容れない。

 そして決心する。せめて、自分の当たり前の日常を守り通そうと。


「『疾風脚』」


 そう呟いた輝の足元が光を帯びる。

 千無の頬に強烈な蹴りを入れた光景を、リンは思い出さずにいられなかった。

 だが彼女には、千無と違って分かっていることがある。

 輝の雫が『脚』であるということ。おそらく、足に関係する能力を行使できるということ。


「シッ」


 輝が駆ける。

 いや、駆けたことも気づかない速さ。そんな速さでの蹴りを、リンに浴びせようとする。

 リンの視界に、彼女の姿は映らない。そんな状態で、輝の攻撃を止められるはずがなかった。

 そんな止められるはずのない一撃を、リンは竹刀で受ける。


「な…んで…?」


 当然のように驚く輝。軽い笑みで、そんな彼女を見つめるリン。

 だが、実際のリンの内面は、輝と同じか、それ以上の驚きを見せていた。

 なぜならば、彼女が輝の蹴りを止めたのは、単なる偶然であったからだ。


(危なかったわね。…こんな一か八かの戦いは、したくなかったんだけど…)


 リンの一か八かの作戦。

 それは、置きガード作戦。どうせ見えないなら、攻撃を予測して竹刀を構えるというもの。

 リン本人ですら、成功すると思わなかった作戦である。


「くっ…今度こそ」


 再び距離を取り、2撃目を構える輝。


(輝ちゃんは、右利き。…さっきは左頬。なら次は…左わき腹、とかかしら)


 上段の構えを取り、胴をフリーにするリン。

 あくまで挑むのは心理戦。

 しかし、そんなことも知らず、初撃が止められ焦る輝は、余計に攻撃が単調となる。

 2撃目、3撃目と、高速の蹴りは止められ、そのまま11撃目まで、まるで脚が竹刀に吸い込まれるように止められてしまう。

 ならばと接近戦での連撃を試みるも、速度の乗っていない戦いでは、完全にリンに分があった。

 輝が息を切らし始める。

 その姿を見たリンが、緊張で輝以上に上がっている息を整え、口にする。


「人を殺すには、自分が殺される覚悟が必要。この言葉、知ってるかしら?」


「知って…いますけど…。それが、どうしたんですか?」


「…輝ちゃんがね、どれだけの凶器を振り回しているのか、自覚ないみたいだから」


 そう答えたリンの周りに、光が集まる。

 リンの持つ竹刀が、その光、電気を帯びていく。


「安心して。当てるつもりはないから」


 電気を帯びた竹刀を下段に構え、上体を落とす。

 輝が構えるよりも早く、空気に線が走った。


「『紫電一閃』」

「『疾…』」


 僅かな差。その決定的な差が、勝敗を分けた。

 輝の眼前数cmを切った一閃。彼女の切れた前髪が、数本ハラハラと落ちる。

 負けを認めるには十分な空振り。

 輝の瞳から、大粒の涙がこぼれ始める。

 そんな彼女を大慌てで抱きしめ、必死に謝罪の言葉を囁くリン。


「えぐっ…ぐすっ…こちらこそ…ひぐっ…ごめんなさい。私…怖くて…お父さんもお母さんもいなくなって…」


 輝もリンの必死な謝罪に、涙ながらの謝罪を返す。

 相変わらず涙が止まらないため、もはや戦いどころではない。


(こんな姿、環君に見られてなくてよかったわ)


 千無は未だにダウンしている。

 その姿になんとなく怒りまで湧いてきたところで、輝の泣き声がおさまる。

 だが、なおもリンは、輝のことを優しく抱きしめ続ける。


「顔は上げなくていいから、そのまま私の話を聞いてくれる?」


 リンの胸に顔をうずめたまま輝が頷く。


「輝ちゃんが外の世界を怖がる理由は分からない。輝ちゃんが私たちの味方をすることの意味は理解している。それでも、私たちに力を貸してほしいの。…さっきも言ったけど、あそこのお兄ちゃんはとても弱いわ。未だに気を失っているくらいよ。…でも、どんな状況にあっても、進むことを選択した。そんな彼のもとで、一緒に世界を見直してみない?…私もちょうど、その途中なの」


「…私が…一緒で…いいんですか…?」


「もちろんよ」


 リンのその言葉を受けた輝が、また大粒の涙を流し始める。

 そのまましばらく、リンはその場を動くことが出来なかった。


「それと、歩き出すための家族が欲しいなら…」












「…きく…。た…きく…。…環君!」


 次第にはっきりと聞こえる声。その声が千無の目を開ける。

 彼が寝ていたのは、病院の中庭のベンチ。

 記憶がおぼろげながら、戦いが終わったことを何となく察した千無。

 彼を起こした目の前の女性にも、笑顔が見える。瞼を閉じる前に見た、優しい笑顔だ。


「全く、どれだけ寝たら気が済むの。あと少し寝ているようなら、置いて帰るところよ」


 心にもないことを口にするリン。

 相変わらずの姿勢に、思わず笑みがこぼれる千無。

 そんな千無の隣に、少女が腰を下ろす。


「ふ、不束者ですが、よろしくお願いします」


 千無の隣に座った輝が、顔を真っ赤にしながら口にする。

 事情を知らない千無は、何のアクションも返すことが出来ない。

 そんな彼に、リンが告げる。


「彼女も、あなたの、…私たちの部屋に住まわせてあげましょう」


 その提案に千無は、またミコトと笑愛さんに怒られるな、と思った。

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