第12話 『土壌』
「大丈夫?」
リンが千無に手を伸ばす。
輝に蹴りを入れられた千無は、20メートルほど後方に吹き飛ばされている。
それほどの衝撃であれば、多少の騒ぎが起こってもおかしくない。
しかし、千無が周りの人間に目を配ろうとしても、目を配るべき人間が存在していない。リンが能力を発動させたためだ。
伸ばされた手を握った千無に、立つことを放棄させるほどの気怠さが襲う。彼が思う以上に、足腰に来ている。
「……動けないなら、動けないでいいわよ。…少しだけ、話をしましょう」
千無に危害を加えた人間がこの空間に存在している。そんな中では、とても悠長な提案である。
しかし輝は、千無を蹴った位置から移動していない。
その表情には、なおも変わらない敵意と共に、少しばかりの憂慮も表れている。
「ごめんなさいね、輝ちゃん。…少し、このお兄さんを説教するから」
未だ興奮状態の輝を向き、リンが告げる。
輝は素直に3回頷く。
年下の扱いが上手い、というよりも、年下の子を逆らわせない雰囲気が、リンにはあるのかもしれない。
それより千無が気になったのは、“説教”というワードである。
なぜならそれが、自分を慕う女の子に蹴られ、無様な姿を晒す男に、さらなる追い打ちをかける行為だからだ。
「さて、環君。あなたが先ほど、輝ちゃんに告げた言葉は何かしら?」
「『俺たちの味方をしてくれないか?』…だけど…」
「その通り。…ここで、一昨日の話に付け加えがあるわ」
一昨日のファミレスで行った千無とリンの談話。
その話題の一つが、千無を主人公として、今回の戦いを考えるというもの。
強引な理屈のように聞こえたが、千無の中で、一応の理解を示すものとなっていた。
「今のあなたと対比してみるといいのだけど…。物語の主人公が、必ず持っているものは何だと思う?」
物語の主人公なら持っているもの。今の千無には無いもの。
彼の現状は、輝に蹴られることで生まれたものだ。
ならばどうすれば、そんな惨めな今を回避することが出来たか。
「…強い力。…敵に負けない、強い力ってことか?」
「…20点、かしらね。ラブコメや非力主人公の例をカバーし切れていないわ」
千無の自信なさげな答えが、はっきりと一蹴される。
バトル要素のない物語。主人公が段々と成り上がっていく物語。これらの物語の主人公が、強い力を所持している必要はない。
「ふっ…考えるのも億劫だな。それが分からないから、こんな姿になってるわけだし…」
「それもそうね」
リンがひとつ嘆息を挟み、千無の目を見つめながら続ける。
「物語の主人公が必ず持っているもの。…それは、恵まれた土壌よ」
頭の上にハテナを浮かべる千無。
これまで何度もリンとの問答でハテナを浮かべてきたが、今回はその数がケタ違いだ。
(土壌。育ちの良さということだろうか。それとも、世界の環境のことか?…いや、どちらも否定される。…過去に悲劇に遭った主人公は存在する。…主人公が危険に晒されまくる異世界は存在する。だったら…?)
「理解できていない顔ね。本当に分かりやすくて助かるわ」
いつものように千無を馬鹿にするリン。いつもと違うとすれば、その表情に笑顔が無いことだ。
「土壌っていうのは、設定のことよ」
「…っだったら、悲劇の主人公や、1人で異世界に放り込まれた主人公はどうなる?」
千無が考察の中で否定したことを蒸し返すリンに、語気を強めた反論が飛ぶ。
「それを、恵まれているっていうのよ。過去の悲劇、1人きりの異世界への戸惑い、大いに結構。…むしろ、その逆こそ恵まれてない設定よ。…見たことある?過去に楽しいことしか経験してこなかった、楽観的で温室育ちな主人公を。大勢の力強い仲間を引き連れて、悠々と異世界へと旅立つ主人公を」
物語において、必ずしも“恵まれた状況=恵まれた設定”ではない。
千無の記憶を遡ってみても、リンの挙げたような主人公は、まともな物語で目にすることがなかった。
「…なるほどな。それで、その話が、今の俺の醜態とどう関係するんだ?」
「環君は、この戦いが終わったら…あなたが何らかの形で勝利したら、どうするの?」
千無の問いに、新たな問いを被せるリン。
「それは…俺がどうにか、みんなが幸せになる方法を考えて…それで……」
リンの問いに対し、千無はどうにか最良の答えを模索するが、夢物語のみが湧いてくる。
幸せになる方法など考えずとも、雫持ちは願いを叶える術を手にしているのだ。それを用いて、それぞれが幸せになろうとするだろう。
彼らに抗うことは、他者の願いを踏みにじること。昨日リンに言われたことだ。
ならば、放っておく?
それは出来ない。千無は、力を手にしたものが自分勝手に力を行使する姿を目にしていた。
大切な人が傷ついてほしくない。誰かの大切な人が傷ついてほしくない。
それが、千無の戦う理由となった。リンの話を聞いてもなお、自分を奮い立たせてくれる信念だった。
「輝ちゃん。あなたの雫を教えてもらえるかしら?」
千無が絞り出した言葉には何も返さず、後方の輝に軽く顔を向け質問するリン。
今までの雫は、願いを叶える手段の形ばかりだった。およそ千無から見て、無くなって困るものではなかった。
だが、速水輝は違う。
彼女は、以前まで歩くことさえ出来なかった。だったら、その願いは…。
「わ、私の雫は『脚』です!」
リンの急な問いに、何とか即答した輝の答えは、おおよそ千無の予想通り。
元々立てなかった輝が、『立ちたい』『歩きたい』と願った。その結果として『脚』の雫を与えられた。最もな願いだ。
そんな彼女が雫を失えば、どうなるのだろう。
「ありがとう、輝ちゃん。…さて、現状を理解してもらえたところで、さっきの話と結びつけるわね」
さっきの話。千無の現状と恵まれた土壌がどう関係するのか、という話だ。
千無はやっと理解する。
遅すぎる理解に、自分の思慮の無さを改めて恥じる。
「恵まれた設定というのは、認めてくれる環境があるということなのよ。戦う正当性、好きになる正当性を、あらゆるものが認めてくれる。過去の悲劇、世界の危機、好かれる容姿、ヒロインの過去。…そういったものが、必ず主人公を肯定してくれる」
千無は、アニメや漫画の主人公じゃない。
正当性なんてない。それを認めてくれるものは存在しない。
自分がしたいから戦う。存在するとしたら、そんなエゴイスティックな主人公。
「でも環君は、主人公のような状況に立たされているだけ…。あなたには足りないの。……あなたの優しさでは、自分の戦いを正当化できない」
優しさではない。臆病なだけだ。
意識を手放さなければ、人を殺す覚悟も持てない、そんな臆病者。
「何の願いも持たないあなたの勝利で、譲れない願いを諦めるアザミ側の雫持ちは、あなたを認めない。歩く喜びを失う輝ちゃんは、あなたを認めない。…あなたの優しさでは、この事実で十分でしょ。そして…」
(分かったから、もう、やめてくれ。…その言葉を、聞かせないでくれ)
事実を淡々と告げられる中で、彼が最も耳にしたくない言葉。
バッドエンドのために設けられた主人公。
そんな自分でも、近くにいてくれると言ってくれた人から突き付けられる現実。
「…私も、あなたを認めない」
涙が千無の頬を伝う。
2人の女子の前で泣く。そんな今まで以上の醜態の恥ずかしさを、今更気にすることもない。
「………泣かないの。……お互いの涙を見合った仲だと、意外と優しくなれるものね」
リンがしゃがみ込み、千無の目尻を拭う。
「泣いて…ねぇよ」
以前と同じ強がりを言いつつ、リンの手を払う千無。その目は赤い。
手を払いのけられたリンが、次は顔を近づけ始める。
千無の耳元まで口を近づけたリン。いい匂いを千無の鼻に届けながら囁く。
「でも、環君を認めてくれる人が、信じてくれる人が、確かにいるじゃない」
桜木ミコト。鬼塚笑愛。
2人の顔が千無の脳裏に浮かぶ。
不思議と笑みがこぼれてくる。
リンは千無が泣き止んだのを確認すると、ゆっくりと顔を離す。
千無に向けていた優しい瞳に戦いの意思を宿し、輝を振り向く。
「あの人が信じるんだもの。…私も、少しは信じようって思ってしまうじゃない」
千無自身のことは認められないが、ミコトや笑愛のことは信じられるということだろう。
そこまでの深い絆が、いつの間に構築されていたのかは分からないが…。
「自分ではない誰かが大切に想っているから、主人公のために戦う。そんな理由で戦う素直じゃない味方。…そういう味方が、主人公の近くに1人はいてもいいじゃない」
リンが、輝に竹刀を向けた。
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