第11話
「幸せは、人を弱くします」
見慣れた色の光。つまりそれは、アザミの雫の光。
「『当たり前』という幸福を知ってしまった人間は、二度とそれを手放すことなんてできません!」
その叫声が届くよりも速いと錯覚するほどのスピードで、輝は千無との距離を詰める。
千無の視界に捉えることが出来たのは、頬を直撃することが確定した彼女の右脚。
「環君!」
リンの声が遠くに聞こえ、自分が蹴り飛ばされたことを理解する千無。
「千無さん、リンさん、ごめんなさい。…私は…私の『当たり前』を失いたくありません」
――遡ること2日。
千無はリンに呼び出され、大学近くのファミレスに来ていた。
全国チェーン、低価格、高品質。これだけの条件が揃えば、当然のように学生の溜まり場となる。平日の昼過ぎであるが、店内は多くの学生でごった返し、ほとんど満席の状態である。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「あ、いや、連れが先に来ていると思うんですけど…」
店員にそう告げた千無は、店内にいるはずのリンを探す。
ただでさえ広い店内、そのほとんどの席が埋まっているのだ。人ひとり見つけるのも一苦労…かに思えた。
だが、千無は気づく。
店内の学生の視線が、どこか一点に集まっている。視線の先にいるのは、1人の女性。
「あー、あの人です」
今からその女性の向かいに座る千無は、とても委縮してしまう。
これまでのことを振り返ると、彼女は意図して、こんなにも注目を集めているのかもしれない。
「こんにちは。…ごめんなさいね。先に頂いてしまっているわ」
テーブルの向かいに着席した千無に、食事を中断して挨拶するリン。
周囲の視線が千無に刺さる。リンの相手として千無が相応しくないからか、はたまた、普段は1人で過ごしているリンに知り合いがいたからか。
視線の先には、なぜか男性よりも女性が多いように思われる。
「神崎さんはただでさえ注目集めるんだ。そんなものは遠慮したほうがいいんじゃないか?」
リンの目の前に置かれているのはペペロンチーノ。さらにその横は、納豆が入っていた小鉢。
いかにもな組み合わせを混ぜ合わせ、何食わぬ顔で食しているのだ。
近づいた千無の鼻を、強烈なにおいが刺激する。
構内でも指折りの有名人、リンの食事風景。その食事が、“彼女らしい”と思えないもので構成されているのだ。
学生たちの注目を、その意外性が助長してしまっているように思える。
「私ね、周りに遠慮して好きなものを妥協するほど、可愛い女じゃないの」
「さいですか」
適当な返事と共に、注文のため店員を呼ぶ千無。
彼の注文はネギトロ丼。出来るだけにおいの薄いものをセレクトした結果である。
「…じゃあ、始めましょうか」
先に食事を済ませていたリンが、千無の食事が終わるのを確かめるなり口を開く。
彼女が待っている間のお供は、スマホのゲームアプリ。両手持ちで、何やら親指を激しく動かしていた。
「まずは、お礼からかしらね。あなたの家に住む許可を出してくれてありがとう」
「まあ…ミコトにあそこまで言われたら、オッケーするしかないだろ」
そう。あんなに反対していたミコトが、あの騒動の翌日から、リンの同居賛成派となっていたのだ。
笑愛だけは最後まで不満を漏らしていたが、心変わりしたミコトに押され、渋々理解を示すこととなった。
最後に、千無の許諾だが…。
「『既に前の家を解約しているので、このままでは路頭に迷ってしまいます』なんて言われたら、嫌でも許可するしかねぇだろ」
「ふふ、心優しい人で良かったわ」
リンは千無の許諾を待たず、すでに現在の部屋を解約していたのだ。
その事実を用いて、千無の優しさにつけこんだリンは、まんまと同居の許可を得ることに成功する。
さらに、リンの意志はあらゆる面で固く、千無の家以外の可能性は持ち合わせていない様だった。
何が彼女をそこまでさせるのか。千無の想像の及ばないとこである。
「…じゃあ質問。………そんな優しいあなたでも、人が死ぬことに慣れは生まれていないのかしら?」
「……慣れるわけない…って言いたいとこだけど、…正直多少の慣れはあるよ」
雫持ちの中には、その力で他者に危害を加えようとする者がいる。
藤田大和が6人、引田桐人は10人。既に人を殺めるものまで現れている。
テレビのニュースでは、未知の劇薬や神隠しなどで、彼らの死の説明を試みていた。
しかし、理解の及ばないコメンテーター達とは違い、千無は当事者で、死んだ人たちを助けられたかもしれないのだ。
いくらミコトや笑愛の温かさに触れようと、千無には、その事実と惨劇を忘れることが出来ない。
忘れられないということは、慣れていくということだ。
「…そうよね。私も…変わりたくはないのだけど……」
これからも、いや今現在も、雫持ちによって、誰かの命が奪われているかもしれない。
千無の中にも、焦りやもどかしさは当然ある。
何かしたい。でも、何をすればいいのか分からない。何も知らない自分が、何を正しい道としていいか分からないのだ。
彼は段々と、そんな現状に慣れていってしまうのだろう。
外国の自然災害で現地の人が何人亡くなった。そんなニュースを聞いて、あまり実感がわかないように…。
人の死を目の当たりにするほど、人として当たり前の優しさが失われていく。
リンにとっても、そんな変化が怖いのかもしれない。
「いつか…今度こそ…本当に誰かを殺して……それでも…心が痛まなくなっちゃうのかしら……」
「それが、同居の本当の理由?」
「…そうね。1人じゃ…押しつぶされてしまいそうだから…。普段は一匹狼を気取ってたりするんだけどね」
願いを叶える力。世界を変えるかもしれない力。そんな力を1人で抱え込むのは、とても容易なことではない。
どんな人間も力に充てられ、やがては、大和や桐人のようになってしまうのかもしれない。
いや、もしかしたら、千無やリンも…。
「正義と悪は紙一重」
唐突にリンが呟く。
どこぞの作品で聞いたな、と千無は思う。
紙一重。
千無の価値観が間違っていて、藤田大和や引田桐人が正しい、とも言えるのだろうか。
(…でも、あいつらは悪だろ。……悪…だよな…)
千無の心中には、願いにも似た悲痛な想いが浮かんだ。
「…ごめんなさい。この話はもうやめましょう。…今日は、現状を話し合うために呼んだんだから」
千無の何も生まない思考を遮るように、リンが1つ手を叩いて、話題の転換を行う。
唐突な転換だが、決して思いつきの話題ではない。
昨晩千無のスマホに届いた連絡にも、『話があるから会いたい』としっかり明示されていた。
その文面に、千無が多少なりとも舞い上がったのは言うまでもない。
「あなたの部屋に泊まった日から、ずっと考えていたの。これからの事について…というよりは、私たちの置かれている状況について」
多少の無理が垣間見えるほど、さっきまでより明るい声色で話すリン。たったそれだけの行為で、思いつめていた千無の思考は、どこかに飛んで行ってしまった。
リンの話については、流されるままに戦っていた千無からすれば、あまり考えてこなかったことである。
「あなたは、能力者、願いを叶える戦い、劣勢対優勢、このあたりの条件がそろった現状を、どう感じるかしら?」
「……ん~、そうだな。…漫画や小説、アニメみたいって感じるかな…」
「そうでしょうね。私も同じ意見よ。…じゃあ、そんな物語を楽しむときに考えることって何かしら?」
漫画や小説、アニメを好む2人だからこその意見である。それ以外のことを思い浮かべる人もいるだろう。
(考えること?…漫画だったら、ヒロインのキャラデザやストーリーだろうか。…小説だったら、ヒロインのキャラデザやセリフ回し。…アニメだったら、ヒロインの萌え描写とアクションシーンかな。つまりまとめると…)
「ヒロインの可愛さについてかな」
「そうね。ストーリー展開、主にエンディングの推察よね」
自信満々な千無の答えを聞き入れるそぶりなど全く見せず、リンが自分の考えを述べていく。
「…だとすれば、私たちの状況は、どのように展開されていくのかしら。始まりの2人の神、彼らには、私たちに力を授ける理由があったと思うの」
「理由?単なる気まぐれの可能性もあるんじゃないか?」
「それを考える材料が、エンディングの推察なのよ」
頭の上にハテナを浮かべる千無。
リンと会話する彼は、大方そんな姿を見せているように思う。
「私たちのような普通の人間に力を与え、勝利報酬をエサに戦わせる。…そんな物語の最後は、一体どうなるのかしらね…」
「……考えたくないが、全滅エンドや願いが歪んで叶えられるエンド…なんてのが有力じゃないか?願いが叶って、みんなが幸せなんてエンドはあり得ないよな」
これもあくまで、2人ならではの捉え方である。
「…そうね。私も似た意見よ。…それともうひとつ。この物語の主人公は誰かしら?」
「主人公?別に、本当の漫画やアニメじゃあるまいし…」
そこまで口にした千無は、目の前のリンが、ニッコリと笑っていることに気づく。
短い付き合いの中で、千無にも分かったことがある。
リンがよく笑うこと。主に、彼を馬鹿にしている時に…。
「…俺…ってことか?」
「ふふ、ご名答よ。劣勢な状況で戦うなんて、主人公にピッタリだもの。笑愛さんの線も考慮したんだけど、治療系は主人公として弱いわ」
これも2人の意見である。
「だからって、主人公なんてこと…」
「そうかしら。私は、ここまであからさまな状況が、ただの偶然なんて思えないの」
それは千無が、笑愛に事情を伝えられた時から疑問に思っていたことだ。
単なる偶然で、ここまでのハンデをつけた状況が出来上がるだろうか。
少数と多数。弱小校と強豪校。勇者と魔王。明らかな劣勢こそ、主人公側の鉄則かもしれない。
「…でも、そうだとすると………俺の能力、弱くない?」
「そうなのよね~。あなた、実は炎熱系能力者だったりしない?」
リンが笑いながら口にする。
同じ笑顔でも、さっきとはまた違った印象を受ける。
リンが思い浮かべるように、主人公の能力で多いのは炎系統かもしれない。強さ、見栄え共に、最優といえる。
ちなみに、千無が連想したのは雷属性。近頃ハマったゲームの印象が強いのかもしれない。
「まあ、無能力なんていうオチじゃなくて良かったじゃない。アニメとかならご都合してくれるけど、現実で弱小設定なんてただのお払い箱よ」
なおも楽しそうに喋るリン。
「…それで、仮に俺を主人公とする。そこから何が分かるんだ?」
さすがにそこまで言われては、自分のことが悲しくなってきた千無。
話題を元に戻そうと、深く息を吸ってから質問する。
「…っコホン。…さっきのエンディングの話と合わせて考えるわね。…まず、物語は2つに分岐するの。あなたが勝利するか、…敗北するかよ」
主人公が勝利してハッピーエンド。敗北してバッドエンド。マルチエンド方式のゲームでは、鉄板ともいえる作り。
先に述べた千無のゲームも、同じような作りだった。
「なるほどな。…それで、それぞれのエンディングはどうなるんだ?」
「敗北ルートは、あの殺人鬼たちのような人間の望んだ世界が始まるわ」
他人事のように話しているリンも、実際はアザミ側なのだ。千無の敗北と同時に勝者となる。
意図してのことか分からないが、自分を彼らと同様の人間だと考えているのかもしれない。
「…それは、駄目だよな。…それで、俺が勝利するとどうなるんだ?」
「勝利ルートは………。そう言えば、あなたは雫についてどれくらい理解しているのかしら?」
千無の質問に答えず、新たな質問を投げかけるリン。そのまま、少し前に注文したコーヒーをかき回し始める。
「…神様からのお恵みだっけか?願いに応じた文字と能力が与えられるとか…」
千無は笑愛から聞きかじったほどの知識で、なんとか回答する。
肝心な記憶が無い千無は、正直なところあまり理解できていない
「そんなところ…かしらね。じゃあ、勝者の報酬って何かしら?」
「それは…知らないけど…」
勝者に与えられる報酬。笑愛すら知らなかったものである。
だが、アザミ側が動きを見せていたことから、勝ち取るに値するものだという予測は出来ていた。
「さっきも少し出てきたけど、勝者は願いを叶えてもらえる、っていうのが一般的よね。でも…」
「この戦いでは、既に願いが叶えられている。雫という形で…」
リンの言葉を遮って千無が口を開く。
誤った回答でなかったためか、リンが嫌そうな顔は見せずに続ける。
「…そう。大なり小なり、参加者の願いが叶っているの。…だとすれば、勝者の報酬とは……」
またもや遮ってくるであろうと予測したリンは、先ほどより多めに間を作る。
しかし、千無は口を開かない。自身の置かれた状況に、言葉を失ってしまう。
答えが分かりきっている千無のために、リンもわざわざ言葉を続けない。
「……で、でも、雫自体に強い願いを込めている奴はいないんじゃないか?今までだって、願いを叶える方法として扱う奴ばかりだったし……。神崎さんのように…理解を示してくれる人…だっ…て…」
戒め。リンの瞳が、千無の苦し紛れの夢物語を中断させる。
懐柔されたということは、願いを諦めること。リンがあんなにも醜くなれた願いを、手放すということだ。
それを肯定する言葉を無意識に紡いでいた千無は、強く自身を恥じることとなる。
「勝利条件だって分かっていない。…だから私たちも、いつかは本気で殺し合わないといけないのかしらね……」
コーヒーを飲み干したリンが、空っぽのカップを見つめながら口にする。
「…結局、勝利ルートってのは……?」
「多くの願いを踏みにじり、多くを傷つける。その先に、自分だけの願いを叶える。…そんなエンディングでしょうね」
千無は絶句する。この戦いの意味を見失いそうになる。
みんなが幸せな結末は存在しない。ハッピーエンドは存在しない。
そんな物語の主人公が、自分かもしれないのだから。
この状況こそ、この絶望こそ、彼らに雫を授けた者が望んだものかもしれない。
「結局のところ、この物語には、あなたの物語には…」
一呼吸入れ、ゆっくりとリンが口を開く。
「バッドエンドしか存在しないの」
翌日、神都大学前のバス停に、リンを待つ千無の姿があった。
リン曰く、連れていきたい場所があるとのこと。またもや曖昧な理由から、連日の約束が取り決められたのだ。
昨日はその後、リンの言葉を最後に、会話もなく店を出た。雰囲気的にそのまま解散となる。
リンは、居住期間が僅かとなった家へと帰っていった。
解約まではもう少し日数があるため、荷物の整理をしているらしい。
1人で帰宅した千無は、リンの話を何度も振り返った。
漫画やアニメの主人公じゃない。納得のいく答えなんて出てこない。
「それでも…これしかないよな…」
「あら、昨日よりはいい顔してるじゃない。環君」
気持ちを入れた千無に、唐突な声がかかる。
声の主であるリンに、千無は思わず驚きの表情を向けてしまう。
待ち合わせ場所にリンが来るのは当たり前。時間はピッタシ。
彼を驚かせたのは—――
「初めてだな。神崎さんが、俺のこと呼ぶの」
――リンの名字呼び。
「……そうだったかしら。本当は、男の名前を呼ぶなんて、虫唾が走るほど嫌なのよ。これから困るから仕方なくよ。…ありがたく思うなら環君も、私のことを、名前呼びくらいしてみなさい?」
「………リン」
「…上出来よ」
2人とも、お互いの顔を見ない。いや、見ることが出来ない。目が合えば、ますます顔が火照ると分かっているから。
少なくとも、夏が近づく太陽の下でする話題ではなかった。
「千無さん、リンさん、見て下さい!マリーゴールドが咲いてますよ!」
リンに連れられて向かったのは、バスで1時間ほどの神都大学病院。今は、その病院の中庭にいる。
リンは依然ここを訪れた際に、妙な気配を感じていたという。
そんな不確かな情報だけを頼りに、ここまで付き添う羽目となった千無。
まずは情報収集でもしようと、中庭にやってきた2人に、最初に話しかけてきたのが速水輝である。
学校に通っていれば、高校生という年齢の彼女は、その明るい性格で、すぐに2人と打ち解けることとなった。
「知ってますか?マリーゴールドの花言葉は、“健康”なんですよ」
「そうなの?知らなかったわ。今の輝ちゃんにピッタリの花ね」
博学のリンは、花言葉についても精通している。
しかし、知らないふりをして優しく合わせるあたり、年下の扱いには慣れているのかもしれない。
「そうですよね!一生車イスの状態から、こんなに走れるようになったんですもん!」
雫持ちは、雫持ちが分かる。しかしそれは、雫の能力を使用している場合のみ。
だが、速水輝の周りには、微弱な雫持ちの光が常に見えている。
それは、日常行動だけで、雫の能力を必要としている証拠だ。
「輝ちゃん!そろそろ戻りますよ!」
看護婦さんが、遠くから輝のことを呼ぶ。
「え~!まだお二人と遊びたかったです…」
「大丈夫よ。明日も2人で来てあげるから」
千無には初耳だ。
「本当ですか!?楽しみにしてます!」
そう言って、元気に看護婦さんの元へ駆けていく。
あの姿を見て、少し前まで車イスを必要としていたとは、誰も思わないだろう。
「気づいた?」
「ハッキリとな」
速水輝は、雫持ちだ。
「それで、どうするつもり?」
どうする。つまり、事情を話し合うのか、ということである。
理解を示してもらえなければ、戦闘になる可能性もある。だが、味方になってもらえる可能性もある。
輝ならば、他人に危害を加えることはないかもしれない。見逃すという手もあるだろう。
昨日のリンとの話を嚙み締めたうえで、千無は選択する。
「話してみる。あの子なら、話せば分かってくれると思う」
話せば分かる。それは、主人公の信条の中でも、代表的なものの1つだろう。
リンはその答えに、「そう」とだけ呟いた。
今にして思えば、千無の現状を予測しての呟きだったのかもしれない。
千無が自嘲気味な笑みを浮かべると、口の端から血がこぼれる。
結局のところ千無は、分かっていなかった。雫持ちの願いの重さを。
「たとえ、私の『当たり前』を奪う人の、命を奪うことになっても!」
輝が、叫んだ。
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