第10話 『騒動』


「それで、話をまとめると…」


「千無君が置いて言ったせいで、私は寂しい朝を迎えたってこと!」


「笑愛さんには聞いてません」 


 訪問してきた3人の女性を部屋の中に招いた千無。とても羨ましい光景だ。

 女性の1人は、数時間前に泊めた人物。もう1人は、その前日に一緒に泊まった人物。

 単純な心配から訪問してくれたミコトに対し、なんとも申し訳ない関係性が出来上がってしまっていた。

 その関係性を改善するため、最初に事情を説明した笑愛。…正確には、説明せざるを得ない状況となってしまっただけである。

 結論から言うと、笑愛と千無の間には何もなかった。

 笑愛の、千無の服を脱がしてあげるという好意と、全裸就寝という習慣が重なった結果が、ホテルでの朝を生み出したのだ。

 千無がホテルの部屋を退室したあとの笑愛は、介抱してあげた千無の姿が見えないことに激怒。そのままデパートに直行し、千無のパンツと同様のものを購入。

 そして週末の真昼間の今日、ミコトの訪問に合わせ、パンツ片手にわざわざ千無の家までやって来たのである。

 そんな事情を唯一知っていた笑愛は、初めにパンツのことを口にしてから、にやけ顔で沈黙していた。 

 自分の復讐が完遂していなかったからである。

 笑愛の標的はミコト。千無と一夜を共にしたことを匂わせば、千無をきつく問い詰めるだろうと思っていた。間接的に千無を苦しめようとしたのである。

 しかし、実際のミコトの反応は、ただただ静かに涙を流すだけ。笑愛の予想は、大きく外れることとなる。

 笑愛はもちろんのことだが、罪のない千無まで何度も平謝りする羽目となった。

 ちなみにリンは、憐れみの視線を笑愛に向けていた。

 この一件だけで、目の前の女性が残念美人だと悟ったのだろう。






 そして現在、事情を理解して泣き止んだミコトが、自分の訪問理由を話し終えた。

 その理由は、千無からの返信がなく不安になったから。千無の予想通りの殊勝な理由である。

 笑愛と共に正座で反省している千無が、その理由を聞くなり、頭を床にこすりつけたのは言うまでもない。

 それでもしばらくは、頬を膨らましていたミコト。

 彼女の頬をしぼませたのは、大学カフェのスイーツを奢るという約束であった。

 そんな彼女の姿に、約束を取り付けた千無が、心の中でチョロいと思ったのは言うまでもない。


「えーと、話を、分かりやすく、まとめると…」


「私が、環千無の家に、居住する、ということよ」


 そして、未だに訪問理由が分からないのが、リンである。

 理由が聞きたいから尋ねている千無に、リンは何度も同じ返答を繰り返す。そんな姿に、千無の顔にも苛立ちが表れ始める。

 リン以外が座椅子に座っている中、1人だけオフィスチェアーから見下ろすあたり、既に家主のつもりなのかもしれない。

 正確には、笑愛が数秒前に、断りなく家主のベッドに移動している。この年長者も大概である。


「リンさん…ですよね?神都の剣道小町で有名な。…どうしてあなたみたいな人が、千無と仲良くなっているんですか?」


 まるで千無には、リンと接点を持つ資格が無いような言い草。

 ミコトの言う通りかもしれないが、人に言われると、千無は余計に悲しくなる。


「あら、ずいぶん私を評価してくれているのね。…でも私、そんなに大層な人間じゃないわよ。学生の噂なんて8割は尾ひれで出来ているんだから。…それと、そこの人との接点についてだけど…」


 千無を見下すように向けていた視線を、ベッドで寝転ぶ笑愛に向け、リンが続ける。


「私が、あなたたちと同じ…だからかしらね」


 その言葉を言い終わるが早いか、リンと――


「舐められたものね。私の前で、この子たちに手を出そうとするなんて」


 笑愛が雫を解放した。

 刀の柄に手をかけるリンの首に、笑愛の手が掴みかかっている。少しでもリンが動こうものなら、問答無用で首をへし折るつもりだろう。

 その状態だけで、どれだけ笑愛の動きが速かったのかを、千無は遅れて理解した。


「…つまり、私も雫持ちだということです。当然ながらアザミ側ですが、無意味にこの人たちを殺すつもりなんてありません」


 リンはそう口にしながら、手を刀から離す。


「私はこう言ったのよ。手を出しちゃダメだってね」


 そう言って笑みを浮かべた笑愛に、リンは驚きの表情と共に笑みを返す。

 2人だけが通じ合っているような空気。そんな空気の中、リンに虚を突かれ、腰を抜かしてしまっている千無。

 ミコトがそんな千無に、不安そうな声で耳打ちする。


「神崎さん、危ない人だよ。一緒に住むなんて絶対だめだよ」


「…桜木さん、安心してください」


 決して大きくなかった声に反応したリン。思わず身体をビクッとさせてしまうミコト。


「さっきのはほんの冗談です。そこの泣きm…男の人に危害を加えるためではなく、雫持ちを判別するのが目的でしたから。……数が少ないとは聞いていましたが、まさか残りはあなただけなのですか?」


 そう口にするリンの視線が、ミコトから笑愛へと移る。

 笑愛は肩をすくめ、ため息を1つ吐く。


「…そうですか。ならばより一層、私をここに住まわせた方がいいのではないですか?」


 そこからリンが述べたのは、千無の家に住む場合の、利点と自身の都合。

 千無たちの利点は当然ながら、戦力が増えるというもの。

 リンの都合とは、戦局を正しく判断すること、男を正しく判断すること、自分の傍に敵を置いておくこと。


「メリットよりもデメリットの方が大きくないかしら?」

「そんな理由で同棲なんてさせません!」


 笑愛とミコトが先に反論したため、千無は少し浮かせた腰を、そのまま下ろすこととなってしまった。


「要するに、この人が妙な気を起こさないなら、私はあなた方の味方だということです。これからの戦いに向けて、とても良い契約だと思いますが…」


「その契約を信じる根拠はあるのかしら?」


「…昨晩、私とこの男は一緒に寝ました。…いつでも寝首をかける状態だったにも関わらず、私はそうしなかった。…この事実は根拠になりませんか?」


 証拠提示の代わりに、特大の爆弾を投下したことを、リンは気づいていない。


「「一緒に寝た!?どういうこと!?」」


 当然のように、ミコトと笑愛から追及を受ける千無。少なくとも、笑愛にその資格はないように思われる。


「いやいや、昨晩は雨で濡れたから、風呂を貸したんですよ。…その後は、何故か泊めることになりましたけど、朝まで何もありませんでしたから。寝る場所だってちゃんと分けました」


「そんな問題じゃないの!私だって…泊まったことないのに……」


 千無の必死で正確な言い訳に、ミコトが尻すぼみの反論をする。

 その状況を、笑いをこらえながら見ているリン。改めて千無は、彼女の性格の悪さを痛感する。


「大丈夫だ!だって…俺が好きなのは――」


 タイミングが悪いと思われる、勢いに任せた必死の告白。特大の勇気を振り絞った、愛を伝える言葉。

 そんな千無の言葉の途中で、室内に強い風が吹き込む。


「え…?何…?」


 風にかき消された千無の言葉が、3人に届くことはなかった。

 千無の告白が、風に遮られたのである。


 (こんなシーン、漫画やアニメではよく見るけど、まさかリアルで起こるとは…)


 目の前で起こった偶然に、そんなことを思う千無。漫画やアニメだけでなく、ドラマにおいても定番な場面だろう。

 そもそも、梅雨の時期のジメッとした空気が、こんなに強く吹き付けること自体珍しい。

 そう、今は6月、梅雨の時期なのだ。


「俺…いつ…窓開けたっけ?」


 千無は思わず、その言葉をこぼさずにはいられなかった。

 今は梅雨の時期。今日は午後から雨が降る予報。室内ではクーラーを使用している。

 窓を開けた覚えも、開ける理由も存在していない。


「そろそろ雨が降り出すっていう予報だったわよ。おっちょこちょいね、千無君」


 笑愛の言葉に同意する女子2人。

 つまり、窓を開ける理由を持つ者が、この部屋には存在しない。


「ですよね~。予報は見てたんですけど、窓の確認はしてなかったみたいで…。あと少しで部屋がびしょ濡れになるところでした」


 偶然。

 偶然閉め忘れた窓を、偶然全く気に留めず、そこから偶然吹いた風が、偶然千無の言葉を遮った。

 そんな偶然が、存在するということだ。


「………千無君、タバコある?」


 唐突な笑愛の言葉。千無の思考が遮られる。


「俺、タバコ吸えませんよ。いつものあれは、カッコつけのシガレットチョコです。知ってますよね?」


 千無はタバコを吸わない。

 ただし、時折口寂しくなるため、好物のシガレットチョコを咥えている。

 白髪交じりの頭と合わさると、咥えているものがチョコでも、なかなか様になるのだ。


「…そうだったわね。………知っているわよ……誰よりも…」


 千無のテンションとかけ離れた、寂しげな声を発する笑愛。

 その泣き声にも似た呟きが、千無の耳に入ることはなかった。


「…どうしたんですか?」


「ううん、大丈夫よ。…それより、雨が降るってことは、今日も千無君の家に泊まる口実があるってことね!」


 大丈夫は、大丈夫じゃない人が使う言葉だ。

 笑愛の空元気に、千無はそんなことを思い出さずにはいられなかった。












「え~またやるんですか~?」


 ミコトが、笑愛の宣言に対し、露骨に嫌そうな声を出す。

 千無、ミコト、笑愛、リンの4人で夕食を終えると、笑愛はある宣言をした。通例ともなっているその宣言は、ゲーム大会の開会宣言である。

 千無の部屋はかなり広い。その理由は、友達をたくさん呼ぶため。

 結局未使用のものばかりになってしまっているが、パーティー用のゲームをたくさん用意してあるのだ。

 笑愛が来ると、たいていはそのゲームをやりたがる。人数がいるならなおさらである。


「今日はどれにしようかな~。おっ!これにしようかしら。『大混戦クラッシュシスターズ』」


「え~、いっつも私が最初に脱落するじゃないですか~」


「そんなことないわよ。リンちゃんもいるし、チーム戦にしましょう」


 大混戦クラッシュシスターズ。ギャルゲーのオールスターキャラを使用し、敵を画面外に吹っ飛ばす対戦ゲームとなっている。

 今回使用するのは46版。グラフィックの古臭さやキャラの少なさを、多彩なコンボや爽快感が見事に補っている。


「チーム分けはどうします?」


「そうね~、私と千無君が上級者とすると、この2人を分ける必要があるわね」


「だとすると…」


 千無と笑愛が、ノリノリでチーム分けを行っているところに、リンが割って入る。


「そんな気遣いは必要ありません。私が桜木さんと組みます」


「…いいの?私たち、結構強いよ」


「はい。その鼻をへし折るのが目的ですから」


 ニッコリと笑うリン。

 挑発された千無と笑愛が黙っていられるはずもなく、ミコトとリン、千無と笑愛の2対2となる。


「…よーし!1点!」


 戦いが始まって早速、笑愛がミコトのキャラクターを吹っ飛ばす。

 1人2点持ち設定のため、早くもミコトは脱落リーチ。


「やっぱりこうなるじゃないですか。私下手くそなんですから、手加減してくださいよ」


「ふふふ、手加減なんてするわけないでしょ。なんてったって、罰ゲームがかかってるんだから」


「え!?聞いてないですよ~」


「何がいいかしらね~。私はおつまみが欲しくなってきたから、買い物を頼みたいわ。…千無君は?」


「俺ですか?俺は……尻文字ですかね。あの高慢な態度を、地に落としてやりたいんで」


「いいわね~。私も賛成よ」


 ゲームを片手間に罰ゲームを練る千無と笑愛。その内容を聞きながら、焦りを顔に滲ませるミコト。

 一方のリンは、なおも澄ました顔で画面を見ている。操作キャラは、ステージの端であまり動きを見せていない。


「その罰ゲーム、当然あなたたちにも適用されますよね?」


 リンが口を開く。


「そりゃそうでしょ。まあ、私たちに勝てたらの話だけどね」


「…そうですか。…桜木さん、右上の高台に上ってください」


 笑愛の了解を得たリンが指示を出す。その指示に大人しく従うミコト。

 ミコトのキャラが、指定の場所へと上る。

 それを確認した瞬間、今までほとんど動きのなかったリンのキャラが、素早い動きを披露する。


「「着キャン!?」」


 リンのキャラのコンボが炸裂する。玄人技を用いているため隙が生まれない。


「桜木さん、撃って」


 ミコトのキャラの銃弾が、笑愛の助けに入った千無のキャラに直撃する。


「「上Aでまとめられた!?」」


 結局、2人揃って場外に飛ばされる。

 千無と笑愛は完全に井の中の蛙であった。明らかに、リンの方が一枚も二枚も上手だった。

 ガチ勢のリンに勝てるわけもなく、続く2点目もなすすべなく奪われる。







「何の文字書いてるか、分かりませ~ん」

「千無、顔真っ赤~」


 負け組2人の尻文字が披露される間、好きなように言葉を浴びせてくる勝ち組2人。

 さっきまで泣きそうな声を出していたミコトは、手拍子まで付けてはやし立てている。

 リンもえらく上機嫌でからかっている。右手に持っている1缶目のチューハイで、酔っているのかもしれない。


「じゃあ、次は買い出しお願いしま~す」


 その言葉と共に部屋から追い出される千無と笑愛。

 尻文字の恥ずかしさで火照った肌に、雨上がりの涼しい風が吹く。


「まさか…あんなにリンちゃんが上手だったなんてね」


「着キャンだけじゃなく、小ジャンプまで挟んでましたよ。相当なやり込みですね、あれ」


 笑愛と並んでコンビニに向かっていた千無は、リンのアニメ知識を思い返す。

 そして、ゲームにも精通している可能性を考慮すべきだったと、今になって後悔した。

 負け組の会話は余計に後悔を募らせる。笑愛もそれを悟ったのか、店に着くまでは沈黙。

 だが、そんな沈黙も長くは続かない。店に着くなり、後悔や屈辱は何処かに消え失せ、楽しそうに商品を選んでいく笑愛。

 商品決定権は笑愛にのみ存在しているため、苦笑いの千無をよそに、彼女の独断で商品が積まれていく。

 そのため、買い物を終えた2人は、いまだに落ち込む千無と、満足顔の笑愛に分かれた。

 買い物袋を千無に持たせ、意気揚々と帰路に就く笑愛。


「もう一戦して、今度こそリンちゃんに尻文字してもらわないとね」


 そんなことをいう彼女に、疲労と眠気が襲い始めた千無は、逆らうことも出来なかった。







「「ただいま」」


 帰宅した千無と笑愛は、衝撃的な光景を目にする。


「なに…やってんの?」


 思わずそんな言葉が出てしまうほどの衝撃。

 リンが寝ていた。あのリンが、ミコトに抱き着いた状態で寝ていた。


「お姉ちゃ…っリンさんがね!酔っちゃって!ベッドを勝手に借りるのもどうかと思って!私を貸してあげたの!」


 訳の分からない言葉を口にするミコト。

 この慌て様からして虚言なのだろうが、本当の理由なんて全く推測できない。


「ありゃりゃ、リンちゃん寝ちゃったのか。…だったら今日はお開きかしらね」


 リンの様子を見た笑愛が、残念そうに口にする。

 そして、ミコトとリンはベッドに移動。笑愛は勝手にタンスを漁り、千無が使用するはずだった寝袋を手にする。

 女性陣が就寝準備に入る中、千無は1人で後片付けを済ませることとなった。

 電気も消え、笑愛の寝息がひと際大きく聞こえる部屋。

 千無は、その部屋の隅で寝ることにした。まくら代わりに鞄を使う。


「………ごめんね、千無」


 ソファに包まれ、ほどよく眠気が襲ってきた千無に、ミコトが謝罪の言葉を口にする。

 彼女は未だ、リンに抱き着かれているようだ。

 謝られる理由が思いつかない千無は、言葉を返すことが出来なかった。


「リンさんを…守ってあげてね」


 返事のない千無にミコトが続ける。


(守ってもらってるのは、俺の方だけどな)


 自嘲気味な言葉を思い浮かべたところで、千無の眠気が限界となる。 

 こうして、女性3人が家に押し掛けることから始まった、騒がしい1日は終了した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る