幕間
「ポテチ」
「…はぁ」
アザミ様が唐突にお菓子の名前を呟く。
虚を突かれてしまった私は、従者としてはあるまじき、気のない返事をしてしまう。
なぜなら、アザミ様の目の前には私が先ほど追加したお茶菓子があるのだ。そのようなことを呟く理由が無い。
「どうされたのですか、アザミ様?お茶菓子でしたら、今しがた要望されたクレープを用意しましたが」
物に不備があるようには思えない。アザミ様のために、最高級のクレープを用意した。
「…塩気……塩気だ。この後は、環千無と3人の女によるイチャイチャタイムが始まるのだろう?そんな展開、甘いものを口にしながら平然と見ていられるものか」
なるほど。
確かに物語の状況は、修羅場と見せかけてイチャイチャする、というラブコメ展開に繋がりそうです。
「申し訳ありません、アザミ様。ただいま、要望されたポテトチップスを用意することが出来ません。そのため、甘い展開をご覧になりながら、甘いクレープを召し上がるしかないのです」
嘘です。簡単に用意できます。
「うーむ、ならば仕方ないか。もしかしたら、桜木命が泣き出すくらいの修羅場にはなってくれるかもしれんしの」
おそらくかなり低い可能性にすがり、納得するアザミ様。
そして、先ほど用意したコーヒーの最後の一杯を飲み干し、私に向かって手招きする。
意図を理解した私は、配膳台から最高級の紅茶が入れてあるポットを手に取り、アザミ様のもとへ向かう。
「紅茶を注いだら、その椅子に座るがよい」
アザミ様が指すのは、自身と正対する位置にある椅子。
つまり、またもやあの時間を始めようということです。
私は「かしこまりました」と返事し、大人しく指示された椅子に座る。
「さぁて、それでは質問タイムといこうではないか」
空気が一変する。
私はこの空気が苦手だ。我が主の意図を全て読み取る必要があるから。
でも好きだ。私と我が主が、対等な位置で戦うことが出来るから。
「まずは最初の質問だ。【鬼塚笑愛は、環千無と桜木命に真実だけを述べた】」
「【いえ、環千無が気づいたように、嘘を混ぜています】」
「ふむ。この質問ははぐらかすかと思ったのだがな…。では、【ここまで出てきた雫の一文字に、本人の申告と違うものが存在する】」
「【そのようなことはありません。壊、無、癒、剣、妄。この5つの文字は、藤田大和、環千無、鬼塚笑愛、神崎凛、引田桐人のもので間違いありません】」
「前回と打って変わって、今回はきちんと答えてくれるではないか。…ではこの流れで、この質問にも答えてもらえるかの。【これまでに使用された雫は、今挙げられた5つのみである】」
「【答えられません】」
「…であるか。どこに引っかかったかの~?雫持ちが多数いることは分かっておる。当然これまでに他の雫が使用されていてもおかしくないだろうに…」
アザミ様がおっしゃっていることはもっともだ。むしろ私も、アザミ様を飽きさせないためにもっと答えるべきなのだ。
それでも、我が主のために、答えるわけにはいかないのだ。
「…では、次の質問に移ろう。【神崎凛が語った過去の話には、彼女の誤った認識が含まれている】」
「被害妄想や虚偽の語りを疑っているということでしょうか?…それには及びません。【神崎凛が語った過去は、彼女にとって全て事実です】」
「…ん?少し含みのある答え方だの?…まあよい。事実であるなら、それは良いことだ」
良いこと?何がお気に召したのでしょうか。
「では、これはただの興味なのだがな…。【環千無は童貞である】」
「は?」
「だからただの興味だと言ったであろう。環千無は童貞なのか?」
「は、はい。【確かに環千無は童貞です。女性と関係を持ったことはございません】」
「そうだよな~。こんな簡単に童貞を失う主人公などいないよな~。…では最後に、1つ質問させてもらうのだがな。………【環千無は、口づけをしたことが無い】」
アザミ様の突拍子もない質問に対して、しっかりと真実を告げた。
その答えに大笑いした後、続けざまにそのような質問を投げかけてくる。
もちろん、私の答えは…。
「どうしてそのようなことを尋ねられるのですか?」
「なに、本当にただの興味さ。童貞ということは、やはりキスも経験が無いのではないか?」
キス、口づけ。一般的には恋仲で行う行為。……事故で行うこともあるだろうか…。
その行為を行っているとすれば、千無にはその相手がいるというわけで…。いるとすれば、それは多少なりとも親しい間柄なわけで…。
桜木命、鬼塚笑愛、そのどちらかであれば、千無が意識していないのは妙に見える。どちらでもない場合は、その相手が誰なのかという話になる。
【この物語で恋は成就しない】。アザミ様はその設定との齟齬を警戒しておられるのだろうか。
「【答え…られません】」
私はそう答え、紅茶とクレープに口をつけることなく、失礼を承知で席を立った。
我が主には申し訳ないが、私はあなたを初めて恨めしく思った。
「引田桐人の殺戮ショー、神崎凛の過去。…藤田大和の事件だけでは退屈だったからの~。とても良い人間の姿を見ることが出来た。この後も、もっと醜い物語を見せてくれるのであろう?」
アザミ様が、困惑する私に、たいそう嬉しそうな声色でそう尋ねる。
とても素敵な笑顔であるものの、狂っていると表現せずにはいられなかった。
これから醜い物語が展開されるのかは、私には分かりません。
しかし願わくば、少しでも多くの笑顔が生まれることを祈っている。
私はそんな儚い願いと、誰にも届かない謝罪の言葉を胸に、アザミ様の空間をあとにしました。
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