第7話 『剣』
大和の襲撃以降、次なる戦いに備え、笑愛との訓練を増やした千無。もちろん結果は、相変わらずの全敗である。
以前冗談のように発した、「これでも昔は色んな戦場に引っ張りだこだったんだから」という笑愛の言葉。それが全くの冗談ではないと痛感するには、十分な実力差であった。
訓練に励んではいるものの、笑愛曰く、雫の力を使っていなければ、他の雫持ちから察知されることはないらしい。普通に過ごしていれば、襲われないということだ。
大和が容疑者として指名手配されているニュースを見るたび、敵も目立つことはしたくないだろうと千無は考えていた。
だからこそ、平日の学生がごった返す大学構内で、的確に自分が雫持ちに襲われるなんて考えてもいなかった。
「2年生?女性相手に失礼だけど、もう少し年上かと思ったよ」
動揺を悟られないよう、場に不釣り合いな返答をする千無。
その心臓の鼓動はなおも早いまま。
その理由は綺麗な女性に対峙したからというものではなく、不意に襲撃を受けたからというものに変わってしまっている。
「どうしてかしら、よく言われるの。…それと、少しは的を射ているわ。私、1年留年しているから」
1年留年して2年生。確かに年齢だけは、千無より1つ上である。
しかし逆に、それだけの差で大人な雰囲気を醸し出しているということだ。その事実に自分の矮小さを痛感する千無。
(こんな俺に、あんな女性が近づいてきたんだ。周りの恨めしそうな目も頷けるな…)
件の女性と当たり前のように会話している千無は、なおも突き刺さっているはずの視線を探す。
そして押し寄せる強烈な違和感。
「他の…人たちは…?」
誰もいない。
さっきまでうるさいほどの歓声を上げていた女学生。下心丸出しだった男子学生。休み時間で学生がごった返していた広場に、人が一人もいない。
リンが手にしている刀を怖れて避難したにしては、近くの棟や食堂の中にも気配を感じない。
「余計な人間を真剣勝負に招待するわけにはいかないでしょ。ここにいるのは、私とあなただけ」
リンの能力『真剣勝負』は、指定した人間だけの戦闘空間を切り出すもの。
この能力があるからこそ、あれほどの人前でも襲撃することを可能にした。
斬り出すと言っても、物騒な話ではない。
さっきまでそこにいた学生は、元の空間で当たり前のように広場を歩いている。リンが現れたことによるどよめきも忘れ、各々が普段通りの行動を取り始めている。
そんな彼らの姿からして、記憶もいくらか切り出されたのかもしれない。
「同じく神都大学2年の環千無だ。なぜ一般人の俺を襲う必要がある?」
自己紹介を返すとともに、虚言を混ぜる千無。
「そんな嘘でごまかさない。…私は数日前に、雫の力を感じてこの広場を訪れているの。…そこに、女の子を心配するようなあなたの姿があった。あの男に殺されるかもしれないのに、よくその手綱を手放せるものだと感心したわよ。……自分の力に自信があるようだから、まずはあなたを襲わせてもらったの。…分かったかしら、アオイの雫、『無』の雫の環千無くん?」
つまりリンは、数日前の、藤田大和が作り出した惨劇の現場にいたのだ。あの現場にいた雫持ちなら、千無も同類だと容易に判断できるだろう。
さらに、藤田大和を標的に入れてないのは、彼がアザミの雫持ちであると理解しているということ。
リンは千無に比べ、この戦いの事情を理解しているのかもしれない。
そんな彼女の、自信満々の表情から放たれた指摘。これにより、千無が次に講じるはずだった、「アザミの雫持ちです」という虚言までも封印されてしまう。
「…ちなみに、私の雫は『剣』よ。あなたの雫だけ知っていても、不公平だものね」
「そりゃ…ご丁寧にどうも」
おごりと呼ぶには、あまりにも確固たる自信。素人の千無ですら、リンが剣に精通していることを、容易に感じ取ることが出来る。
雫の一文字は、その剣の腕に起因しているのだろう。
千無はリンの真剣に対し、一般的な傘を右手に生成する。
日頃から雨上がりの日に、傘を剣に見立てて妄想していた。そんな理由から生み出した、頼りなくも馴染み深い武器。
ただ一つ違うのは、この傘が、無理を通していること。
「あんたを傷つけたくはない。…でも、そっちがその気なら、その綺麗な肌にあざを作るくらいは覚悟してくれよ」
「っ!!………そっちは、四肢を切断されるくらいの覚悟が必要かもしれないわね」
千無の言葉に多少の動揺の色を見せつつも、強く地を蹴るリン。
最小の力で浴びせてくる無数の剣撃。それを千無は、傘によってわずかに急所を逸らす。
しかし、素人の戦いが通用するはずもなく、切り傷が体中に生じ始める。
リンの猛攻は、その痛みに顔を歪める隙すらも与えない。
数回の激しい打撃音を響かせると、二人の距離が開く。しかしその直後には、距離を詰めての無数の剣撃が浴びせられる。
戦意を徐々に削ぐかのような乱舞の中、リンが一転して、上段の構えを取る。傘の妙な耐久性に痺れを切らしたようだ。
上段からの振り下ろしに傘を合わせることで、リンの動きを止める千無。
力を逸らし、大きく距離を取る。
「意外ね。そのふざけたものごと切り伏せるつもりだったんだけど」
「お生憎様。…この傘を切るのは『無理』だよ」
「ふーん…。それがあなたの能力ってわけ。…でも、覚えておくといいわ。無理を通すことが出来るのはね、そこに常識や理論という枠組みが存在するからなのよ」
「…ああ、確かに神崎さんの言うとおりだ。俺は、常識の中で言葉遊びをしているに過ぎない。……でも、その常識の中で生きている俺たちが覆せない理論だからこそ、『無理』なんじゃないのか?」
その言葉を聞いたリンが、優しい笑みを浮かべる。それに反して、瞳に灯される強い意志。
怒り、憎悪、嫌忌、そしてその奥に潜む後悔。その堪えきれない感情が、形と温かさを持って頬を伝っていく。
その綺麗な顔を、自分自身で醜く汚していることを、彼女は自覚出来ていない。
「だから…だから私たちは!雫の力でこの世界を変えるんじゃない!」
今までと違う、明らかな殺気。恐怖の感情が千無の顔を引きつらせ、膝を震わせる。
だが、千無を包んでいるのは、殺意に対する恐怖だけではない。
その心に、不思議と余裕が存在する。
千無の中に生まれている、この感情は――
「こんな世界で普通に生きてきて、『無』だなんて雫をもらうような人に、私たちの…私の苦しみなんて分からない!」
――同情。
リンの必死の叫びを聞いた千無は、自身の中に芽生えた感情を理解する。
「『言語道断』」
興奮が冷めぬまま息を整え、静かにそう呟いたリン。
刀を構え直し、再び剣撃乱舞の幕を開ける。
千無に存在するのは、何とか受けきるという選択肢。先ほどと同じように傘を構え、攻撃を迎える姿勢を取る。
リンが駆けた。
勝負は一瞬。
防御手段を失った千無が、リンの剣撃を受けきるのは無理な話。
リンの刀と交わった、交わるはずだった千無の傘は、有ろうことか、いとも容易く切断されてしまった。その姿こそが、当たり前だと言わんばかりに…。
千無は、血が吹き出る自身の左肩を押さえ、先ほどまでより深い息を漏らす。
「『言語道断』。対象の前提条件を否定し、断ち切る能力。…その傘を生み出した能力には、かなり効くんじゃないかしら?…この能力がある限り、あなたの中の道理なんて通用しない」
自身の握る刀の切っ先を、未だ痛みに慣れていない千無に向ける。
確かに千無の『無理難題』は、言葉や表現の違いで、無理を創造する能力だ。それを否定されては、無理を通すことが出来なくなる。
「私はこの雫で、この世界の全ての男を切り伏せる。…女性が笑顔で過ごすことのできる世界を作り出す」
「………は?」
未だ続く痛みのためか、その宣言に驚いたためか、千無は思わず気の抜けた返事をしてしまう。
「…しょうもないとでも思ったかしら?…でも、本来の願いって、他人に笑われるものだと思うの。それが嫌だから、ありきたりな願いを自分の本当の願いだと思い込む人が多いみたいだけどね。……その成就のためなら何でもできるって冗談抜きに思える。そして、他人からしたら冗談のように聞こえるもの。…そんな願いに、あなたは出会えているかしら?」
リンの言葉に、人の想いについて自分の枠組みだけで判断してしまったことを恥じる千無。
願いのためなら人は、無意識のうちに醜くなれる。時には人だって殺すことが出来る。
そんな簡単なことを、千無はこの短期間の戦いの中で、しっかりと目にしていた。
「確かに俺は…恵まれて…生きてきたんだと思う。神崎さんの言うような…本来の願いってのも…思いつかない…。だからこそ…『無』の雫…なんだろうしな…」
歯を食いしばって痛みに耐えつつ、リンに向けて言葉を紡いでいく千無。
後半の言葉は自虐のためか、多少の弱々しい笑みがこぼれてしまう。
「でも俺は…自らの願いのため…誰かを傷つけることは…間違っていると…思う」
千無は雫の温かさを手のひらに感じながら、言葉を続ける。
血が流れる左手の温かさとは違う、優しい温もり。
「俺はもう、大切な人を失いたくないから!自分の願いのために、誰かにとっての大切な人を奪っていいはずがないから!」
痛みで途絶えることなく、吠えるように口にした素直な言葉。
言葉を言い終えるとともに、千無の視界が揺らぐ。
その視界では、涙で揺れるリンの瞳を捉えることは出来なかった。
「…あんたの揺らいだ殺意じゃ、誰も殺せないよ」
そのことを、千無は理解していた。同情を感じることが出来た、千無だからこそ…。
千無の言葉が図星をついたのか、リンは涙がとめどなく溢れる目を見開き、声にならない叫びとともに駆ける。
「『無意識』」
勝負は一瞬。
リンの瞬刃が千無に届くことはなく、千無の一撃がリンに届くこともなかった。
2人の動きを止めたのは、リンの眉間に刹那で飛び込んだ、千無の寸止めの傘。
リンの見開かれた目からゆっくりと緊張が解かれていく。
「何で止めたの?こんなに完璧な無拍子なら、私に一撃を与えることが出来た。あざを作るんじゃなかったの?」
「止めたほうが………かっこいいだろ?…こんな場面をアニメで視てから憧れてたんだよ」
「…主人公気取りってこと…?何の苦労も知らない人間が、いい気なものね…」
「いや……主人公なんかじゃねーよ。物語の主人公だったらこういう時、大層なご高説並べるもんだろ。…それで、神崎さんを改心させることくらい出来るだろうからな」
そう言うと千無は、リンに突き付けていた傘を下ろす。それと同時にリンの刀も下ろされる。
「そろそろ梅雨の時期だし、どう?この傘」
その提案に、目線だけで拒絶を訴えるリン。
「自分勝手に、私のことを分かったようなご高説を吐かなかったことだけは褒めてあげる」
その言葉を境に、千無の耳に騒音が流れ込んでくる。
騒音の主は、さっきまでその存在を全く感じることが出来なかった学生たち。
時刻は日の沈み具合から考えても夕方で、あれから1、2時間は経っている。
周りの変化に驚いて、千無が目を離した数秒の間に、リンの姿は消えてしまっていた。
「見逃してくれたと捉えるべきだよな」
千無はそう呟くと、それまで耐えてきた痛みに顔を歪めてしまう。
他の学生から肩の傷がバレないよう移動し、誰もいない講義室で一息つく。
携帯を見てみると、ミコトからの夕食の誘い。
(そういや、夕食を考えてたんだったな。…でも、この格好じゃ心配かけちまう)
結局千無は、ミコトに連絡も返さず、講義室で眠りについてしまった。
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