第6話 『質問』
現在時刻は午後4時。
千無とミコト、笑愛の3人は、激動のひとときを送ることとなった神都大学から移動し、穏やかな朝を過ごした葵ノ木神社に戻っている。
道中は血の付着した服を隠すため、ミコトに千無のジャージを羽織わせて移動した。当然、ミコトも千無も気が気でなかった。
だが、そんな心配を吹き飛ばすほど、笑愛の巫女服が注目を集めたことは言うまでもない。
葵ノ木神社もまた、幸か不幸か人気がない。3人が落ち着くにはとても適している場所なのだ。
疲労の色が見える2人を、神社の社務所へと案内する笑愛。その内部に存在するのは、1LDKの素敵空間。
「多少イジっちゃいるけど、社務所ってのは大体こんなもんよ」
笑愛が以前口にしたその言葉に、露骨なまでの訝しむ表情を見せた2人。
「さて、まずはお風呂に入っちゃいなさい。…その有様なら…ミコっちゃんからかしらね?……なんなら一緒に入っちゃってもいいわよ」
戸惑いと期待が見え隠れする千無。丁寧にお断りするミコト。
ミコトが風呂に入っている間、落胆する千無に笑愛が命じたのは、夕飯の準備であった。
彼女の希望は鍋料理。嬉しそうに、棚の奥から土鍋を抱えてくる。
料理スキルの取得は、一人暮らしを始めた1週間ほどで挫折している千無。そんな彼が、必死に食材を切っていく。
その慌てふためく姿を酒の肴に、大爆笑して少しも手伝わない笑愛。
風呂上がりのミコトにお説教を受けたのは言うまでもない。
一方、入れ替わるように浴室に入った千無は、即座に深呼吸を行う。この行為がバレていたとしたら、笑愛のように説教では済まされなかっただろう。
下着以外は、笑愛のものを借りた2人。笑愛の好意か悪戯心か、千無の登場により、ペアルックの男女の姿がそこに出来上がった。
そんな恥ずかしい状況に千無が気づかなかったのは、脱衣場の戸を開けた時の、豆乳鍋の優しい香りのせいだろう。
笑愛は、既に3本目となる缶ビールを用意し、鍋の前で子供のようにはしゃいでいる。
待ちきれない笑愛を苦笑いしながらなだめるミコト。千無を見るなり、恥ずかしいような安心したような表情で隣を空ける。
「「「いただきます」」」
笑愛の声がひと際大きいながらも、揃っての食事のあいさつ。
笑愛が夢中で自分の器に鍋をよそうなか、千無の分をミコトが代わりによそっているのでは、家主が誰か戸惑ってしまう。
しかし、遠慮なしに4本目の缶ビールを開ける姿は、やはり彼女を家主だと認識させるには十分だった。
そのまま5本目のビールをハイペースで空けた頃、千無が箸を置く。
笑愛の記憶が確かなうちに質問したかっただけで、大酒飲みの笑愛の体調を心配したわけではない。
「笑愛さんが酔ってしまう前に、俺の質問に答えてもらえますか?」
「この程度じゃ酔ったりしないわよ~。…ま~いい感じに~お腹も膨れたし~質問タイムを~受理しま~す!」
その態度に危うさを覚える千無とミコト。
笑愛は酒が好きなくせに、とても酔いやすいのだ。しかも、日によって酔い方が違うため質が悪い。
まあ結局どの酔い方だとしても、素面の者にとっては、迷惑であることに変わりはないのだが…。
まだ気分が高揚しているだけかと、ミコトに目配せで確認する千無。
その意図を察したミコトが、冷蔵庫の奥に忍ばせていたノンアルビールを持ってくる。
「おっ!さすがミコっちゃんは気が利くわね~」
気遣いという名の策略に全く気付かない笑愛。慣れたもので、心が痛むこともない千無とミコト。
ノンアルビールを一口飲んだ笑愛が、呑気に大口を開けてあくびする。
「…じ、じゃあまずは、『雫』って何ですか?どうして俺はそんなもの持っているんですか?」
このまま眠気を訴えられても困ると、矢継ぎ早に質問する千無。
それと同時にミコトは、布団を笑愛の視界の外で準備し始める。その慣れた手つきは、この社務所ホテルの従業員のようだ。
「『雫』っていうのはね~神様から授かった力よ~。神様の恵みってのが雨や水を連想させるでしょ?…授かったのは~少し前の~春休みの時期よ~。覚えてる?」
相変わらずの脱力した口調で、楽しそうに答える笑愛。
春休み。千無が大学生になって初めての春休みは、2ヵ月のほとんどを無為に過ごしていた。
たまにはミコトと出かけ、笑愛と世間話をしていたものの、神様に力を授かるなんて大層なイベントは存在していない。
(友達も…いないしな~)
そんな千無の悲しい現実は、すぐに思考の端に追いやる。
「すいません。どんなに思い出してみても心当たりがありません」
「…そう。…あのアオイまで忘れてるなら…――のことなんて……」
笑愛は悲しそうに、それでいて懐かしむように言葉をこぼす。
いつの間にアルコールが抜けたのか、口調がマシになっているようにも感じられる。
「そ、そのアオイって誰なんですか?藤田大和が口にしたアザミやどっち側ってのと関係あるんですか?」
「…いい線いってるわ。…アオイとアザミってのは、さっき言った神様の名前。この2人の神様が、それぞれに雫を人間に与えたの。…昼の彼が言っていたどっち側ってのは、どちらの神様から雫をもらったのかってこと」
「何で、そんなことを気にするんですか?」
「…この戦いが、いわゆるチーム戦だからよ。…アオイチームとアザミチームってとこかしらね」
つまり、アザミに雫を与えられた藤田大和はアザミチーム、アオイに雫を与えられただろう環千無はアオイチームということになる。
「チーム…戦…?勝利チームに何かあるんですか?」
「どうかしらね…。その辺のことはアオイから聞けてないの。…でも、事実としてアザミチームは動き出している。昼の彼は少し違うけど、イケメン探偵君なんて明確に敵視してきたじゃない。それはつまり、それだけ勝利に意味があるということなんじゃないかしら?」
勝者に与えられる報酬。
(いったいどんなエサがぶら下げられたら、こんな異能力バトルに参加するんだろうな)
千無は不思議に思った。
隣のミコトは、不思議に思うことすら出来ないようで、助けを乞う視線を千無に向けていた。
ミコトへのアフターフォローを意識しつつ、千無は重要な質問を投げかける。
「ミコトの…ことと、ここまでの知識から考えて、笑愛さんは雫持ちだと思います。…どうですか?」
「…勿体つける理由もないわね。…私の雫は『癒』よ。雫の一文字は、その者の願いに反応する。心優しい私には、うってつけでしょ」
そう言ってニッコリと笑う笑愛に、苦笑いを返す千無。
『癒』の一文字が与えられる願い。そんな願いを胸に秘める心優しい人と、自分の目の前にいる笑愛の姿がどうしても重ならない。
しかし、笑愛の能力が治療系であることは確かだろう。ミコトを生き返らせるなんて、治療系の能力か、時間逆行や過去改変のような能力でない限りあり得ない。笑愛はその前者ということだ。
「だったら、俺の『無』ってのはどういう理由からなんでしょう?」
「……願いが無かった、とかじゃない?」
少し考え込むそぶりを見せた後、それっぽい理由を述べる笑愛。
その答えに対して、千無は素直に納得することが出来た。
神様から「願いは何ですか?」と問われても、普段の自分が、具体的な願いを思いつくはずがないと感じていたからだ。
「…話の流れからすると、俺たちはアオイチームってことみたいですね。当面はどうするんですか?…雫持ちを見つけるのはいいですけど、探した相手がアザミチームだった場合、戦いを挑むのは正直怖いです…。まずは、情報収集でアオイチームを探して……」
「その必要はないわ」
その力強い言葉に、千無は年上の女性の余裕を感じ、安心感を得ずにはいられなかった。
「アオイチームは、これで全員だから」
この言葉を続けて耳にするまでは…。
それから3日経った午後の講義。
千無は、お気に入りのシガレットチョコを咥えながら、あの夜の笑愛の言葉を反芻していた。
その後の内容を要約すると、1つはアオイのトラブル。これにより、アオイは雫を多くに与えることが出来なかったということだ。
そのため、アザミチームの大人数を前に、たった2人で立ち向かうという構図が出来上がっている。
しかも、笑愛が治療系能力のため、戦闘は実質千無1人なのだ。
次に笑愛の能力。
笑愛の能力は万能ではないらしく、ミコトのような例を二度は難しいだろうとのこと。
最後にこれからのこと。
当面は普段通りに過ごしていいということだ。大和の例が特殊で、何もなければ千無やミコトが狙われることはないらしい。
昨日の笑愛の話はこんなところだが、千無は正直なところ、その話の全てを信用してはいない。
それは、笑愛が時折見せていた辛そうな表情から、容易に判断できたこと。
しかし、その辛くも優しい嘘が、自分とミコトを思ってのものだとも、千無はしっかり感じ取っていた。
一通りの話の再確認を終えた千無は、いつの間にか消されそうになっている板書を慌てて書き写す。
結局、ボーっとしては慌てて板書をノートに書き写す繰り返しだけで、講義が終わってしまった。
講義を終え、帰り支度を始めると、目の前の学生が友達同士で集まり始める。そんな光景に、千無は思わず、嫉妬と羨望の眼差しを向けてしまう。
大学デビューというやつに失敗した千無は、2年生になっても、学生の友達がミコト1人しかいない。1人いれば十分と思うかもしれない。
しかし、彼が毎日一人ぼっちで帰る部屋は、友達と騒ごうと思って借りた12畳のワンルームなのだ。
ミコトは友達が多く活動的なため、余計に寂しさが増していく。
目の前の光景によって、自身の中に芽生えた感情を見ないようにしつつ、千無は講義室からそそくさと退室する。
(夕食はどうしようか…)
昼下がりの活気ある大学構内で、既に夕食を懸念する千無。
その活気とは異質のざわめきを遠くに感じる。
混乱の中心にいるのは1人の女性。学生のように見えるが、落ち着いた雰囲気、整った顔立ちとモデル顔負けのスタイルから、千無よりは年上に見える。
女子からは黄色い歓声が上がり、男子は無意識に彼女を目で追ってしまっている。
何より驚きなのは、そんな彼女が、真っすぐ千無の方に歩いてきていること。
千無は逃げるわけにもいかず、ただただ彼女と見つめ合う形になってしまっている。
(どこかで…会ったような…)
そんな使い古された口説き文句が思い浮かぶほど、気分が舞い上がってしまう千無。
目の前の女性は、お互いに手を伸ばせば届きそうな距離まで歩いて詰め、見た目通りの透き通った声でつぶやく。
「『真剣勝負』」
完全に油断していた千無も、その言葉を聞くなり、雫を手のひらに宿し女性と距離を取る。
「初めまして…になるのかしらね。神都大学文学部2年、
女性は両手で握る刀を下ろし、凶器を手にしているとは思えないほど、優しく自己紹介をした。
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