第4話 『無意識』
無意識。意識が無い状態などと説明されるそれは、人の行動の約97%を占めると言われている。
そんな馬鹿な、と思う人は自身の癖や勘という無意識行動を省みてほしい。
寒い地域を訪れると、無意識のうちに身震いして体温の上昇を図る。同じ生命活動から考えると、息をするというのは最も代表的な無意識行動といってもいい。
その他にも、人の説明を聞いている時に頷く。これは話し手に対して理解の意思を示すため。
分かれ道で何となく右の道を選ぶ。無意識のうちにそちらが正しいと感じたから。
指の爪を噛む。精神の安定を図ろうとするため。
じゃんけんでグーを出す。なぜか勝てると思ったから。
ここで挙げたのはほんの一例であり、無意識行動は非常に多彩である。行動の理由に関してもニュアンスの差異はあるだろう。
しかし、共通することが一点存在している。
それは、どの無意識行動も、より良い結果を導こうとするために引き起こされているということだ。
千無は雫によって意識を閉ざした。行動のすべてを無意識化においた。
その状態でまず起こした行動が、大和の視界から外れるというもの。
この行動に誰より驚いたのは、千無と対峙している大和だ。
先ほどまでの千無との会話は、なにも本当に談話をしたかったわけではない。
会話によって千無を油断させ、自身の照準の中に入れる。その後に右手を握ることで、千無の身体を壊す。
これが拙いながらも、確実に目の前の千無を殺す方法であった。
事実、千無は意識のほとんどを、ミコトへの想いと大和への殺意に用いており、注意深く大和の行動を観察している余裕はなかった。
その不意を突いた大和の破壊行動。確信通り成功を収めるはずだった。
(どういうことだ?…気づかれてるような感じはなかった。…気づいていたとしても、あんな不格好な状態からあそこまで素早く動けるものか?」
大和の目から見れば、先ほどまで泣きながら後悔と憎悪に歪んだ顔を浮かべていた人間が、何の前触れもなく、自身の不意打ちに対して回避行動をとったのである。
そのため、逆に不意を食らう形となった大和。落ち着いて、未だ次の行動を起こさない千無を凝視する。
そして、恐怖する。
「な…んだよ…その目は…」
千無の瞳に映っていたのは、ほんの少しの敵意を覆い隠すほどの好奇。とても想い人を手にかけた者に向ける目ではない。
大和にとって、今の千無は狂気に囚われているとしか思えなかった。
慌てて千無に照準を定め、右手を握り締めようとする。
それと同時に、またもや千無が素早く駆ける。先ほどと違うのは、大和の方に駆けてきていること。
またも不意を突かれる形となった大和は、回避行動を起こすことも出来ない。
死を覚悟した大和の首に、千無の持つゴムナイフの切っ先が突き付けられる。
ゴムナイフに対して死を感じることは、本来ならばあり得ないこと。しかし、このゴムナイフは千無が無理を通して生み出したものであり、その性能は大和自身が身をもって体感している。
「あんた、そんなことじゃ訓練にならないよ。次はもっと本腰入れてくれないと」
ゴムナイフを首に突き付けながらの千無の言葉に、大和は三度不意を突かれてしまう。
訓練、本腰、言葉の意味が理解できない。
先ほどまで、自身に対して殺意をこれでもかと向けていた人間が、これは本番ではないと言っているのである。
「なんとなくで分かったよ。あんたの破壊は、目と右手を必要とするんだろ?」
千無は大和の首からゴムナイフを離し、距離を取りつつ口にした。
(なんとなくだ!?そんな理由で、俺の能力が分かんのか?)
大和の能力を暴いた千無の能力。大和に与えられた『無』の雫であるという情報だけでは、到底推測できなかった。
しかし、それは当然のことである。
能力を行使した千無自身さえ、自分の能力がもたらす光明を予測できていなかったのだ。
千無にとっては、殺意を閉ざすためだけに行使した能力。それによってもたらされた『無意識状態』。
つまり今の千無は—――
「不思議そうな顔してどうしたんだ?早く続き始めようぜ」
―――『何となく』で最適な行動を選択し、殺意なく戦っているのだ。
(能力に関してはいまいち掴みきれていないが、こいつが訓練だというなら、俺は本番のつもりでやらせてもらうか)
能力の推測は半端に、改めて千無に敵意を向ける大和。
その状態を確認した千無は素早く動き、大和の視界から逃れ続ける。
雫持ちの人間は、その特異な能力に耐えられるよう、ある程度の身体強化が行われている。
だが、それをフルに活かした千無の動きは、本来なら身体が悲鳴を上げそうな速度である。
耐えられているのは、身体強化だけでなく、感情を閉ざしていることにも起因しているのだろう。
速度を緩めることなく、ゴムナイフで大和を切りつけていく千無。その手に握られているゴムナイフは、間違いなく本物。
千無にとって、ゴムナイフを握る戦いは、全て訓練なのである。
それを証拠に、先ほどまで殺すことに躊躇いを訴えていた千無が、平気な顔で大和に向かっていく。その狂気の沙汰は、殺される覚悟まで失っているように映る。
「チッ…調子乗ってんじゃねぇぞ!」
千無の猛攻に防戦一方となっていた大和は怒号を放ち、向かってくるナイフが鼻先をかすめる間一髪で避ける。
それと同時に、居場所を失った千無の右腕を左手で掴む。
「なんとなくであれ、右手に関してはお前の推察通りだよ。だが、左手の能力に関しては分かるはずないよな」
千無の右腕を左手で掴みつつ、大和が不敵に笑う。
千無の表情からは、相変わらず感情を読み取ることができない。
「…悪いな。『木端微塵』だ」
大和が口にすると、千無の右腕は、ジャージの袖ごと跡形もなくなる。
千無が右手で握っていたゴムナイフは、金属音を響かせることなく地面を転がる。
「本当は身体ごと破壊しようとしたんだが、調整を誤ったか。…どうした?苦痛を忘れる能力なのか?」
大和が疑問に思うのも無理はない。千無は無くなった自分の右腕を見つめながら、何の反応も示さないのだ。
業を煮やした大和が、今度は身体全体を破壊しようと、千無の右肩に触れようとした時、重要なことに気づく。
「お前……血は?」
千無の右肩付近には血が一滴たりとも付着していなかったのである。思い返せば、破壊した際も全く血が出ていなかった。
それでも、千無の肌の感触は存在していた。破壊した手ごたえも確かに存在していた。
「『どうした?』はこっちの台詞だよ。いつまでそこの偽物を眺めているんだ?」
大和の後方から声がする。
だが、大和は振り返らない。声の主を確認しない。
大和の目の前にいる千無を、偽物と呼ぶ者の正体を確信していた。
「いつから…入れ替わっていたんだ?」
大和が後方の存在に問いを投げる。
その声は震え、明らかな動揺の色が滲んでいた。
「いつからってなると……ついさっき、かな。左手を意識する回数が増えていたし、どう見ても追い込まれている人の表情じゃなかったからな」
無意識に大和の違和感を察知した千無は、激しい動きの中で、自分の『代わり』と入れ替わったのだ。
「そいつは分身ってとこかな。よく出来てるだろ?…前にどこかで見たのを思い出してな」
しかし、疑問が生まれないだろうか。
どうして環千無は、雫を手にしたばかりで、ここまで能力を柔軟に行使できるのだろう。無意識状態であれば、ここまで最適解を出せるものなのだろうか。
そんな単純な疑問さえ、今の大和には浮かばない。
「さっきまでは、確かに訓練だと思ってたんだけどな。あんたから向けられたのは、明らかな殺意だった」
その千無の言葉には、さっきまでのような好奇の色は存在していない。
その急激な変化と、自身に向けられる初めての明確な殺意に、大和は初めて千無を振り向く。
だが、反射のように振り向いた動作を最後に、あとは尻込みすることしかできない。
地面に落ちているものとは違う、金属色のナイフを千無は生み出し、強く握りしめる。
「ヒッ…ぐっ…く…」
まともな言葉を口にすることが出来ないほどたじろぎつつも、少しずつではあるが後退する大和を睨み、千無は足に力を入れる。
明確な殺意で喉に焦点を絞り、駆け出す。
「ヒッ…やめ…やめてくれーーー!」
大和の悲鳴を聞いた千無は、体重が後ろに移動し、速度を急激に落とすこととなった。
それは、大和の悲鳴を聞いて躊躇いが生まれたからではない。背後から何者かに抱きしめられたからである。
千無は背後を振り向き、驚きの表情を浮かべる。
なぜなら、そこに立っていたのが、最も予想していない、出来るはずのない人物だったからである。
桜木命。
死んだはずの人物がそこにいて、千無を強く優しく抱きしめていた。
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