第1話 『破壊』
「んぁ?」
耳障りな黄色い歓声が聞こえ、
中断した朝食は食パンにバター、カット野菜にドレッシング、スクランブルエッグにケチャップ。味気ない食材に、調味料を足しただけの簡素なものであるが、今日の大和にはこれで十分であった。
本来ならば、これからのことに対する高揚感で、食事をしている場合でもないのだ。
それでも朝食を欠かさないのは、母との約束のためであった。
大和は現在二十三歳。背は高く、引き締まった身体に、精悍な顔つき。
学生時代はその容姿で、女子からの人気が高かった。それでも近づく女子がいなかったのは、人を寄せ付けない雰囲気のせいだったのかもしれない。
生まれた時から家は裕福というには程遠く、高校に入学してからはアルバイトをしながら家計を支える毎日。
高校卒業後には、何とか地元の会社に就職できたものの、残業が当たり前。
帰宅する頃に、母の作る夕食が温もりを保っていたことなどない。
残業を断るそぶりを見せると、「高卒のお前に再就職のアテがあるのか?」という言葉と共に、上司の手が肩に回ってくる始末。
せっかくの母の夕食は、仕事の疲れから口にしないことがほとんどで、大和の就職を誰よりも喜んだ母との会話は、就職直後から激減していた。
大和はそれでも欠かさず食事を用意してくれた母を、今でも尊敬している。
しかし同時に、申し訳ない気持ちも強く残っている。
身体が弱いながらも女手一つで大和を育ててくれた母に、何一つ親孝行出来なかったからである。
母の容態が悪化し、入院することになったのは去年のこと。
去年、つまり大和が就職してから5年が経っていた。
相も変わらず上司に残業を押し付けられ、後輩が上司と食事に行く背中を毎日見ていた。もはや反発する気力さえ失われていた。しかし、母の入院費と自身の生活費が必要なため、仕事は決して投げ出さなかった。
病院の面会時間に間に合う時は、必ず母に会うよう努めていた日々。だからこそ大和にとって、母の最期に立ち会えなかったことが何より辛かった。
母の安らかな死に顔を見た大和が浮かべていたのは、涙で汚れた憎悪の表情。それは、同室にいた医師や看護師をひるませるほどのものであった。
しかし翌日、上司に辞表を出した大和の顔は、恐ろしいほどに安らかなものであったという。
「毎日ご飯をしっかり食べて、元気に過ごすんだよ」
結局この言葉が、母の大和に対する最後の言葉であった。
あれだけ必死に続けていた仕事を辞め、無為な日々を過ごしていた大和。
押しつぶされてしまうほどの強い雨が降っていた夜。
大和の運命を変える存在と出会ったのは、そんな夜だった…。
「泣いておるのか?」
不意の問いが大和の足を止める。
そして初めて気づく。いつの間にか辺りの人気が無くなっていることに。
降りしきる雨。見慣れない光景。
そこまで遠出をするつもりのなかった大和にとって、この雨の中、見慣れない土地まで足が進んでいるのは想定外であった。
そして、見慣れない土地で、雨のなか傘も差さない女性に心配されるのは、さらに想定外なことであった。
「そう…見えるのか?」
大和自身分からなかった。
自分の頬を伝う水滴が、空から降り注ぐものなのか、それとも身体から溢れ出したものなのか。
ただ、それが哀しみを表すことだけは理解していた。
「分からぬから聞いておるのだ。いくら人間に近しい存在だとしても、その感情は容易に測れるものではない。むしろ近くなったからこそ、盲目になったということもあるだろう」
まるで自分が人間ではないかのような口ぶり。
深夜に頭のおかしい人と出会ってしまった、と考えるのが普通だろう。
しかし、その認識を些細な事象が否定する。
「なんじゃ?黙ったまま私のことを見つめて。惚れたのか?……冗談じゃ。大方、この大雨のなか、全く濡れない妾が気になるのだろう?」
雨を避けているのではない。雨が避けているのだ。
何千、何万なんてくだらない量の水滴。彼らが雲となる以前からそう義務付けられていたかのように、目の前の存在を必死に避けていく。
重力や風向すらものともしないその芸当は、おおよそ人の手で再現できるものではない。
自分を痛めつける大雨の中、華麗に佇む彼女に、大和は思わず目を奪われた。
「ふむ。本当に惚れてしまったのか?」
大和の耳に、かろうじて届くほどの声。
呟いた存在が、ゆっくりと歩を進める。
一歩、また一歩。近づくほどに、その存在の異質さが、より強く大和に突き刺さる。
…それでも、恐怖という感情が大和の内に存在しないのは、目の前の存在に、自分と同質なものを感じているからかもしれない。
「惚けているのは勝手だが、それをいつまで続けるつもりだ?母の死に目に立ち会えなかった虚しさを、あやつらにぶつけなくてよいのか?…そなたに全てを被せる、無能なあやつらに」
母親の話が出た途端、大和の目の色が変わる。
憎しみ、哀しみ、怒り。悲劇を目にした者の感情は、大体がそんなものであろう。
しかし、大和の瞳に浮かんだのは、諦めの色だった。
「…いいんだよ。…そんなこと、母さんも望んじゃいない。あいつらをどうしたところで、俺の気持ちは晴れない。何をしても…母さんにまた会うことなんて…できない」
俯きながら、弱々しく発せられた言葉。それは願いにも似た、取り戻せるはずのない後悔。
雨の冷たさが、俯いた大和の肩を震わせる。
「…後悔。人の願いの、最も大きな原動力。…分かっては…いるのだがな…。ふっ…万能の神が、聞いて呆れる」
そう言って彼女は、口の端を吊り上げただけの笑みを浮かべる。
その嘲笑は、明らかに自分に向いていた。
後悔を救えない。そこに、彼女の感情の理由があるのだろうか。
「すまんな、少々独りごちてしまった。…まあ、つまりな…。妾にはそなたの後悔を救済することは出来ぬ。しかし、未来の後悔を救うことは、そなた自身の決断で可能かもしれないのだ」
大和の肩が震える。
「ん…違うか。――—―でもここまで回りくどい言い回しは…。つまりはだな、そなたと同じ苦しみを味わう者を、救うことが出来るかもしれないということだ」
大和が拳を強く握る。
「そなたが願えば、誰かのために願えば、この生き苦しい世界を変えることが出来るかもしれない。そう願うことが出来るくらい、心優しく育てられただろう?」
大和が顔を上げる。
目の前の存在を見据えるその瞳には、もはや諦めの色は滲んでいない。臆することなく、確かな意思を静かにぶつける。
「馬鹿みたいにはしゃいでんじゃねぇよ」
大和はテレビから聞こえる歓声に向かって悪態をつく。
今のテレビの話題は『イケメン超能力探偵 またまた大手柄‼』である。
話題の張本人の名は
どんな難事件も容疑者と接触するだけで新たな証拠を浮かび上がらせることが出来るといわれ、その容姿から女性に絶大な人気がある。彼が解決した事件はこの二カ月ほどで百件を超えるらしく、その推理力の高さが伺える。
超能力というのも、彼の推理力の高さからマスコミが面白おかしく例えたものであるが、ずばり的を射たものであった。
「悪を成敗して、周りからはチヤホヤされて、世間知らずがヒーロー気取りってか」
ヒーローの定義は分からない。
大和が今から行おうとしてることは、悪なのかもしれない。
それでも大和は、大和だけは迷わない。
その行為が、誰かのためになると分かっているから。
「俺も今日からテレビデビューだろうな。…遠いとこから見ておけよ。本当のヒーローの行いってやつを」
テレビヒーロー宣言を口にした大和は、食べ終えた朝食の片づけを行い、外出の支度を始める。
行先は神都大学。県外でも有名な、地元の国立大学である。
大学受験さえ受けていない大和にとってはあまり縁のない場所であるが、自身の出発点はここであると決めていた。
「いってきます」
誰もいない部屋にそう残して外出した二時間後、大学構内には無惨な6つの死体が転がった。
大和が家を出てから一時間、電車とバスを乗り継ぎ、神都大学構内に到着する。
神都大学は日本の中でもかなり広い敷地を持ち、数多くの施設と万を超える学生を容易に収容している。建築からそれほどの年数が経っていたいため、校舎もいまだ真新しい。
さらに緑化活動も盛んで、構内には木花が多く存在している。そのため、とても清々しく綺麗な空気に包まれているように感じられる。
しかし、感じるのはそれだけではない。
大和の肌に届く構内の活気。現在時刻と合わせて、大学の時間は昼休憩のようだ。
先ほどまで行われていた講義が退屈だった学生は、机に触れていた額が赤くなっており、寝ぼけ眼をこすっている。また、購買で購入した弁当を手に、どこかの講義室に向かう学生達の姿も見られる。
ふと購買横の食堂に目を移すと、食堂前の広場まで延びる学生の列。長時間待たされることが容易に予想できるにもかかわらず、去っていく学生の姿がないのは、食堂の味のためか、切羽詰まった学生の懐事情のためか。
少なくとも退屈なことに代わりはないようで、近くの学生と話しながら暇をつぶす者の姿が多く見られる。
大和はその光景の中でも、ひと際耳につく声の集団に目を向けた。
「お前、今日の一コマさぼったろ?」
「いいんだよ。代筆頼んだから」
「駄目だよ。単位だけ貰えたら良いみたいな考えは…」
「そういうお前だって、先週代筆頼んでたろ」
「あの教授は身体売れば単位くれるらしいよ」
男女五人が集まり、講義の単位や出欠について談笑している。
高い授業料を無碍にする行い。にもかかわらず、周りに聞かせるかのような大声。
周りの人間にも、彼らと同じ思考の持ち主がいるのだろうか、と大和は考える。
「マシな姿を見られたら少しは考えを改めることもあっただろうにな」
いや…どちらにしてもそんなことはないか、と大和は自身の甘い考えを、自嘲気味な笑みを浮かべながら否定する。
そして、先ほどから騒がしい集団の、中心人物のような男に照準を合わせ、開いた右手を重ねる。
「『壊』」
呟き、右手を握り締める。
訪れる一瞬の静寂。先ほどまでの喧騒が嘘のような刹那。時が止まったと錯覚するような静けさの一瞬後。
「キャァァアァァアアーー‼」
誰ともなく発した轟く悲鳴、伝染する恐怖、狂気。
赤赤赤赤赤赤赤赤赤…。
先ほどまで楽しく話していた集団の一人が、何かにつぶされたような肉塊へと変化しており、その近くにいた学生は大量の血を浴び呆然としている。
無関係だった者もどうしていいのか分からず、呆然とするか、無意味な悲鳴を上げるばかり。
教授や店員の中には、どこかに連絡している者もいるようだが、事態の異常さからまともな伝達が出来ていない。
大和が視線を移すと、スマホで写真を撮影している女学生が見えた。
「次は、あいつにするか」
広場の人間が第一の被害者に注視する中、彼らの注意の外で第二の被害者が生まれる。
悲惨な光景を映していたスマホが吹き飛ぶほどの衝撃で、持ち主の身体が破裂した。
「次はあいつ」
大和は調子もそのままに、リンゴをつぶす感覚で、一人また一人と目についたものを壊していく。
被害者の数が訳も分からず増えていく。広場の人間にさらなる不安が生まれ始め、より狂気の色を深めていく。
六人分の肉塊が出来たところで、その狂気は最も色濃くなったが、大和はそこで破壊行動を抑えた。
狂喜の笑みを浮かべつつ、狂気の中心、広場の中心に歩を進めようとする。
だが、彼の歩は止まる。
背後からの、震えながらも必死に絞り出した大きな声。
他の学生の叫び声となんら変わらないその声に、聞こえるはずのない、母の想いが包まれているように大和は感じた。
「もう…やめてよ!犯人がいるならここにいるんでしょ!?おかしいよ。これ以上……殺さないでよ!!おねがぃ…ヒック…します…」
言葉を発した女学生はよほどの勇気を必要としたのだろう。最後の方は涙声が混ざり、か細いものとなってしまっていた。
しかし、大和以外には誰一人届いていないだろうその声が、大和に1つの疑問を生じさせる。
(犯人?何言ってんだ?)
大和にとってこの行為は正義なのだ。
自分のように、誰かの身代わりになってしまう人間を想う、利他的行い。
母親のような、我が子すら死に目に立ち会ってくれない人間を憐れに想う、同情的行い。
(母さん、分かるだろ?俺は、誰かのために頑張ってんだよ…)
今も大和の耳に鳴り響く幻聴。自分の行いに対する迷い。
大和はその両方を断つために、彼の足を止めた女学生に開いた右手を重ねる。
一瞬、その女学生と目が合う。
とても澄んだ真っすぐな視線を向けてくるな、と大和は感じた。
「ごめんな。…こんな理不尽な破壊は、あんたで最後にするからさ。…必ず、こんな理不尽な世界、俺の手で壊してやるからさ」
強く右手を握りしめる。
同時に、大和が閉じた右手の先にいた女学生も、先ほどまでの学生たちと寸分違わぬ肉塊へと変化する。
もはや新たな肉塊が生まれたところで、驚嘆の声を上げる者もいない。
大和は肉塊の中で赤く染まった服を遠めに眺め、人だった時の彼女の姿を思い浮かべた。
可愛らしい装飾の服、自然なものに仕上げつつも、恋慕の情が滲みだしていたように思えるメイク。
(もしかしたら、大切な人と会う予定でもあったのかもしれないな)
その大切な人にも、出会えなかった彼女にも、自分たちと同じ気持ちを味合わせているのだと、大和は理解している。
だが、後悔はない。
必死の訴えにより止められた歩を再度進め、広場の中心に向かう。
そこで声高らかに、世界変革の宣言をするつもりだった。世界の常識を壊すつもりだった。
広場の中心にたどり着いた大和は、周りを見渡す。
ひどい惨状。世界変革の宣言とやらを耳にするはずの聴衆は1人もいない。
それでも発声のために息を吸い込む大和だったが、ふと、最も新しい肉塊の方に目を向ける。そして、怪訝な視線でその方向を注視する。
肉塊の近くには、涙を流す男子学生と巫女服姿の女性。
男子の髪は白髪交じりの黒髪で、黒のジャージを上下に着用している。そのジャージに血が滲むことも気にせず、へたり込んで泣きじゃくる彼に向かって、巫女服姿の女性が何やら叱咤している光景。
その惨めな男が、さっきの女学生の大切な人であると、大和は理解する。
(前言撤回…かな。天国のあの子のためにも、お前を同じ場所で、同じ姿にしてやるからよ)
そう呟き、大和は注視している男子学生に照準を合わせる。距離が少し遠いためか、そもそも初めての能力行使のためか、先ほどまでのように上手く調整できない。
ぶれる指の隙間に、標的の姿が見える。
そして大和を襲う違和感。
へたり込んでいた男子学生が立ち上がっていた。
その視線は、確実に大和を見ていて、手には何かを握っている。先ほどとは、雰囲気も変化しているように感じる。
大切な人を失うことと、大切な人が奪われることでは、残された人が感じるものは違う。前者であった大和には、後者の恨みの強さが測り切れていなかった。
マズい、と大和が何かを感じ取り、右手を下ろそうとした時、その右手に、真っ黒なゴムナイフが突き刺さった。
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