第9話 港町とロロ・3
「お待たせ~。ごめんね、時間かかっちゃって」
ロロさんが自室のある二階から降りてきたのは、メルが眠ってから十分も経たないうちだった。
「飲み物を用意しようと思うんだけど、ヒロトとショッパはなにがいいかな? ちなみに、ココアとミルク、紅茶とオレンジジュースがあるよ」
「僕はココアがいいです」
「ボクはミルク!」
「りょーうかい。あら、猫ちゃんは眠ったのね」
「ちょっと、追いかけっこが疲れたみたいで……」
「ああ、そりゃそうね。あの漁師さん、普段はとっても優しいんだけど、魚を盗む奴は絶対に許さないって人だから」
それはまあ、仕方ないだろう。
漁師さんは、冬の間は漁に出ないので、両親と奥さんが経営している鮮魚店で働いているのだとか。
その店の魚はどれも新鮮で活きがよく、あの界隈の猫たちには人気で、ドロボウ猫たちは週一で魚を盗みに行くという。
毎回同じ猫というわけではなく、毎回違う猫が盗むと言うのだから、漁師さんが怒るのも仕方ない。
「はい、お待たせ。ヒロトはココア、ショッパはミルクね。猫ちゃんは、起きた時でいいか」
ロロさんは、僕とショッパの前にそれぞれココアとミルクの入ったマグカップを置くと、僕たちの向かい側に座った。その近くには、ロロさんのココアが入ったマグカップが置かれている。
ちなみに、僕たちとロロさんの間――真ん中には、いろいろなお菓子が入ったお皿が置かれていた。
「好きに食べていいよ。パパが勤務先から送ってきたんだけど、多すぎてママと二人で食べるには多すぎてさ」
困ったように笑うロロさんに甘えて、僕とショッパはお菓子に手を伸ばした。
うん、おいしい。
僕が食べたのは、小さく切られたバイムクーヘンが個包装されたお菓子。ショッパは、梅しそせんべいを食べている。
梅しそって、なかなか渋い好みだな。
「それじゃあ……、なにから話せばいいかな? アカリと出会った日?」
「あ、そこからお願いします」
「分かった。あ、私が話している間も気にせず、お菓子は食べていていいからね」
僕とショッパは、ロロさんの言葉に同時に「はーい」と返事を返した。
その日は、天気は悪かったけど、まだ雪が降っていなくて散歩に出かけていたの。山のほうは、降っていたみたいだけどね。
ここは港町だから、冬になっても活気があるわ。漁に出る船は多いとは言えないけれど、今年はいいタコやイカが捕れるから、漁師さんたちは大喜びね。
それと、この町は交易拠点の一つでもあるから、輸送船がよく出入りしていて、先月はクルーズ船もやってきたの。ここら辺は観光に向いた場所はないけれど、海の幸と山の幸が両方楽しめるのが売りだから、港町のレストランはたいそう儲かったって話よ。
グルメ観光ってところね。
ああ、話がズレちゃった。ごめんね?
それで……、ぼんやりしながら海岸線を歩いているとさ、川と海が交わる場所で、冬だって言うのに水の中に膝まで入っている子を見つけたの。
ええ、そうよヒロト。その子が、アカリ。
「ねえ、なにをしているの?」
「え、あ……」
話しかけた時には、すっかり体が冷えきっちゃってて真っ青な顔をしていたから、いそいで水の中からひっぱり出して、家に連れ帰ってお風呂につっこんだわ。しっかり湯船につかるように言い聞かせてね。
……私?
私は二階にあるシャワールームでさっとシャワーを浴びて、アカリが風呂から出てくる前に着替えや飲み物、食べ物に寝床の準備をしたわ。
なんでお風呂が二つあるのかって?
ああ、それはね。パパとママは温泉とか大好きで、湯船につかってゆっくりするのが好きなんだけど、私はあまり好きじゃなくてさ。この家を建てる時に、私用のシャワールームが欲しいってねだったら作ってくれたのよ。
それで、お風呂から出てきたアカリは、顔色はよくなっていたけれど、あまり元気そうじゃなかったわね。
意気消沈と言うか、すっかり疲れちゃってて、ものすごーくオーラが暗かった。どんよりって空気が辺りを漂っていたわ。
「ねえ、なにをそんなに落ち込んでいるわけ?」
「それは、その……」
話を聞いてみると、大切なものを山の向こうでなくしちゃったんだって。
お母さんから預かった大事なもので、それはお母さんがお父さんからプレゼントされた大切なものだから、絶対に見つけなきゃいけないって言ってた。
なんで、そんな物を持っているかってたずねたら、自分をいじめてくる兄弟から嫌われないように、自分を変えるための一歩を踏み出そうとした時に、お母さんがお守りとして持たせてくれたんだってさ。
兄弟からいじめられるって、一人っ子の私には理解できないことなんだけどね。
あ、ヒロトも一人っ子なの?
ショッパは弟がいる?
そっかあ。ショッパはなんとなく、アカリの気持ちが分かるんだね。
「私、それを見つけないと家に帰れないんです」
「それは……、お母さんやお父さんが帰ってくるなって言ったの?」
「ううん。言ってない」
「それなら、早く家に帰って謝れば許してくれるんじゃないの?」
「そうかもしれない。でも、それは私が許せないの! だって! お母さんの大切なものを……、お父さんとの思い出のものをなくしてしまったんだよ? お父さんとお母さんは優しいから、謝れば許してくれるかもしれない。けど、私のために貸してくれたものを、私の不注意でなくしただなんて、そんな……そんなのっ」
アカリは言葉を詰まらせたまま、泣き続けたわ。
本人が絶対見つけるって言うんだから、私はこれ以上なにも言えなかった。
だって、私が言ったって聞かないもの。
だから、まあ……。私はこう言うしかないでしょ。
「それじゃあ、なくし物をした場所に戻ってみたらどうしら。川に落としたって言うけど、そう簡単に流される物なのかは分からないけど、原点回帰は大切よ?」
月の綺麗な夜だった。
満月を過ぎた、少しばかり欠け始めた月は降り積もった雪と揺れる水面を照らしながら、キラキラと輝いている。
「綺麗ねえ」
「綺麗だね」
少し前に眠ったショッパは、「山で見る月も綺麗だけど、海で見る月もいいね」なんて言っていた。
確かに、その通りだと思う。
「明日は、またバス移動になるわね」
「うん。今日より長い時間乗ることになるから、そろそろ寝ないとね」
アカリさんは、すごい綺麗な赤いものを、どうやら川に落としてしまったらしい。
川の流れはそれほど速くなかったようだけど、アカリさんが見た時にはもう、姿が見えなくなってしまったそうだ。
だから、アカリさんは川沿いを歩きながら一ヶ月前かけて、この港町まで来たと言う。
夜通し歩いた日もあるし、優しい人が家に一日から数日泊めてくれたから、衣食住はなんとかなってたんだって。
なかなかたくましいな、アカリさん。
アカリさんは山の向こうの、南美橋のほうから下ってきたそうだ。
そこは、港町までバスと徒歩で六時間ほどかかる場所らしい。徒歩だけなら一週間もかからないだろう。
ただし、アカリさんは僕と同じぐらいの年齢で、スポーツをやっていたからといって、疲れは溜まるのだから、大人のように数時間歩きっぱなしはつらいと思う。
いや、それ偏見か?
でも、山を越えながら川沿いを歩いてきたってことは、平坦な道が続くわけじゃないから、大人よりも時間はかかるだろう。
それに、アカリさんは冬の川の中に入って、なくし物を探しながら進んできたし、途中で風邪をひいて数日寝込んだこともあるとロロさんが言っていたから……。この一ヶ月、アカリさんがどれだけ必死になくし物を探しているのかがよく分かる。
僕がやってきたのは、アカリさんが原点回帰。つまり、なくし物をした場所へ戻った日から二日後だ。
二日のズレがあるとはいえ、港町にいた時のアカリさんは、探し物屋を呼ぶほど困り果てていたということになるだろう。
「アカリさんのなくし物。見つかるといいね」
「見つかるといいね。じゃなくて、見つけるのよ! それが探し物屋の役目なんだから」
うん、そうだね。
それから僕は、メルに腕枕をしながら一緒に眠りについたのだった。
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