空がぼんやり赤く染まり始めるのを見て、電車に乗る。この時間は車内に多くの女がいる。

 席に座ってすぐに目に付いたのは、ドアの傍に佇む、一人の少女であった。背格好を見るに中学生くらいで、あどけない甘えの残るほっそりした顔つきだが、不良少女と言うほどではないにしても、どこか荒んだ感じがある。車窓に流れる町並みに泳ぐ眼差しは、娼婦じみてすらいるほど空虚だ。

 彼女が私の関心を惹きつけたのは、不自然な仕草ゆえだった。時折、思い出したように、首元にさっと手を添えるのである。それが、疲れて揉んでいる風でなく、愛撫するように静かに撫でている。そしてその瞬間にだけ、さびしい表情が、活き活きと澄んでくるのだ。しばらくすると、その手がぶらりと首から落ちるとともに眼もまた昏くなる。

 私はその首元へと目を凝らしてみた。あっと声を出しそうになった。接吻の痕があったのである。赤い痣は初恋のような鮮やかさで私の心を染めた。

 少女が思い出したように首に手を添えるのは、恥じらいのためか、それとも甘い追憶のためか。恐らくどちらでもあるのだろう。また、恥じらいというのも、少女なぞの初心な魂にとっては、接吻や愛撫と変わらぬものだろう。少女の白い頬に薄らと浮かぶ恥じらいに、世間への卑俗な臆病さではなく、恋を繊細に守る純潔をのみ見ようとするのは、幻想が過ぎるだろうか。しかし、その幻想を確実に否定するものも、見当たらないのである。ならばこの幻想を弄ぶことも私のような盲目的な人間には可能なのだ。

 首の証は、男が無理に付けたのか、少女がせがんだものか、どちらであろう。彼女が同じような年頃の少年へ真っ直ぐになるとは思いにくい。赤子のように弱々しくも、そしてまた涼しい目元や唇などが聡明にも見えるから、無知な少年に身を投げ出すようなことはしないだろう。彼らに受け止める力がないことを見抜くだろうし、かといって甘えさせるやさしさもあるまい。とすれば相手の男はそれなりに成熟した者だろう。彼と少女とのまじわりを夢想してみれば、彼女からせがんだという方が、自然らしい。もしかすると、彼女から男の胸へも、接吻の雨が降ったかもしれぬ。

 少女らしい激しさを、この電車の中でさえ、恥じらいによって滲ませる彼女は、しかしなぜ冷たい表情をも持つのだろうか。今夜、男と駆け落ちを企てているなどと、勝手に美しい物語を拵えてみようか。いくら少女とはいえ、いや少女であるからこそ、これまでの世界を捨てることは浮足立つばかりではないだろう。幼い気まぐれである。未来への狂わしいような恋心と、過去への燃えるような愛着とを、薄い胸いっぱいに抱くだろう。私はそんな風に、たった一人でも女に光を与えたことがあるだろうか。考えるまでもないことである。

 川端康成の非常が、私に斯くの如き物語を夢想させるのかも知れぬ。あの小説に書かれた、初心な恋に胸を震わせる少女の姿が、私の中に思い出されてくる。それとともに、あの小説を読み物も言わず涙を流した女のことも、今そこにいるように蘇ってくる。お互いにいつまでも路傍の人間であったが、心中の約束をした女だった。

 いつも寂しがっているような女だった。赤ん坊が乳を与えられなければ生きていけぬように、誰かに愛されていなければ何もままならないらしかった。だから死ぬのにも誰かが必要だった。対して私は、生きたことがないのだから、死ぬ必要もまたなかった。心中は、退廃の生活で気まぐれに思い浮かんだ、戯れでしかなかった。ただ、私の周辺にいる人間が、彼女しかいないだけだった。

 ある日女は、私の部屋の床に転がっていた短編集を、布団の上から動かずに、何気ない様子で拾い上げたのだった。普段から小説なぞまるで読まぬのであったが、文庫本裏の短い梗概をぼんやり眺めてから、ページを繰りだしたのである。

 珍しいこともあるものだと、笑いたいような気もしながら、何を読んでいるのか聞いた。女は、非常、とだけ素っ気なく答えた。初恋の相手にそそのかされて、全てを捨てて駆け落ちした過去を持つ女だった。それで人生を壊してしまった女だった。そんな彼女が、駆け落ちの失敗を描いた小説を読むのを、私はなんとなく危うく感じた。

 女が小説へと入っていくのが、綺麗な横顔から分かり、手持無沙汰になった私は、同じように床に転がる本を手に取った。目もやらずに適当に掴んだのは歎異抄であった。先ほどまで傍にあった女の寝顔に触れられなかったせいで昏いものが私の内側に降り積もっている。全身が痺れているようである。そんなままで仏の教えに触れるとは、怖ろしいような気がしたが、しかし私は堕落の底に静かな救済を求めるしか幸福を知らない人間であるから、罰当たりだと思うがゆえに本を開いた。

 地獄一定すみかぞかしの一文に、線が引かれていた。よく酒に酔いながら本を読むせいで、線を引いた時のことも記憶になかったが、醒めた頭であっても、その言葉は深く通ってきた。地獄のみを凡夫である自らの辿り着き得る地とした親鸞の、しかし罪深い自分であるがゆえに仏からは見捨てられぬはずだという傷ましい祈りは、私の心に寄り添って来た。仏を信ずるか否かの違いしかなく、私には地獄が浄土と同じ楽園だというだけのことだ。それは趣味が異なる程度のことであろう。

 親鸞の呆けたような宗教心に、甘く酔っていた私をふっと揺り動かしたのは、女の泣き声であった。小さな声だったが、幼子のひたむきさだった。よく泣く女であったが、あれほど清らかな涙を私が彼女に見たのは、その時だけであった。

 聞くべきか否か迷いながらそれでも、どうして泣くのかと聞く私に、女は答えなかった。涙をぽろぽろ落として、本を濡らしながら、じっと黙っていた。

 女にとって、私は告白の相手に値しなかったのだろう。

 私の問いかける声に、軽薄な好奇心以外の何物をも認めなかったのかもしれない。しかし、その奥にある、私が私にすら隠し通そうとした愛情を、見抜かなかっただろうか。知性の欠けているためか病的なほど感覚の鋭い女だったから、私の愛情が少年じみた無責任なものでしかないことすらも嗅ぎ取っていなかっただろうか。

 今でもこうして、私からの愛は通じていたのではないかと夢想する私は、いまだ自分しか愛しえないのだろうか。愛されなかった過去を彩ろうとまた自分を騙しているのだろうか。自分のために彼女を歪めているのだろうか。愛する力も持たぬのに愛されようとするなど、話にならない甘えである。それは男の私に許されるものではないだろう。

 私は女を前にして、女の心を見つめようとしながら、自分の孤独にしか触れられなかったようである。女が心中の約束などなかったかのように一人で死んだのも、そのせいだろう。私と死ぬのなら一人で死ぬのと同じことだと彼女は知っていたのであろう。私という人間は死に身を投げ出すほど悲しみも苦しみも知らないことにも気付いていたのだろう。今、私だけが生きている。


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