鉢開

しゃくさんしん



 目的地のない私は、信号が青になるのを、待つともなく待っていた。青になったとて、歩き出すとは限らないのだ。

 その時、一人の女が、私の眼前を通り過ぎた。原付バイクに乗った彼女は、歩道のすぐ傍を高速で過ぎて行った。秋のぬるい風に、制服のスカートが翻った。肉の厚い褐色の片脚が、乾いた陽射しに明るくなった。全ては一瞬だった。彼女は、瞬間のうちに私の前を過ぎて、私が振り返ると、もうはるか遠くだった。

 彼女の脚だけが私の中に生きている。あの荒々しい色合いと、肉の感じが、彼女の他の部分からは切断されて、私の視界に染み付いて、辺りの風景の奥にも薄らと浮かんでいる。

 私は見慣れた風景に官能の炎が揺らめくのが面白く、首を回して様々なところに視線を泳がせた。広い道路のアスファルトに、脚をごろりと置いてみる。まるで動物の死体が転がっているようだ。それでいて、まだ辛うじて生きていて、微かに蠢いている。むせ返りそうなほどの生々しさだ。

 最も美しく溶け合う風景は、道路を挟んで少し先に見える、廃品回収会社の敷地内の屑山である。錆びた家電や自転車や鉄塊などが高く積み上げられている。そこに生命の迸る女の脚を紛れ込ませる。朽ち果てた残骸の中で、脚だけが錆と油とにまみれながら瑞々しい。時に工業機械のように、高速に膝が曲がり、逆に折れ、回転したりする。

 この世で、あの脚が、あの肉が、最も美しい場所は何処だろうと、私は考えた。生命感から想えば海だろうか。しかし一瞬で私の前から消えたせいか、大海のゆるやかなやさしさとは似合わないようだ。男たちの血と汗の沁み込んだボクシングのリング、大都市の暗い裏道、荒涼たる砂漠のせつないほど澄んだ青空、人の消えた街を彷徨う野良犬の口、灰色の煙に巻かれた巨大な工場群のひび割れたアスファルトの地面……。


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