第2話 外交戦争

島津家は藤原氏の流れをくむ家柄である。しかし戦国時代島津本家の衰えは止めることが出来なかった。

伊作島津家の当主であった日新斎が衰えていく島津本家に代わりめきめきと頭角を現し、やがて島津本家を相続することになる。

この日新斎が島津義弘の祖父である。

それから父貴久が薩摩を統一しその子義久の代になると九州統一を目指し躍進しほぼ九州を版図に治めたが秀吉の九州征伐で軍門に従い薩摩大隅を安堵された。

その大躍進を支えたのが義久の弟が義弘であり義久に男子が無かったため兄の後を継ぎ島津家当主になった。


「そうか無事であったか」薩摩に義弘が戻ったとの連絡を聞き義久はほっと安堵した。

義久は隠居の身ではあるが事実上義弘のいない国元の管理を行っている。

「でいかがいたしますか?」と聞くのは義弘の子で忠恒は伯父に聞いた。

「そうじゃのう」義久は顎に手をやると「文を書く、硯と筆を用意せよ」と側近に伝えた。

しばらくして一通の書状を書き上げた。

本来ならば祐筆という秘書に書かせるのだが義久は自ら筆を取った。

宛名には「近衛前久さま」と関白の名前が書かれていた。


関白近衛前久は一時期薩摩に下向したことがあり義久と交流がある。

同じ藤原氏出身でもありともに教養人であった二人の仲は非常によかった。


ポンポンと手を叩くとどこからもなく人影が現れた。

「喜平か、これを関白様にお届けせよ。早くな、それから中にも書いておいたが関白様がお読みになったらこの文を燃やせ。それを確認してから戻ってまいれ」

喜平は島津家に代々使える忍びである。義久の信任厚い。30代で小柄な男である。

「はっ」と喜平は答えるとあっという間に姿を消した。

幾ら忍びの足であっても今日までは10日はかかる。

「さてもうひと仕事いたすか」といって明の生まれで僧として薩摩に来ている海生を呼ぶように家来に命令した。


その夜海生と義久は夜遅くまで二人きりで話し合った。


関白近衛前久は喜平が届けた密書を読むと血の気が失せた。

密書には「今回の参戦は義弘の独断で行ったことであり義久は存じ上げていない事。その証拠に義弘に兵を送ってほしいと言われたが断ったこと。

そして前久に家康と交渉してもらいたい事」が書かれていた。

問題なのはそのあとである。

「それでも本領安堵を許されない場合は義久自身が兵を率いて九州で戦を起こす事。その際明から数十万の援軍を頼む交渉を行っているという事」

である。

「こ、これは。。」前久は言葉を失った。これは敗将の弁ではない。もし島津を潰すことを少しでも考えればもう一戦やってみせよう、という宣戦布告といってもよいものだった。


前久は文を読み終わると「わかった。島津殿の願い引き受けましょうぞ」といった。

「ありがたき幸せ。これは関白様への殿からの土産でござる」

そういうと喜平は胸から黄金を出した。

本来ならばうれしいのだが実に大変な交渉であるため前久は内心あまり喜ぶことが出来なかった。これとは別に朝廷に対しても島津家は献金をひそかに行っていた。


つまり海生と話し合ったのは明からの援軍をいざとなったら差し向けてくれるよう明の皇帝に向けての嘆願書を書いていたのだ。

明と薩摩は貿易のパートナーどうしでありもし薩摩が徳川の支配を受けたら貿易が出来なくなるというこちらも脅しの文面である。


家康が二条城にいるときに前久は家康を茶の湯に誘った。

家康も関白からの誘いを無下に断ることもできない。

茶室で亭主である前久と家康の二人きりになる。

「内府どの。このたびは勝ち戦おめでとうござる」

家康は頭をさげて「これも関白殿下や天子様のおかげでございます」と答える。

「ところで、、近頃ちまたでは九州のほうで再び大戦が起こるという噂がたえませんでな。その旨をうかがうためお呼びした次第です」


「さて?九州で戦とは、、拙者の耳にも届いておりませぬ。根も葉もないうわさかと」


「それが島津家が明より数十万の援軍を伴って江戸まで進攻するという噂でしてな。なんでも島津家は武器や火薬を九州中から集めているそうな。」


家康はハッとした。

やっと念願の天下取りの第一歩である三成を倒した矢先に島津家本隊が明と手を組み九州で戦をはじめれば大事である。

しかも義久は家康も絶賛した戦上手。まだ関ケ原の戦後処理が終わっていないうちにそのようなことがあれば裏切る大名も出てくるだろう。

そうなればまた戦乱の世に逆戻りである。


平静を装い家康は前久の立てた茶を飲んだ。


「さて今回の戦では島津家はただ我が本陣の隣を通っただけ。それほどの咎もありません。だれが薩摩殿の本領を取り上げると申したのでしょうか。まったく巷の噂にも困ったものです。。関白様からも薩摩殿に本領安堵いたすとお伝えくだされ」

家康は頭を下げた。

「やれやれ」と思ったのは前久だ。


前久からの文が届くと義久は忠恒を呼んだ。


「関白様のご助力で本領安堵は相成った。その方わしの代わりに内府にあって来い」

「ハハッ」忠恒は頭を下げた。


「ただし。。」義久は続ける。

「内府の関白様へのお言葉に偽りがあれば。。。。。わかっておるな」

忠恒は頭を下げた。

もし本領安堵に偽りがあれば内府を刺せということだ。


こうして忠恒は薩摩から家康に会うために上京した。


忠恒が家康の前に参上すると家康は上機嫌で忠恒の手を握り

「このたびの義久殿のご配慮、たいへんありがたかった。戦に勝てたのも義久どののおかげ、なにがな、礼といってはなんだがその方にわしの家の字を与える故これからは家久と名乗るがよい」


「ははっ」と忠恒は頭を下げた。


関ケ原の戦いで西軍につき本領安堵をされた大名家は島津家だけである。


しかしこの島津家が300年後に明治維新で江戸幕府を倒すことを家康がしったら歯ぎしりしておこるだろう。


島津義久はそれ以降藩内に強力な力を持ち慶弔16年79歳で世を去った。

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島津軍紀 若狭屋 真夏(九代目) @wakasaya

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