島津軍紀
若狭屋 真夏(九代目)
第1話関ケ原
晩秋の霧に包まれた関ケ原に東西合わせて20万の兵が集っている。
濃霧の中を馬に乗った武将が島津本陣に向かっていた。
八十島助左衛門、三成の家来である。
やがて島津の旗印が見えてきた。
八十島が島津本陣に向かったのは戦いが始まっているのに島津軍は微動だにしない事に三成が激怒し援軍を頼むためだった。
「それにしてもひどい霧だ」八十島の体は霧によってしっとりと濡れていた。
馬が止まることは無くそのまま島津本陣に向かう。
「なにもんじゃ」と周囲を固めていた兵が騒ぎ経った。
「我こそは石田治部が家臣、八十島助右ヱ門なり。お通しくだされ」八十島は声を張った。
その声にまるで出エジプト記に書かれたモーゼが海を割ったように人の群れが大きくさける。
やがて本陣に着くと八十島は「島津様いくさはすでにはじまっております。なにゆえ島津軍は動きませぬ。今こそ家康を討つ好機ですぞ」
八十島は馬上から義久入道に問い詰めた。
しかしこれがいけなかった。
義久入道は太刀を抜き八十島に向かって切り付けた。馬上の八十島は何とか避けることが出来た。
「これがおいの返事ったい。三成が駆け付けるならいざ知らずその家来が馬上よりそのもういいわしはゆるさぬぞ」
「こ、これは失礼しました」と八十島は冷静になったが時すでに遅しである。
周囲の兵たちの目は明らかに敵意が見れる。
「失礼いたし申した」といって八十島は島津の軍から逃げるように馬をかけた。
そして夕方になり小早川秀秋軍が寝返り一気に情勢は一変した。
三成は敗走し戦いは決した。
「殿。いかがいたしましょうか?」甥の豊久が義弘に尋ねる。
義弘入道はその声が聞こえないように経文を口にしていた。
すでに東軍以外は軍の体をなしていない。
残るは島津軍だけである。
義弘はそれまで閉じていた目をカッと開き「だからいったのじゃ。家康を暗殺するのが一番だと」そう独り言を言った後
「我らはかごんまに帰る」といって立ち上がると島津軍は大いに士気が上がった。
「しかし、退路はすでにないですぞ」豊久は義弘の言葉が正気だとは思えなかった。
すると義久は太刀を抜き家康本陣を指し、「内府のとなりが開いておるわい」と言って笑った。
「伯父上は死ぬ気だ」豊久はそうおもった。
「殿を守れ。家康に薩摩隼人の肝っ玉をみせるんじゃ」と豊久は死を覚悟した。
東軍は三成に敗走によって総崩れとなった。残るは島津軍だけだった。
「あとは島津だけでございます」本多正純は家康の前で自慢げに語った。
「何がめでたいのじゃ?正純。本隊の秀忠はまだ来ぬのだぞ。」家康の機嫌は悪い。
「と、との?」正純はひどく動揺した声をしていた。
「なんじゃ?」と怒鳴る。
「し、島津軍が。こちらに、こちらにむかっております」
「なに?」
家康は島津軍をみると兵たちが動いているホコリが立っていた。
島津軍はこちらに向かっている。
捨て奸(すてがまり)という戦法を島津はとった。
島津義弘ただ一人を守るため全ての兵が死ぬのだ。
義弘の周りを幾重にも兵が守っている。そして小部隊がいくつも作られ追ってくる敵を倒すためその場にとどまり本隊を逃がす。
当然残された小部隊に生はない。まさしく死兵だ。
そうして屍をつくりながらとどまることなく家康本陣に向かってくるのだ。
「殿。はやくお逃げください」正純は声がうわずっていた。
家康はまっすぐに島津軍をみていて動きはしない。
「大丈夫だ正純。島津入道は我が隊のとなりを逃げるだけだ」
さすが家康は野戦の名手といわれ、豊太閤との戦いでも圧倒的に勝てた戦巧者だ。
家康の言葉通り島津隊は徐々に家康本陣からそれていった。
「叔父上、さらばでございます」そう豊久がいうと自らも死兵としてその場にとどまった。
「あの世で合おうぞ」馬上から豊久に向かって叫んだ。
300の兵が見る見るうちに減っていく。
それでも義弘は馬を止めない。
やがて島津は家康の本陣の隣を通り関ケ原を抜け闇に消えていった。
後には豊久含め多くの島津兵の亡骸が残っているだけだった。
やがて義弘は畿内に逃げていた妻子を探し出し船で鹿児島に戻った。
関ケ原で出兵した島津軍一千人のうち鹿児島に戻ったのは80人余りと言われている。世に「島津の退き口」と言われるものである。
しかし、義弘の戦いはまだ終わっていなかった。
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