其の九

「まずは、ごぼうをささがきにします」

「さきがけ?」

 ん?

 今、彼女がぼけたような気がした。

「ごぼうは細く切る人もいるみたいですけど、祖母はささがきにしていました」

 彼女の家にステンレス製のボウルはない。代わりに、まげおけを使うことにした。

 私は桶に水を張り、「カッターナイフで鉛筆をけずる」要領でごぼうをささがきにする。

 彼女は「それですね!」と合点がいったようで、今度は彼女が包丁を持ってごぼうのささがきをする。ささがき、という名前は知らなくても、切り方は知っていたらしい。

「はい、そのくらいです」

 彼女を驚かせないように優しくストップをかけた。

 調子良くささがきをしていると、必要以上の量を削ってしまうことがある。

 桶の中はすでに、ささがきにしたごぼうでいっぱいだ。

 次は、水を足してごぼうのアクを抜く。

「水につけるのですね」

 ふむふむ、と彼女は興味深そうに桶を見ている。

「酢水につける、と料理の本に書いてあることもありますが、祖母はただ水につけていました」

真音まのんさんは、おばあさまのレシピを大切になさっているのですね」

 私は記憶力が良い方ではないが、母方の祖母――志真子しまこおばあちゃんのレシピは覚えている。

 鶏肉が食べられるようになったのは、祖母のおかげだった。

 切干大根きりぼしだいこんと一緒に煮てくれた鶏肉が優しくておいしくて、手羽先の煮物やけんちん汁も食べられるようになったのだ。

 私のような味覚の子どもが全くいないとも限らない。その子どもでも食べられる給食をつくりたいと思うようになった。

 祖母が施設に入所してからは、お年寄りの栄養管理にも関心を持つようになった。

 子どものためか、お年寄りのためか。どちらに関わる管理栄養士になるかは未だ考えていない。就職活動は狭き門になるだろうけど、管理栄養士になることは諦めたくない。

「真音さん、お次は?」

「あっ、すみません。……赤唐辛子の種を取って、輪切りにして、人参を細長く切って……」

「かしこまりました」

 意外にも彼女は手際が良かった。ごぼうの切り方とアク抜きを知らなかっただけで、それ以外は流れるように作業をする。

 ごぼう、人参、赤唐辛子をごま油で炒め、水をくわえてさらに熱を通し、調味料を加えて味をつける。

「お酢も入れるのですか!」

 彼女は驚いていたが、「さしすせそ」と言いながら、砂糖、みりん、酢、醤油しょうゆを加えてゆく。

「あ……おいしそうな匂いが致します」

 緊張気味だった彼女の顔が綻んだところで、きんぴらごぼうが完成した。

 けんちん汁と並行して、ご飯も炊く。

 私は米をといだ後、休ませてもらった。昨日もらったペットボトルのお茶を、ここで開ける。

「料理の本を買った方が良いのでしょうか」

 彼女に訊かれた。私は「はい」と答えたいのを我慢し、「どうなのでしょうね」と答えた。

 今までの“呉葉くれは”の伝統があるだろう。私がやすやすと口を挟むわけにはいかない。

「実は先代も、ごぼうの料理が苦手だったのです。上手くゆきませんね、とふたりで苦笑いしたのが懐かしいです」

 そういえば、このお屋敷は彼女ひとりしか住んでいないようだ。先代の“呉葉”はもういないのだろうか。

 多分私は訊かない方が良い。

 彼女はひとりごとのように話し続ける。

「お米やお豆腐や調味料は、昔から人里のものを買っておりました。お肉は、雉や鳩をっていたのですが、近頃は鳥の食べるものも良くないようで、野鳥の肉がおいしくなくなってきて……」

 彼女が鶏肉を買っていた理由はわかった。しかし、この話は私が聞いても平気なのだろうか。

「呉葉さん」

「真音さん、申し訳ありません。聞かなかったことにして頂けませんか? でないと、あなたを頭からむしゃむしゃ食べなくてはなりませぬので」

 彼女はいたずらっぽく笑った。その色っぽさと可愛さを、四分の一でいいから私にも分けてほしい。



 炊きたてのご飯とけんちん汁、きんぴらごぼう、茄子なす胡瓜きゅうりのぬか漬け、ズッキーニのソテーで遅めの朝食を摂った。

 青もみじの映えるお屋敷の前で、彼女の指示で目を閉じ、大量の木の葉が動く音を聞きながら、私はもとの場所へ戻してもらったのだった。

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