其の八

 次に目が覚めると、開け放たれた障子の向こうは薄い霧に包まれていた。

 これは俗に言う、朝もやだ。

「朝だーっ!」

 父がDVDをレンタルして視聴していたドラマの中にこんな台詞があったと思いだしたが、それを気にしている場合ではない。



 トラックにはねられた後、“呉葉くれは”という女性のちからでこのお屋敷まで転送(?)され、一晩泊めてもらう代わりに、きんぴらごぼうとけんちん汁のレシピを教えるはずだった。

 ……うん、ちゃんと覚えている。

 でも、寝坊した!



 布団から一番近い縁側の、沓脱石くつぬぎいしの上に、私のサンダルがおかしこまりしていた。彼女が置いてくれたようだ。

 私はサンダルを履いて外に出た。

 朝もやは意外と深くなく、青もみじは綺麗に映え、向こうに垣根のようなものも見える。

 その手前で、彼女がしゃがみ込んでいそいそと作業をしていた。

 彼女は私に気づき、しゃがんだまま手を振ってくれる。

真音まのんさん! おはようございます!」

 彼女は今日も、着物姿で、頭にバンダナ。

「呉葉さーん! おはようございまーす!」

 私も手を振って応え、ふかふかの土の上を小走りで進んだ。

「呉葉さん、ごめんなさい! 全然起きられなくて……」

「いいえ。お休みできましたか?」

「はい、それはもう……」

 充分に休めました、と言いたいところだが、体の痛みは残っている。でも、これ以上休ませてもらうわけにはいかない。

「呉葉さんの畑なんですか?」

「はい。“呉葉”が代々畑にしているのですが、少しずつ場所をずらしております」

連作れんさくとかで……ですか?」

 母方の祖母が元気だった頃、私に話してくれた。同じ場所に同じ農作物を植えると、育ちが悪くなる。連作障害というらしい。

「そうなのです。連作しないようにしております。……はい、今日れたばかりの人参にんじんです」

「可愛い!」

 彼女が葉っぱを握って見せてくれた人参は、泥つきで、赤くつやつやしていて、良い具合に寸胴で、洗って丸かじりしたくなる衝動にかられてしまう。でも、我慢。この人参は、多分きんぴらごぼうの材料になるのだから。

 垣根だと思っていたものは、一直線に並んでいた茄子なすだった。支柱をXのように交差させている。

 育っている野菜を見る機会は滅多にないので、実がなっていないと苗も判別できない。

「呉葉さん、これ何ですか?」

 私が気になったのは、下葉を切ってひょろりと立つ、黄色い花の咲いた野菜だ。葉は大きく、手の平のような形をしている。

 小学生の頃に育てたオクラに似ているが、違うものだ。

「そちらですね。ズッキーニです」

 欧米か、と突っ込みたくなるような横文字が、和風の彼女の口からさらりと出た。



 お屋敷の台所は、時代劇のセットのようだった。

 まきをくべて使うかまどもあるし、調理台は木製。鍋やフライパンは鉄製だ。

「お待たせしました」

 買い物に行って参ります、と言って出かけた彼女は、青もみじを着物や髪にくっつけて帰ってきた。

「鶏肉とお豆腐を買って参りました。朝8時に開店するスーパーがあるので」

 その瞬間移動の能力で、私をもとの場所に戻してほしいと思ってしまった。

 しかし、祖母のレシピを教えると約束してしまったから、守らなくてはならない。

 彼女は、風呂敷の端を結んでつくったエコバッグから、包装された鶏肉と豆腐を出して調理台に置いた。

「では、よろしくお願いします。真音先生」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る