其の五

 申し訳ありませんでした、と彼女は頭を下げた。正座をしているから、土下座のような格好である。

 私は縁側えんがわに腰かけて体を彼女の方へ向けている。いかにも態度が大きいので正座しようとしたが、「どうかそのままで」と彼女に止められてしまった。

「まずは“呉葉くれは”のことからお話ししなくてはなりません」

 彼女は居住まいを直して一呼吸置いた。

真音まのんさんもお気づきだと思いますが、わたくしは普通ではありません」

 彼女はかなり表現をぼかしているが、言わんとすることは私にもわかる。

 アクションシーンのように跳躍したり、どこからか刀を出したり、幽霊のようなを退治したり、魔法のように移動したり……私はしっかり目撃している。

「“呉葉”は、そういう普通でない存在です。誰にもお話しにならないで下さいませ。もしもそのようなことがあったら、わたくしはあなたを頭からむしゃむしゃと食べてしまいますゆえ」

 子どもに「静かに」と諭すように、彼女は唇の前に指を一本立てる。その動作が様になっていて、うらやましくなってしまう。

「“呉葉”とは、わたくしの本当の名ではありません。名もなく行き場のなかったわたくしは、先代の“呉葉”に拾われて、“呉葉”の後継として育てられました。“呉葉”はわたくしで3代目になります」

「3代目……なんか、かっこいい」

 私は馬鹿正直に、思ったことを口に出してしまった。

「先代は恰好良かったですよ。女人にょにんにしておくのはもったいないくらいに」

 彼女は遠い目をして、深緑しんりょくを見つめる。

「初代は武士に殺されたことになっています。先代のお話では、人であった初代は絶命したのちに、今のわたくしのような“呉葉”となり、この地方を陰から守るようになったのです」

 どう、と風が動く。

 青い葉がはらりと下り、サイドに結った彼女の髪に止まった。

 この日本家屋の周りの木は、杉やひのきではなく、もみじのようだ。ただし、紅葉こうようしていない。しかし、紅葉するまえの青いもみじも綺麗であると、私は思った。

「わたくしも一応は、この地を守る“呉葉”です。まだまだ未熟なもので、今は亡き先代の足元にも及びませぬが」

 私は頭の中で彼女の話を整理する。

 彼女は人間とは違う存在の“呉葉”というもの。

 “呉葉”はこの地域(長野県か)を守るもので、彼女で3代目。

 彼女は言わないけれど、“呉葉”は神様か、民間信仰で神格化した妖怪のようなものだろう。

「本日の昼前、わたくしはしきものの気配を感じて追跡しておりました。その悪しきものは、トラックの運転手にいていたのです。おそらく、運転手は時間に追われて近道をなさって、いわくつきの場所を通ってしまったのでしょう。運転手は我を忘れてサービスエリアに入ってゆきました。そのときトラックがはねてしまったのが、真音さんです」

 私はぞっとした。まるでテレビの怪談特集だ。

「わたくしはじゅつを発動し、真音さんがアスファルトに叩きつけられるのを防ぐことができました。間一髪でした。真音さんを歩道にお戻しするつもりだったのですが、ちからのコントロールができず……我が家までかどわかしてしまいました。本当のごめんなさい」

「そんなことないですよ。呉葉さん、私のことを助けてくれたんですね」

 私は幽霊を100%信じているわけではない。かといって、ないがしろにしているわけでもない。

 しかし、トラックが暴走していたことも、はねられた私がここに瞬間移動(?)したことも、彼女の話と統合すると有り得ないとは思えないのだ。

 現に、不可解なも見たし、彼女の術も見ているから。

「そういえば、あの幽霊のようなものって、何だったんですか?」

「真音さんはご存知なかったのですか。この山の近くは、江戸時代くらいに殺人事件があったのですよ。花嫁の結婚を良く思わない人達が、花嫁を連れ去って首をはねたのです」

 それがだったのか。またもや怪談を聞いてしまった。

「あの花嫁の残された思いは強過ぎます。空気をゆがませて独自の空間をつくり、迷い込んだ人を道連れにしようとします。“呉葉”の力で追い払っても、また強い思いが集まって復活してしまうのです。先代や初代でしたら、もっと上手く対応したのやもしれませぬ」

 彼女は、ふうと溜息をついた。

「この家の周りは人里とは異なる世界のようになっております。花嫁は近づくことができませぬので、ご安心を」

 彼女はコーヒーカップを両手で包み、コーヒーをこくこく飲んだ。

 私も、ぬるくなったコーヒーに口をつける。

 コーヒーの風味は落ちていなかった。

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