其の三

 ――私は死んでいるのかもしれない。

 そんな仮説にたどりついたとき、私はじっとしていられなかった。

 あてもなく走ったところで何かが変わるわけではない。

 しかし、心の片隅で、何かが変わってほしいと無駄な期待をしていた。

 期待は儚く打ち砕かれた。

 私の周囲は漆黒の闇。

 目の前には、慟哭どうこくする白無垢の

 私は、恐怖と体の痛みで動くことができない。今の私も、目の前のと大差がないだろうに。



 私の頭上を何かが跳び越える。

 着地して私の前に立ったのは、着物姿の女性。呉葉くれはと名乗った彼女だった。

 ここは暗闇のはずだ。ぼうっと白く浮かび上がっているは別として、彼女の着物の色と柄まではっきりと見えるから不思議だ。まるで、周囲を暗幕で囲っているかのようである。

 ここは普通の場所でないことに、私は今さら気づいた。

 彼女はを怖がる様子はなく、対峙する。

「去りなさい」

 彼女は声を張ってに話しかける。

「このかたは、そなたの憎む相手ではありません」

 の慟哭は、音波のように周りの空気を揺さぶる。

 彼女は一歩も引かない。

 私の位置からは彼女の表情は見えないが、を見据えているであろうことは想像できた。

「話に応じないというのであれば、致し方ありません」

 の慟哭とは異なる風が生じる。

 風に乗って運ばれてきた大量の木の葉が彼女に右手に集まり、細長く形をつくる。

 数秒後、彼女の手には一振りの太刀が握られていた。

 が彼女におおいかぶさろうとする。

 彼女は太刀を振ってを斬りつけた。

 一瞬の出来事だった。

 は白い粉のようになってから、消えた。

 彼女の握っていた太刀も姿を消す。

 彼女は私の方を振り返った。

真音まのんさん」

 彼女は私の前で膝をつく。

「呉葉さん」

 教えてもらった名で呼ぶと、彼女はにこりと笑った。

 それを見た私もまた、安堵が胸に広がった。

 駄目だ駄目だ。安心してはいけない。

 だって……

「私、死んでいるかもしれないんです」

「ええ!? なにゆえですか?」

 にも動じなかった彼女は、形の綺麗な眉をハの字にして困ったふうにしている。

「大丈夫ですよ、真音さん」

 彼女は私の両手を包むように握ってくれた。

「ここは危険な場所です。戻りましょう」

 目をつむって下さいませ、という彼女の指示に従い、私はまぶたを閉じた。

 木の葉が舞い上がる音がする。

 私はただただ、彼女の温かい手にすがった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る