第7話 〈シュテルン〉

 佐倉の後を追って昇降口で来賓用のスリッパに履き替え、校舎内に足を踏み入れる。佐倉は拓馬を背負ったまま左に曲がり、廊下の最奥まで進むと、彼は壁と壁の間の開けたスペースの前で止まった。

 そこには幾重にも厳重にロックされた鉄製のエレベーターらしきものがある。校舎にそぐわない無機質な存在感に思わず目を見張ってしまう。


「……どうしてエレベーターが?」


 驚く円香を他所に佐倉は慣れた手つきで傍のボタンを操作し、ロックが解除されたと同時に扉が開く。拓馬を背負ったまま佐倉が率先してエレベーターへと足を踏み入れる。


「さあ、行きましょう。この地下に〈シュテルン〉本部があります」

「え――高校の地下に?」


 開けられた機械的なエレベーターに戸惑いながら、告げられた事実に思わず目を見開く。

 この高校にSランクの影人が在籍していると聞いてから、ここが最も〈シュテルン〉本部に近しい場所なのだろうとは考えていた。だが、まさか本当にこの校舎の真下に〈シュテルン〉本部があるとは流石に予想だにしていなかった。


「この校舎の構造については私が詳しく説明しましょう。〈シュテルン〉の構成員たちも円香さんを待っています、行きますよ」

「……はい」


 言われるがままに円香もエレベーターに乗り込む。佐倉がボタンを押し扉が閉じた途端、すぐに地面が急降下していく感覚が襲ってくる。ぐらぐらと地面が激しく揺れ、平衡感覚を保つので精一杯だ。そんな中、佐倉は拓馬を背負っているにも関わらず慣れた顔で目の前の無機質な扉を見つめながら口を開いた。


「この校舎――天秤兆坐てんびんちょうざ高校は、表向きはごく普通の高校として一般生徒を毎年募集していますが、その裏側では我々〈シュテルン〉本部のお膝元でおり、強力な影人専用の監視付き学校といっても過言ではありません。理由は車内でもご説明しましたね。政府から危険視されているSランクの影人たちを完璧にバックアップ出来るのが、我々〈シュテルン〉本部だけだったということです」

「それは分かりましたが……どうしてわざわざ地下に本部が?」


 円香の問いに、一度拓馬を背負い直した佐倉は小さく息を吐くとやがてゆっくりと語り始めた。


「〈シュテルン〉はいわば、巨大な樹木のようなものです。地上では表向きに葉として影人たちの為の設備の運営、異常が見られた時の対抗策、そしてありとあらゆるサポートを各地で行う。これが地方に位置する支部の主な役割です」

「……樹木」


 円香の脳裏に地下から地上へ根を張る巨大な大樹が浮かぶ。佐倉はちらと白衣の袖から覗く腕時計を確認した。


「そして地下には大樹である本部を置き、支部との情報交換、連携を行っています。そこから根として幾重にも重なるネットワークを広げ、日本全国に住む影人たちの情報を逐一観測しているのです。そして――まだ微弱ではありますが、影人の異能を弱めることの出来る電波をこの地下から全国へ発信しているのです。全ては影人の安全で確かな生活を守るため――それが私たち影人特務機関、〈シュテルン〉なのです」

「……へえ」


 佐倉の言葉を何度も反芻しながら、円香はただ何となしにぼんやりと車の外で見た景色を思い出す。


「そういえば幼稚園や小学校、中学校もこの近くにありましたよね。それも?」

「はい、ご明察の通りです。天秤兆坐高校を中心に、この周囲一帯は〈シュテルン〉本部の管理下に置かれています。その為、政府から認可を頂き通常よりも影人の数も他の地域に比べて多いのです」

「……なるほど」


 それだけ応えると、円香は静かに口を閉ざした。

 会話の無くなった空間で、ごうごうと鳴り響くエレベーターの降下音だけが耳に残る。ひどく冷たい空気に円香の頭もすうっと冷静になっていく。先ほど起こった出来事が脳内で幾重にもフラッシュバックし、深く考え込んでしまう。

 拓馬の天災に等しい強力な異能。それを消滅させる力を持つ円香。

 そして、あの少年との異常なゲームの始まり。

 どれ一つとっても昨日まで平凡な生活を送ってきた円香にとって手に負えない事態ばかり。確かにあの時拓馬を助けたい、あの少年との勝負に勝つと強い決意を胸に抱いたが、不安でないかと尋ねられれば勿論不安であり、恐怖している。

 更に言えばこの先、〈シュテルン〉本部へ到着した後、更なる無理難題を押し付けられはしないだろうかという疑念に満ちた思いも無いわけでもない。


「円香さん」

「――、なんですか?」


 思考の海に溺れていた円香を、唐突に佐倉の無機質な声によって引き上げられる。顔を上げると、佐倉は端正な顔立ちでじっとこちらを見下ろしていた。


「これから貴女には、〈シュテルン〉本部の司令官に会って頂きます。彼は……行う仕事も指示も非常に優秀なのですが、見た目に反し性格と口調に少々問題があるので貴女を不快な思いにさせてしまうこともあるでしょう。それに関しては、私が最初に謝罪させて頂きます」

「……いえ、それは別に構いませんが」

「ですが、彼の辛辣な言葉は、全て影人たちを思う為のものです。円香さんには辛い選択や無理難題を課すかと思われますが……その一端でも理解して頂けると幸いです」

「……はい」


 佐倉の口ぶりから、円香は何となく察してしまう。

 ――ああ、やはりそうなのだ。どのような無理難題かは未だ分からないがこの先、円香にとって非常に重い選択を――問題を、この身体に課せようとしているのだと。

 だとしても、円香はそれでも構わないと思った。どんな無理難題を押し付けられようとも、円香はもう迷わないと決めたのだから。

 その時、ポンと軽快な機械音が鳴り響きエレベーターが停止する。どうやら目的地に着いたらしい。扉が開くと、そこはもう校舎の中の景色ではなかった。全面鉄製の壁に覆われ、酷く冷たい感覚を肌で感じる。まるでハリウッド映画に出てくる大仰な研究所のようだと円香は思った。


「あれこれと言いましたが、私はこれまでの行動から円香さんなら立ち向かえると判断しています。……どうか、自分を信じて下さい」


 それだけ告げると、佐倉は一足先に一歩エレベーターから進み出ていってしまう。そんな佐倉の淡白だが温かみのある言葉をゆっくりと胸の奥で収め、確かめる。


「……佐倉さん」


 円香は、徐々に離れていく梨倉さんの背を見つめる。

 この男は、一体どうしてそこまで円香自身のことを信頼してくれているのだろう。円香には記憶はないが、本当にどこかで会ったことがあるのかもしれない。

 喉まで出かかった言葉。先を歩く佐倉の背を見つめながらそんな風に思う。聞いてみたい気もするし、聞いてはいけない気もする。

 とにかく今は影人のことだけを考えなければ。円香も佐倉の後を追ってエレベーターを降りる。

 先の見えない暗い無機質な廊下が延々と続いた後、やがてひと際立派で巨大な深緑の扉の前へと辿り着いた。佐倉は拓馬をもう一度背負い直すと、扉の傍の小さな端末機を操作する。

 途端、示したように巨大な扉がごうごうと音を立てて開かれていく。扉の隙間から差し込む光に、暗闇に慣れた目はあまりに眩すぎた。たまらず瞳を閉じ、扉が完全に開かれたと同時にゆっくりと瞼を上げてみる。


「これは……一体……」


 息を呑む。その場所は、さながらドラマや映画に出てくるフィクション、SFの世界だった。様々なコンピューターがひしめき合い、それを操作するずらりと並ぶ構成員らしき人間がおよそ六人。彼らは一人一人に与えられた席で作業をしているものの、その席の向きはただ一つの場所に向けられている。

 それはひと際目を引く、巨大なモニターだった。そこに映し出されているのはどうやら全国の影人たちのデータと影楼に関する映像。ここで日本全国の影人のデータが収束しているのかと思うと、妙な緊張感が込み上げてくる。

 視線を上げると、その構成員たちの上段――階段を上った先にある他の構成員とは明らかに異なる立派な機械と椅子があった。どうやらあれがこの組織のトップの席のようだ。しかし、その席は誰も座っていない。佐倉の言う司令官とやらはどこにいるのだろう。


「きゃああああああぁぁぁああぁああ止まらないよぉおおおおおお!!」


 そんなことをただぼんやりと考えていると、突如ストレッチャーががらがらと奇声を上げながら突っ込んでくる。反射的に身を翻すと、ストレッチャーは隣にいる佐倉へと目標を変えた。


「大内管理官」

「あううっ!」


 がしっと佐倉が片手で暴走するストレッチャーを止める。押してきたのは、聞き覚えのある甘い声をした童顔の女性。名前から察するに、どうやら佐倉の電話の相手だったようだ。慌てたようにふわりと広がるウェーブの髪が揺れる。


「すすすすすみません! 医務室からこっちまで微妙に坂道になってまして!!」

「それはいいですから、拓馬君を乗せさせて下さい」

「うう、すみません……後のことは管理班で対応します……」

「ええ、お願いします。麻酔弾を三発ほど撃ち込みましたので、その除去といつもの通り抑制洗浄を」


 テキパキとした指示と共に、佐倉が背負っていた拓馬をゆっくりとストレッチャーに乗せる。拓馬は未だ目覚めず、穏やかに眠ったままだった。


「了解です。この抑制洗浄もいつまでもつか分かりませんが……最大まで出力をあげて頑張ります!」


 大内はそう意気込んで告げたが、ふと思い出したように円香へと振り返った。


「貴女が桜坂円香さんですね! ええと、初めまして。私、〈シュテルン〉本部管理官の大内真莉亜おおうちまりあっていいます。これから宜しくお願いしますね!」

「え、ええ……宜しくお願いします」


 至近距離でぎゅっと右手を掴まれ、その勢いに思わずたじろいでしまう。ふわりとした甘ったるい香りと、脳をトロトロに溶かす魅惑のハニーボイスが円香を襲う。……これは、同性でもくらりとくる恐ろしい魅力だ。初めて自分が異性でなくて本当に良かったと思う瞬間だった。


月城つきしろ司令官が席でお待ちですよ、あの階段を上った……先に……」


 真莉亜が指した方角は、あの立派な椅子のある司令官と呼ばれる人物の席だった。今は空席ではあるのだが。真莉亜の言葉尻が自信なさげに徐々に小さくなっていく。その顔は驚きと戸惑いに溢れ、「あ、あれ、おかしいな……」と首を傾げている。その様子に、佐倉が小さく溜息を漏らした。


「もう行ってしまって構いませんよ、大内管理官。後は私が対応します」

「りょ、了解です。……それじゃあ円香さん、また!」


 医務室からやってきたもう一人の構成員と共にストレッチャーを押しながら、真莉亜の姿が遠くなっていく。何ともキャラの濃い構成員だった。構成員でアレなのだから、その上に立つ司令官とはどのような人物なのだろう。未だ主のいない司令席に思いをはせる。


「……全く、あの司令は何を考えているのか」

「え?」


 独り言なのか、小さく声を漏らすに佐倉に思わず聞き返した円香であったが――その瞬間、凄まじい勢いの弾丸が彼を襲う。

 

「さぁぁぁああくぅぅぅぅぅらぁぁぁあ貴様ぁぁぁぁあああ!!!!」

「またですか」


 ――しかし、佐倉は軽く顔を捻るだけで弾丸を回避する。弾丸は勢い余って佐倉の背後の物置の段ボールに突っ込む。


「ボクを避けるな佐倉ァァアア!」


 弾丸――と思われた小さな生き物が段ボールの山から顔を出す。さらさらのプラチナブロンドを逆立たせた少年が佐倉を睨みつけていた。

 僅かに嘆息を漏らした佐倉が激昂状態の少年を手のひらで指し示す。


「この方の名は月城澪つきしろみお。私を含むここにいる構成員全ての上司であり――我が〈シュテルン〉機構の司令官です」

「……えぇ」


 目を見開いた円香は、猫のように目を釣り上がらせ腕を組む少年を驚愕の眼差しで見据えた。

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